追悼・アントニオ猪木 漫画で振り返る偉大な功績 あのギャグマンガにも遺した濃すぎる個性

 プロレス界に大きな足跡を残したアントニオ猪木が、79歳で亡くなった。

 そのあまりに偉大な功績については、ここで語る必要はないだろう。力道山にスカウトされて日本プロレスに入門、昭和47年(1972)には新日本プロレスの立ち上げ人となって以降は、ジャイアント馬場やモハメド・アリと記憶に残る試合を繰り広げた。平成元年(1989年)にはスポーツ平和党を創設し、参議院議員を2期にわたって務めた。そして、亡くなる直前まで、Twitterで闘病の様子をツイートし続けていたことでも知られる。

 ギャグ漫画が好きな私は、猪木といえば『浦安鉄筋家族』シリーズを思い出してしまう。といっても、猪木本人が登場するわけではない。国会議員というキャラクターが登場するのだが、顎が強調された顔、「ダアアアア」という掛け声、そして国会議員という名前…… どう考えても、あの偉人(あえて伏字にしておこう)そのものなのである。

 国会議員は、個性的すぎるキャラが多すぎる『浦安鉄筋家族』の中でも、トップレベルに強烈な印象を残すキャラだ。というのも、子どもが大好きな、ギャグ漫画の定番ともいえる下ネタを存分に披露してくれるためである。詳しくは書かないでおくが、『浦安鉄筋家族』(秋田書店)のコミックスの書影を掲載するのでここから察していただきたい。それにしても、1巻の表紙にいきなり登場しているのだから、作者もお気に入りのキャラクターだったことは間違いないだろう。

 作者の浜岡賢次は無類のプロレス好きだ。作中には猪木のライバルであるジャイアント馬場のほか、“破壊王”こと橋本真也を思わせるキャラクターも登場する。さらに、主人公の大沢木小鉄がクラスメイトにプロレス技をかける場面は頻出するし、プロレスゆかりのネタはこの漫画の定番と言っていい。

 猪木死去のニュースを聞いて、『浦安鉄筋家族』を読み返した人は少なくないはずだ。この漫画では、著名人をモデルにしたキャラクターが騒動を巻き起こしたり、はたまた散々な目に遭ったりして、時には眉を顰めるような表現も少なくない。しかし、モデルとなった人物に対する浜岡の愛情が感じられる作品であることは間違いない。浜岡が猪木をリスペクトしていたことがわかるコメントがある。

「なにがあろーとアントニオ猪木は最高です」

 まだ未読の方はぜひこの機会に読んでみよう。

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