山下洋輔トリオ 「バリケードの中のジャズ」再演 村上春樹&菊地成孔ら豪華ゲストと話した学生運動とジャズの関連性

山下洋輔トリオ

 いよいよ第一次山下洋輔トリオ、ピアノ・山下洋輔、ドラムス・森山威男、サックス・中村誠一が53年ぶりの早稲田大学に登場。当時と同じく山下が即興で弾き始め、他メンバーが合わせていく形の「テーマ」から演奏がスタート。

 3人が織りなす必殺技は肘でのクラスター奏法(隣り合った鍵盤を複数弾く密な和音を出す)、ドラムの乱れ打ち、サックスの咆哮など、パワーを感じさせるプレイ。そしてビートや和声進行からの逸脱。これが既成概念の破壊を目指した学生たちと共鳴したのは想像に難くない。

 それでいて、いわゆる全員が共有しているビートやクリックがないため、各メンバーがお互いを聴きながら、目で見ながらの要所要所の音を合わせなければならない。よって嵐のような音のなかでも協調やチームワークが必要不可欠。さらにひとりひとりの音色の素晴らしさも際立っていた。

 中村のソプラノサックスの素朴なメロディが美しい「木喰」では、存在感のある旋律の裏で自在に渦巻くピアノとドラムがコントラストを生む。

山下洋輔

 「すべては田原総一朗のせい」。山下は続くMCで語った。彼の意地悪をするかのようなインタビューによって、口から滑ったのが「ピアノを弾きながら死にたい」という言葉だったのだ。ドキュメンタリー番組ながらも演出があったことは、山下の著書『風雲ジャズ帖』に書いてある通り。だがそれでもなお彼は「50年も語り継がれてありがたい」と感謝を表し、現場はもはや再乱入というよりも「乱入53周年記念コンサート」というべき雰囲気に。なお、田原本人も来場して場を盛り上げていた。

 3曲目は「ミナのセカンド・テーマ」。息を潜めるような場面から、ギアを上げてテーマに戻る展開で魅せる。最後は山下の長年に渡る愛奏曲「グガン」で締め。<グガン、グガン、ダバトトン、グガン、ダバトトン>という印象的なテーマに続き、森山が全体を見て流れをコントロールしつつ、テナーの雄叫びが響き、鍵盤に肘が飛ぶ。演奏後には大きな拍手が贈られて演奏は終了。

山下洋輔(左)、村上春樹(右)

 その後、アフタートークのコーナーへ。山下を村上と坂本、小川が囲み、50年前の現場やジャズについてなど話が弾む。参加者との質疑応答も設けられ、トピックは多岐に渡ったが、特に霊長類学者・山極壽一からの「怒りを発散できない若者が多い。フリージャズの怒りの表現を今どのように燃え上がらせたいか?」という質問が印象的だった。

 これに対して山下は「僕はジャズの決まりを壊したかったんです。そして世の中にある制度を壊したかったのが学生運動の人たち。何でも単純に既にあるものは悪い、権威をぶち壊すべきだと。それを知らずに僕らも音楽でしがらみを破った表現ができないか、と考えたのが最初。だから彼らと共通していたのは怒りもあるでしょうが、“あるものをぶち壊す”快感でした」と返答。この発言は、SNSを中心に社会の価値観が一新されようとしている現代にこそ、一考されるべきなのかもしれない。

 さらに山下はアンコールとして、村上春樹「ノルウェイの森」の序盤にあるフレーズとまったく同じ曲名の「Memory is a funny thing」を演奏。たまたま同じ一節を見つけて驚いたという山下だが、村上はその箇所を覚えていなかった。その前のやり取りでは山下が村上の名前を忘れる一幕も。まったく記憶とは面白いものである。会場からも笑いが起きたが、柔らかいソロピアノでしみじみとイベントは締め括られた。

 難しい出来事の積み重ねで、現在ネット上に怒れる人が増えているのは確かだ。学生運動時代のようなエネルギーを世代を超えて抱えているような時代に、フリージャズのリバイバルや、それに代わる既成概念を崩した音楽が支持される可能性はある。だからこそ、このイベントは学生(左翼)運動とジャズを考える上で興味深いものだった。そして53年にして初の“再乱入”となったのだから、60周年やその先の節目での再演にも期待したい。

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