「2~3年後にはまた氷河期が来る」平成ノブシコブシ・徳井健太が語る、お笑いブームの現在地

 平成ノブシコブシ・徳井健太が著書『敗北からの芸人論』(新潮社)を刊行した。

 本著は、以前「週刊新潮」にて吉本芸人を題材としたコラムを執筆していた東野幸治から指名を受けて始めたネット連載を一冊にまとめたもの。徳井が実際に心揺さぶられた芸人や賞レース、バラエティ番組関係者への愛のある語り口と、お笑い界の荒波に揉まれた経験者ならではの説得力ある考察が話題を呼び、累計700万PVを突破した。

 「本当のことしか言えない。違うことが言えていたら、もっと売れていると思う」と本人が語るように、嘘偽りのなく伝えられる言葉は、売れたい、みんなに知られたいと葛藤する若手芸人たちに突き刺さるのだろう。ライブシーンでは数々の芸人から意見を求められる徳井に、本著や芸人への熱い思い、今後についてなど語ってもらった。(タカモトアキ)

全員、ラブレターのつもりで書いてる


――デイリー新潮での連載は、東野幸治さんからの指名がきっかけで始まったそうですね。

徳井健太(以下、徳井):嬉しい話ですけど、東野さんが直接連絡をくれたわけじゃないんで、いい「留守電」を聞いたような感じでした。東野さんが言って下さったならやるしかないし、ぶっちゃけ芸人のことを書くなら僕がいちばん向いているだろうと思ったので、がんばりました。

――以前、東野さんに「自分と似てる芸人さんを誰か挙げるとすれば?」と伺ったところ、しばらく考えて「徳井くんかなぁ」と答えていただいたことがありました。

徳井:いやぁ、そうなんだ。とても嬉しいです。『千鳥のクセがスゴいネタGP』(フジテレビ系)のYouTube版で『ノブコブ徳井のクセがトクいネタ WAKATE GP』をやらせてもらった際、例えばインディアンスのようにちゃんと面白いことをしている芸人に対してコメントするのは難しいな、みたいなことをぼんやりと思ったんです。そのあと、『あらびき団』(TBS系)を観てみたら、東野さんはゴールデン番組のMCとしてスムースな進行をやりつつ、出演者がちょっと嫌がるだろうなって思うような目線のコメントを言ったり、ゲストにコメントを振ったり……みたいな感じで1人3役くらいやってて、改めて東野さんのすごさや丁寧さを実感したんですよ。そんな東野さんと僕が似てるなんて全く思えないですけど……。レベルは全然違いますが、そう言ってもらえたのは素直に嬉しいです。

――本著は東野さんについても書かれていますが、芸人さんのみならず、バラエティ番組や『M-1グランプリ』、番組プロデューサーなどテーマは多様です。お笑い全体を題材として選んだのは、何か理由があったんですか?

徳井:芸人について書くのもバラエティについて書くのも、僕にとってあまり違いはなくて。劇場に出ている頃から愛のあるスタッフさんと仕事している時のほうがより楽しかったですし、東野さんは(どんなスタッフと巡り合えるかを)“旅だ”みたいに表現されていましたが、テレビでもお笑いに愛のあるスタッフさんと巡り合えるかって当然ながら大事なことなんですよ。だから、芸人を書くことはテレビ番組、そしてスタッフのことも書くことになるなと連載開始前から思っていたので、(お笑い全体を題材としたのは)自然な流れでした。

――書く題材は、どんなふうに決めていったんですか?

徳井:特に個人的な思い出が深くある方から書いていきました。というのは、最初、「東野さんの後が徳井さんで大丈夫かな……」と不安がる編集担当者さんから「どれくらい書けます?」って言われた時、安心させるために「無限に書けますよ」みたいなことを言ったんですけど、4000~5000字にもなると事実はもちろん、分厚いエピソードが必要というか、当然、テレビをただ観ているだけでは書けないんですよね。で、最初にタイトルを書いて、いつも書きたいことをわーっと書き出してから(それらの1つひとつに)順番をつけて、うまいことまとまるように書いてました。今思えば、あまり話したこともないコンビ、コウテイについてなんかは、よく書けたなと思いますよ(笑)。

――衝動的に書きたくなった?

