【クイズ】成功するには「才能」なんて関係ない? 世界的ベストセラーの原点を読む


 もうひとつは、選手の心理の問題である。軸となるのは「プラシーボ効果」。実際には効果がないものでも、効果があると信じることで何かしらの改善がみられるという、一般にもある程度は知られた心理学用語だが、スポーツにおいてもプラシーボ効果はたしかな強みを見せる。たとえば、ある信仰を持つ選手は、試合に臨むときに常に祈りを捧げ、そのおかげで安心感を得ることができたと語り、モハメド・アリやジョナサン・エドワーズも同様に、信仰から恩恵を受けたという証言を残している。また、信仰とは別の次元で、自己の力に確信を持ち、「負けるかも」といった疑念を押さえることの重要性も語られる。本書ではサッカーの名監督として知られた、アーセン・ベンゲルの言葉が引用される。「できる限りのパフォーマンスを発揮するには、論理的な正当化をはるかに超える強さで信じるよう自分に教えてやらなければならない。この非合理的な楽観能力を欠く一流選手はいない」。実際に非合理的な信条でも、十分な確信があればパフォーマンスを高められることが、心理学の実験によって証明されたことにも言及される。 

 そして、才能ではなく偶然や努力の重要性を語る一方で、サイドは努力を軽視し、安易に結果を得ようとする姿勢や、人種や遺伝子に成功の「正解」を求めようとする態度についても警鐘を鳴らしている。 

 たとえば、ドーピングや遺伝子改良の問題である。東ドイツの女子砲丸投げの選手であったハイジ・クリーガーのエピソードが、本書では紙数を割いて紹介される。ハイジは「ビタミン剤」と称された、筋肉を増強し、男性的な特徴をもたらす強力な処方薬を長年にわたって投与されていた。やがて欧州選手権で優勝という実績を残すものの、自身の体への疎外感と慢性的な不調に耐え切れず、引退してしまう(そののち、ハイジは性別適合手術を受け、男性となる)。やがてこのドーピングは東ドイツの国家的なプロジェクトとして存在しており、10000人以上の選手が薬を投与されたことが明らかになる。サイドは能力を向上させる人工技術自体は必ずしも否定しないものの、人の安全を犠牲にドーピングを行うような姿勢には、一貫して否定的な態度を見せる。 

 また、「黒人」は生まれつき長距離走に長けているという言説を引き、こうした一般化の暴力性を喝破するとともに、その論理的欠陥を指摘する。長距離走での優位性は「黒人」の現象ではなく、ケニアのナンディ地域出身の選手に集中していること→その地域が高地であり、空気の薄さが住民たちの体の耐久性を高めたこと→高地の中でも公共交通機関が少なく、子どもたちは通学においては日常的に走る必要があったこと……と順を追って背景を解き明かしていき、悪しき遺伝子神話を慎重に崩していく。 

 このほかにも、サイドはさまざまな心理学・哲学の知見や有名な人物のエピソードなどを引きながら才能神話を解体していき、その内容はいずれも興味深い。たとえば反射神経について。卓球における殺人スマッシュを難なく打ち返せるサイドが、速度としてはより遅いテニスのサーブにまったく反応できなかったことを起点に、実は「反射神経」というものが生得的なものではなく、その競技におけるパターンを認識した結果に過ぎないという議論を導き出していく。一つひとつの「才能」の根拠を潰していく手腕は鮮やかで、自分も努力次第でどうにかなるのかも、という希望を『才能の科学』は提示してくれる。 

 現在も「才能とは何か」についての確固たる統一見解がない以上、『才能の科学』の主張を「正しい」と断言することはできない。しかし、自分の可能性をあきらめず、挑戦してみる価値はある。少なくとも、そのように思わせてくれるポテンシャルを、この『才能の科学』という本は有しているのである。

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