山下洋輔トリオ 「バリケードの中のジャズ」再演 村上春樹&菊地成孔ら豪華ゲストと話した学生運動とジャズの関連性

 「村上春樹presents 山下洋輔トリオ 再乱入ライブ」が7月12日、早稲田大学の大隈記念講堂で開催された。これに山下洋輔トリオのほか、村上春樹、坂本美雨、小川哲、都築響一、菊地成孔が出演。53年の時空を超えた一夜を演奏とトークで彩った。


 歴史を遡ること1969年7月、政治闘争の風が吹き荒れる日本社会のなか、バリケード封鎖された早稲田大学で120分に渡る決死のライブが行われた。大隈記念講堂から4号館へ無断でグランドピアノを担ぎ込んでの伝説的な演奏は、田原総一朗がテレビ番組「ドキュメンタリー青春」のために企画したもの。

 「ピアノを弾きながら死にたい」と語った山下洋輔に、教師や対立する団体の学生たちを集めた混乱による死に場所を与えるつもりが、最終的に全員が静かに音に耳を傾ける結果になったのだった。その映像は「バリケードの中のジャズ」として放送、音源としては「DANCING古事記」として残されている。

 今回のライブはそれを再現するもので、早稲田大学国際文学館「村上春樹ライブラリー」が新4号館に出来たということを機に村上春樹が提案。実際に山下が乱入するという訳でなく、ピアノを運び出した大隈記念講堂で、乱入に想いを馳せた53年ぶりのコンサートとトークセッションを合わせた形式で開催された。

早稲田モダンジャズ研究会

 イベントは、まず現役学生による早稲田モダンジャズ研究会のオープニングアクトで開幕。演奏内容はブルース、60年代のモードスタイル、ファンク、ヒップホップといった現代的な解釈による広義な“ジャズ”で、山下らの得意とするフリーフォームな演奏はない。しかし、テナーサックス・中根佑紀のTシャツをパンツにインするスタイルは当時を彷彿とさせ、音楽的にもファッション的にも時代の移り変わりを感じさせた。そして彼は演奏後、山下ら先人について「追いつけないようなレジェンド」とリスペクト。

坂本美雨

 続いて村上春樹、坂本美雨、小川哲によるトークセッションへ。自身も早稲田大学に通っていた村上は、学生時代からバリケード封鎖で自由がなかったそうで「大学に来た覚えがない。本を読んだりレコードを聴いたり、アルバイトとかデートの方が忙しかった。それよりもストリートで学んだことが多い」と語る。坂本美雨は父・坂本龍一から「僕はビビりだから後ろの方で叫んでいた」と運動の思い出を聞いたと明かした。

 また村上は「理想主義だった。頑張れば世の中はよくなる、という本能のようなもの」と闘争のモチベーションを分析。それが極端な内ゲバや連合赤軍事件に繋がったとしつつも、その信念の表出は評価しているようだった。

 ゲストとして登場した写真家・編集者の都築響一は当時の新宿駅や新宿Pit Innの写真とともに回想。当時の日本の理路整然としたデモの様子を見てジミ・ヘンドリックスが感動したというエピソードも飛び出す。

菊地成孔

 さらにジャズミュージシャンの菊地成孔も急遽登場。長らく親交のある山下との演奏スタイルをリズム面で発展させ「マルチBPM」という概念をも編み出した彼が、山下との活動や馴れ初めなどを語る。さらに山下について「長嶋茂雄みたいな人。難しいフリージャズをタモリさんや筒井康隆さんも入れて、お茶の間でポップに展開していった」と評した。

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