アニメ版完結目前! 『進撃の巨人』がいまなお多くのファンを魅了し続けている理由を徹底解説

※本稿は、『進撃の巨人』のネタバレを含みます。原作コミックおよびテレビアニメシリーズを未読・未見の方はご注意ください。(筆者)

 11月4日(土)24時より、NHK総合にて、テレビアニメ『進撃の巨人』The Final Season完結編(後編)が放送される。

 原作は、2009年から2021年まで「別冊少年マガジン」(講談社)にて連載された諫山創(いさやま・はじめ)のダークファンタジー・コミック。現在、単行本(全34巻)の世界累計発行部数は1億2千万部を突破しており、2013年に放送開始したテレビアニメシリーズ(WIT STUDIO/MAPPA制作)は、国内はもとより、アメリカ、韓国をはじめとした世界各地でも高い評価を得ている。

 主人公の名は、エレン・イェーガー。「外の世界」で蠢(うごめ)く巨人たちの侵入を防ぐための、高く強固な壁に囲まれた町で暮らしている少年だ。物語は、このエレンが、突然壁を崩して町に侵入してきた巨人の1体に母親を殺されたことで動き出す。

 数年後、エレンは幼なじみのミカサ、アルミンらとともに巨人の謎を追う「調査兵団」の一員となるが、彼の体には自分でも知らないある“秘密”が隠されていた。そう、エレン・イェーガーはなんと、巨人に変身することができるのだ。果たして、巨人たちの正体は人間なのか? そして、壁の向こうには何があるのか?

 こののち物語は二転三転し、エレンは憎しみの連鎖を断つために仲間たちのもとを離れ、「外の世界」に対して恐ろしい決断を下すことになる。「超大型巨人」の群れを率いて“全て”を踏み潰す、「地鳴らし」という名の「進撃」の始まりである――。

 凄い物語だ。吾峠呼世晴の『鬼滅の刃』、三浦建太郎の『ベルセルク』、そして、荒木飛呂彦の「ジョジョ」シリーズなど、多くの熱狂的なファンを持つダークファンタジーの傑作は他にもいくつかあるが、2010年代を通して最もインパクトがあった作品を1つだけ選ぶならば、やはりそれはこの『進撃の巨人』ということになるのではないだろうか。

 では、いったいこの作品のどこがそれほどまでに凄かったのか。本稿では、あらためてその魅力を振り返ってみたいと思う。

虚構と現実の境界を曖昧にする巧みなヴィジュアル表現

 『進撃の巨人』の凄さといえば、まずはなんといっても“絵的なインパクト”について語らねばなるまい。とりわけ人体解剖模型のような筋肉を露出させた「超大型巨人」のヴィジュアルは、一度見たら忘れることのできない強烈な印象を読み手に与えることだろう。

 だがその一方で、「『進撃の巨人』は絵が苦手」という漫画・アニメファンが一定数存在するのも事実だ。むろん、「苦手」かどうかというのは個人の好みの問題であり、私などがどうこういう話ではないかとも思うのだが、「諫山創は絵が下手だ」といっている方については一言申し上げたい。

 そう、諫山創は絵が上手いのだ。少なくとも“漫画の絵”としては、彼の絵には独自の味があると思うし、あの絵だったからこそ、『進撃の巨人』という荒唐無稽な物語にリアリティが与えられた、とさえいえるのである。

 具体的にいえば、同作では、知性のない「無垢の巨人」と呼ばれる巨人たちが大勢登場するが、“彼ら”のどこかアンバランスな顔や体の造形を思い浮べてほしい。あらためていうまでもなく、彼らの見た目がどこか“変”なのは、何も諫山創にデッサン力がないからではない(かつて漫画の専門学校に通っていた諫山が、デッサンの重要性を知らないはずはあるまい)。

 つまり、あえて顔や体のパーツを変形させた「無垢の巨人」たちの姿を描くことで、作者は虚構と現実の境界を曖昧にしているのである。そのことにより、ふいにバランス感覚を狂わされた読者は、えもいえぬ恐怖を与えられるとともに(「肉体の変形」は、いわゆる「ボディホラー」の基本的な表現でもある)、超自然的な世界をリアルに感じられるようにもなるというわけだ。

 また、そうした「怖い絵」の数々を、よりショッキングに見せるためのネーム作り(コマ割り)も、諫山創は異様に上手い。「ネーム」とは、映画の絵コンテに相当する、いわば「漫画の設計図」のことだが、ページの捲(めく)りの効果や、コマからコマへと移動する読み手の視線の流れを完全に把握していて、必ず「いきなり現れた巨人」の目と読者の目が合うような構図で絵を描き、そのカット(コマ)をネーム上の最適な位置に配置しているのである(これにより、読者はあたかも自分が巨人と遭遇したかのような錯覚にとらわれることになる)。

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