徳井:そうですね。とにかくカッコよかったし、あいつら、仲悪かった時期もあるみたいで、うまくいかなくなったら解散しそうだから……。そういう時に(僕のコラムが)ストッパーになればいいなと思ったし、(世間から批判されたとしても)凹まないでほしいっていうエールを送りたかったんだと思います。

――すべての項目に愛が溢れていますが、題材となった芸人さんからレスポンスはありましたか。

徳井:全員、ラブレターのつもりで書いてるんですけど、特にジャングルポケットは太田に向けて書いたものだったんですよ。太田はどう見ても3人の中でいちばん苦労してますし、誰にも誉められてこなかった芸人人生だったはずなので。掲載されたあと、太田に「徳井さんのコラムを読みながら、酒を1杯飲みました」って言ってもらいました。あと、かまいたちの濱家から「読んでると、なんか泣きそうになるんですよね」って言われたのは嬉しかったですね。かまいたちは元々面白いけど、ある時から、売れるためにギアをチェンジしていて、それがカッコいいんだって伝えたかった。けど、僕が書かれた本人だったら、その意見を飲み込めるかどうかは正直不安だったんです。だって、売れるために変化するのはダサいっていう意見もあるじゃないですか。かまいたちの生き方がカッコいいなと思ったから取り上げたんですけど、うまく書けたか不安だなと思っていたら、濱家が誉めてくれたのであぁ、よかったなと安心しました。

ネタについてどうこう言うことは今後もない


――徳井さんはダウンタウンさんに憧れて芸人を目指したそうですが、NSC(吉本の養成所)に入って、自分の才能のなさに愕然としたそうですね。その後、向いてないと思いながらも、吉村さんと平成ノブシコブシを結成して活動するわけですけど、若手時代のモチベーションって一体なんだったんですか。

徳井:いやぁ……ただ辞めるタイミングを失っただけで、モチベーションなんてなかったですよ(笑)。強いて言うなら、吉村より面白くなりたい、面白くいたいっていうのと、芸人からバカにされない生き方をしようっていうのがモチベーションだったのかもしれないですね。

――若手の頃から、自分以外の芸人さんには嫉妬よりもリスペクトの気持ちのほうが大きかったんですか?

徳井:この連載を書くにあたって記憶を遡ってみると、そうだったんだと思います。昔、『プリプリプリンス』っていう、毎日いろんな芸人が新ネタを下ろす謎のライブがあったんですよ。で、週1くらいのペースで僕らも出てたんですけど、そこでエピソードトークした「ゆったり感」の中村に、そんなに仲よくなかったにもかかわらず、「面白いから、そういうのを毎回喋ってよ」って言ったみたいです。中村はその後、毎回エピソードトークを喋ってましたし、「徳井さんに言われたからずっとやってました」って言われました。

――ネタを観た芸人さん本人に直接、感想を伝えることは当時からしていたんですね。

徳井:元々、クラスでいちばん人気があった人間じゃなかったので、自分よりいいところとか面白いところが目に入りやすいんだと思います。一緒の舞台に出ていてもテレビを観ていても、こいつのこういうところがめちゃくちゃ面白いなと思ったら、本人によかったよって言いたくてしょうがなくなるんですよ。

――そうするうちに、徳井さん=若手にアドバイスする人みたいなポジションが確立されていったんですね。最初にテレビで取り上げられたのは、『333(トリオさん)』(注:パンサー、ジャングルポケット、ジューシーズという吉本に所属する3組のトリオによるバラエティ番組)だったと記憶しているんですが。

徳井:そうです。売れてもいない僕がえらそうにテレビでお笑いを語るっていうボケのつもりだったんですけど、『333』はそのあともずっと呼んでもらいましたし、あそこからほかの番組にも呼んでもらえるようになりました。けど、(意見を求められて)ネタに対して何か言ったことはほぼないですけどね、誉めることはあっても。

――なぜですか?

徳井:僕自身の経験で、自分たちのネタを他人から言われて変えて面白くなったことがないんですよ。吉村がファーストインプレッションで考えたぶっ飛んだ設定を、なんとかしようとしながらどんどん壊していく感じのネタが多かったんですけど、自分たちが面白いと思ったことは他人から何を言われても変えないほうがいいだろうなって。「ここって伝わりづらいですかね?」って聞かれたら答えられますけど、たとえ面白くなくても、それが2人の作品ならそのままのほうがいいかなと思うので、ネタについてどうこう言うことは今後もないですね。

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