鈴木涼美「AV出演には、深い理由はないケースが大半」 グレイスレス=品のないとされる業界で生きる悲哀
ギャルのたくましさ
ーーアダルトビデオの撮影現場の描写がすごくリアルでした。私自身もかつて経験したことがありますが、現場の明るさだったり、スタッフ同士で投げ交わされるジョークの切れ味を思い出しました。
鈴木:撮影現場のシーンは、自分が実際に経験して見聞きしたものを活かすことができたので、書いていて楽しかったです。現場で卵の白身を大量に食べている男優とか、鶏と性行為をしたことがある人とか、個性的な人が多いですよね。前作『ギフテッド』では、男たちは背景的な描かれ方しかされていないという指摘がありましたが、アダルトビデオの男優はまさに背景的なものなので、その意味でより象徴的かもしれません。一方でアダルトビデオは、男性による男性のためのエンターテイメントで、主役は女優かもしれないけれど、存在意義は男性のためにあるという構造になっています。私の小説は女性の視点で書かれていて、男性の欲望が時に滑稽なものとして表出しています。女優が変なポーズを取らされているのを、変わった建造物のようにしか捉えていないというか、そういうもんだからといってサバサバと受け流している。こういう女性側の感覚は多分、男性からするとまったく抜けないものだと思うのですが(笑)、その意味ではアダルトビデオとは逆転した構造になっているかもしれません。
ーー主人公は男性陣の欲望を滑稽なものとして見ているけれど、ギャル女優の聖子に対する眼差しには熱っぽいものがありました。
鈴木:聖子ちゃんには魅力的な女の子であって欲しいと思って書きました。主人公が淡々とした性格なのに対して、聖子ちゃんは仕事ができる子で、ちやほやされるようなアイドル系の子ではないけれど、ギャルだからたくましく企画女優をこなしている。彼氏に何かを言われても、それがポルノ業界から引退する理由にはならなくて、かといってポルノ業界に対して決して高い意識を持っているわけでもない。自然な形で、単に仕事としてポルノをこなしている。でも、アダルトビデオの現場でおかしなことばかりしていたから、身体を壊してしまって、そのことを自虐っぽく言ったりもする。明るくて真の強い子が、「グレイスレス=品のない」とされる業界で生きていることの悲哀や、血の通った人間としてのままならなさを、聖子ちゃんには託しました。
主人公にとっては、たくましく生きている彼女は魅力的で、信仰も倫理も語れない人々が理屈をこねくり回して彼女たちを「救済しよう」と言っているのは、単に自分の正義を振りかざしているだけに映っている。そういう構造も描こうと思いました。
ーー「何かを正そうとする言説の無力さ」は、前作とも共通するテーマですね。
鈴木:昔から女性の解放運動の一つとして、娼婦たちに手を差し伸べようという動きはありますが、それは一体どこに向けられているんだろうという疑問はあります。聖子ちゃんはもちろん、男性のためのコンテンツだとわかってやっているんだけれど、そんなことは案外どうでもよくて、現場の仕事としてテキパキやっている。彼女たちのそういう強かさにも目を向けて欲しいと思います。
ーー鈴木さんの考える、ギャルの魅力とは。
鈴木:ギャルには忖度がないというか、野生的な合理性みたいな価値判断がありますよね。だから聖子ちゃんみたいに、難しいことはさておき、とりあえずこなしちゃおうという行動力がある。ただ、完全に合理主義的かというと全然そんなことはなくて、パラパラを踊ったり、肌を黒く焼いたり、爪をすごく伸ばしてみたりと、理にかなっていないこともいっぱいしている。でも、それを指摘しても本人たちは「いや、爪は必要じゃん?」みたいな感じで、理屈じゃないところで反論してきたりする。なんでも厳密に考えて、ちょっとした誤りさえ許さないのではなく、考え方に遊びがあるというか、すごく余地があるんですよね。そういうところが魅力的だと思います。
■書籍情報
『グレイスレス』
鈴木涼美 著
発売:2023年1月14日
価格:¥1,760
出版社:文藝春秋