『鬼滅の刃』鬼殺隊の剣士たちが目指した“夜明け”が意味するものとは? 「大正」という時代設定を考察
※本稿は、『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴/集英社)のネタバレを含みます。同作を未読の方はご注意ください。(筆者)
吾峠呼世晴の『鬼滅の刃』からは、“継承”や“家族愛”、“兄妹愛”など、いくつかの大きなテーマを読み取ることができるが、“新しい時代と旧(ふる)い時代の対立”も、そうしたものの1つとはいえないだろうか。少なくとも、物語の時代設定を現代ではなく、あえて大正時代としたのには、それなりの理由があったはずだと私は思っている。
過去の時代を象徴する者たちと、時代に適合できなかった者たちとの戦い
それでは、果たしてその大正時代とはいかなる時代だったのか。それは、「明治」ほどには旧時代(江戸時代)と繋がってはおらず、「昭和」ほどには完全に西洋化(アメリカ化)されてもいない、いわば、過去と未来の“狭間(はざま)の時代”であったといえるだろう。
要するに、そんな時代の境界線上で、主人公・竈門炭治郎をはじめとした「鬼殺隊」の隊士たちは、あえて「日本刀」という旧時代を象徴する武器にこだわっていたわけであり(むろん、銃よりもフィジカルな武器である刀の方が、呼吸法との相性が良い、ということもあったかもしれないが)、対する鬼たちの多くも、もともとは“時代や社会から弾き出されたアウトロー”たちの成れの果てであった。
つまり、『鬼滅の刃』とは、極論すれば“似た者同士”――“過去の時代を象徴する者たち”と“時代に適合できない異端者たち”との戦いを描いた物語であり、そういう意味では、その両者とも置き去りにしようとしていた大正時代というのは、絶妙な(あるいは皮肉な)時代設定であったともいえるだろう。そしてまた、だからこそ、“新しい時代”に目を向けていた政府は、この戦いに介入しなかった、ともいえるのである。