映画『THE FIRST SLAM DUNK』で井上雄彦監督が描いた“バスケと人生” 貫徹されたテーマと新たな視点を考察

【ネタバレ注意】本稿では、劇場版アニメ『THE FIRST SLAM DUNK』とその原作コミック『SLAM DUNK』(井上雄彦)の内容について触れています。両作を未見・未読の方はご注意ください。(筆者)

 現在、大ヒット公開中の劇場版アニメ『THE FIRST SLAM DUNK』(原作・脚本・監督/井上雄彦)。周知のように、同作は、ストーリーの概要を公開直前まであえて明かさない、という異例のプロモーションが展開されたわけだが、それも実際に映画を観てみればうなずけるものがあった。

 果たして主人公は原作と同じ桜木花道なのか、あるいは別のキャラクターなのか。そして、原作のどの部分が映像化されているのか。以下、本稿では、映画公開前に、ファンの間でさまざまな憶測が飛び交っていたその2点についても触れているので、未見の方はご注意いただきたい。

果たして映画の主人公は?

 すでにSNS上では拡散している情報でもあり、また、映画公開後に刊行された関連書などを見ても明らかなことなので、さすがにもう書いてもいい頃合いだと思うのから書くが、『THE FIRST SLAM DUNK』の主人公は宮城リョータである。

 宮城リョータは、湘北高校バスケットボール部の2年生。ポジションはポイントガードで、バスケ選手としては背が低い方だが、そのぶん類いまれなセンスとスピード、パス、ドリブルが売りの「湘北の切り込み隊長」だ。

 ちなみに原作では、前述の桜木花道をはじめ、流川楓、赤木剛憲、三井寿といったスタメン勢の“内面”はそれなりに描かれてはいるのだが、実は、宮城についてはあまり深く掘り下げられてはいない。つまり、彼が日ごろどういう生活を送っていて、心の底では何を考えているのか、そのあたりの描写が少ないゆえ、たとえば、なぜ彼がマネージャーの彩子に惹かれているのかとか、なぜ彼が不良時代の三井から執拗にからまれていたのかなどが、わかりにくいのだ(注・後者については、三井がかつての自分と同じ「期待の新人」である宮城を意識していた、という説明が一応なされてはいるが)。

 いずれにせよ、そうした宮城の描かれなかった“背景”の部分を補ったのが、彼の少年時代を描いたとおぼしき「ピアス」[※]という短編であり、同作は『SLAM DUNK』の正式なスピンオフではなく、あくまでもパラレルな物語として位置づけられてはいるのだが、今回の映画では、物語の根底を支えるエピソードの1つとして設定の一部が転用されている。そう、誤解を恐れずにいわせていただければ、井上雄彦は今回の映画で、原作では描き切れなかった宮城リョータという男の内面を、じっくりと描きたかったのだと私は思っている。

[※]「ピアス」は長い間、単行本未収録だったが、このたび映画の関連書『THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE』に収録された。

バスケと人生

 先ほど私は、宮城リョータが日ごろどういう生活を送っているのかの描写が、原作の『SLAM DUNK』ではほとんど見られない、と書いた。だが、それについては彼に限らず、桜木、流川、三井も同様であり、強いていえば赤木に関してのみ、わずかだが家庭内の描写が出てくるのだが、まあ、“ほとんど描かれていない”という点では似たり寄ったりだろう。

 ただ、それは『SLAM DUNK』以外の「少年ジャンプ」のスポーツ漫画の多くにも当てはまる傾向であり、「良い/悪い」をいま私は問題にしているのではない。たとえば、「ジャンプ」のライバル誌である「少年サンデー」のスポーツ漫画の多くは、むしろ家庭――とりわけ両親の描写に力を入れており、仮に「親がいない」という設定でも、そのことを主人公の成長や活躍の原動力にしている場合が少なくない(“アスリートだった亡き父の夢を受け継ぐ”という少年の物語が、同誌ではいかに多いことか)。

 とはいえ、これはいわばそれぞれの“雑誌のカラー”というべき問題であり、繰り返しになるが、良いとか悪いとかの話ではないのだ(たとえば『SLAM DUNK』でも、桜木花道と父親の謎めいたエピソードが断片的に描かれてはいるのだが、あの部分をさらに深堀りしたからといって、同作がより面白くなるかといえば、そんなこともないだろう)。しかし、今回、原作の連載終了からおよそ四半世紀が経ち(かつ「少年ジャンプ」という“場”からも離れ)、井上雄彦は、あらためてキャラクターのバックグラウンドをしっかりと描きたいと考えたのではないだろうか。

 つまり、極論をいえば、宮城リョータの“背景”を丁寧に描くということは、他の4人にも(いや、木暮公延も入れて5人か)、同様の生々しい生活がある、ということを暗に物語ることにもなるのだ。そしてそれこそが、これまで私たちが知らなかった“初めての”『SLAM DUNK』ということになるのではないだろうか。

 たしかに、今回、主人公の視点が大きく変わったことで、なぜ桜木と流川が終始反発し合っているのかがわかりにくくなっているし(原作を未読の方には、2人の関係性はまったく伝わらないだろう)、また、クライマックスで試合の勝敗を左右するような活躍をするのは、(宮城ではなく)原作通り桜木であるため、物語の展開上、ややぎこちない部分もなくはない。

 だが、原作の持つ、“目の前に壁に抗い、挑戦し続ける”というテーマは宮城リョータの視点からも充分伝わってくるし、実際に映画で描かれているのは、ほぼインターハイでの山王工業戦のみなのだが、その合間合間に彼の背景(兄や母親への複雑な想い)が挿入されることで、試合の時間だけでなく“17年間の重み”も同時に刻み込まれている。そう、原作では、春から夏にかけての桜木花道の濃密な時間が描かれていたわけだが、映画では、宮城リョータの“バスケと人生”が描かれているのだ。

 これまでにも手塚治虫や大友克洋など、「漫画家にして映画監督」という異才は何人かいたが、井上雄彦もまた、監督第一作目から鮮烈な作品を世に送り出したといっていいだろう。

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