「おいしい」だけが食事じゃない 異色のグルメ漫画『鬱ごはん』が思い出させる、食べることのやっかいさ

 20世紀には「グルメ漫画」がこれほどの一大ジャンルになるとは想像していなかった。

 料理人対決、食べ歩き、素人の家庭料理もの――今やどれをとっても料理の分野やシチュエーションが細分化し、多彩を極めている。近年は家族や友人との絆と食を関連づけた作品が増えた一方、「ひとり飯/ひとり飲み」を肯定的に描く作品が多いことには時代の空気を感じる。

 それでもすべてに共通するのは、「おいしい=幸せ」という感情が描かれることだった。

 だからこそ、食べることの「やっかいさ」にフォーカスした『鬱ごはん』(施川ユウキ)は数あるグルメ漫画の中でも異色中の異色作なのだ。

 主人公の鬱野たけしはフリーター。友人がなく一人で行動するのが常だ。食べることが嫌いなわけではなく、彼なりに「今の気分」に合う食べ物を選ぼうという意思はある。だが、予算は潤沢ではないし、自炊は気が向いたときにしかやらない。ファミレス、ファストフード、牛丼屋、中華屋etc.……コミュニケーションの苦手な彼が足を運ぶのはほぼチェーン店。ドラマ化もされたひとりメシ漫画の草分け的名作『孤独のグルメ』(原作・久住昌之/作画・谷口ジロー)の主人公が好んで初見の大衆食堂に入り、スマートにオーダーするのとは真逆である。

 チェーン店ならば、店の作法に気を配るストレスが少ない。それでもファミレスにドリンクだけで長逗留するのが気まずくて追加オーダーしなければと焦ったり、店員に「ごちそうさま」と声をかけるタイミングに悩んだりと、何かと「面倒臭さ」がついて回るのだが。

 第1話のエピソードで、牛丼チェーン店をあとに「不味くはなかったし満腹感も得られた」「だが作業工程のみ考えた場合 食事とは大層面倒臭い行為だ」(第1巻第1話P12)とひとりごちる鬱野の感想にハッとさせられたのは、その正直さゆえだ。

 筆者も食べることがふつう程度に好きではあるし、おいしいものを食べたい欲望はある。

 だが、「今日は何を食べようかなあ」とワクワクするばかりではなく、「めちゃくちゃおなかは減ったけど、特に食べたいものがない」ときもある。SNSでは多くの人が外食・内食問わず食べ物の写真をアップしては「おいしかった!」と連呼するけれど。

 己一人の中で「うん、普通だな」という正確で正直な感想を持つことは、決して不幸ではないのでは?

 「ハレとケ」はあまり使われなくなった言葉で、ともすれば「ハレ(非日常)」に対して「ケ(日常)」は忌まわしいものと誤解されている節があるかもしれない。鬱野の態度は、失われつつある「ケ」の感覚を思い出させてくれるのだ。

 食べ物、食べる行為をシニカルに見つめがちな鬱野も、ときには顔をほころばせることがあり、そんなときはちょっとうれしくなる。

 つまり、『鬱ごはん』は「ケ」の食事シーンを多めに切り取った作品なのだ。とすれば、多くの「おいしい」笑顔満載のグルメ漫画は「ハレ」の場面を編集したものということになるのかも⁉︎

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