冤罪事件が起こってしまう構造的問題とは? 作家・安東能明 × ジャーナリスト・清水潔 特別対談

想像以上に、確信犯的な操作が行われていた

――『殺人犯はここにいる』における、真相に近づいていく様子を生々しく描いた筆致も素晴らしいと思います。ノンフィクション作品を書く際に清水さんが意識していることは何でしょうか?

清水:いくつかのスタンスがあるんですよね。テレビのストレートニュースの原稿の場合は「○○県警によれば、容疑者は犯行を否認しているという」と事実だけを淡々と書き、自分の感情はまったく入れない。ドキュメンタリー番組になると、主にナレーションの部分で「もう一度、DNA鑑定をすべきではないだろうか」とか少し主張が入ってくる。月刊誌などにノンフィクション作品として掲載するとき、書籍としてまとめるときは、一人称を“私”にするのですが、それは「自分の感情、自分の脳内にあるものを書く」という決意表明であり、責任を持つという意味でもあるのです。そして読者に私とシンクロしてほしいんですよね。私が取材のなかで見たもの、知ったことを読者自身に実感してもらいたいので。意識的に感情を揺さぶるような書き方をしますし、実際「号泣した」「腹が立ってしょうがなかった」といった感想をもらうことも多いですね。

安東能明

――媒体によって、書き方が異なるというわけですね。『蚕の王』は正確な史実とフィクションがせめぎ合うような感覚も読みどころだと思います。

安東:実際に起きたことについては、地元の静岡新聞が当時、かなり大きく扱っていたんです。逮捕され、冤罪の被害者となった方のことも細かく書かれていたしーー無罪を勝ち取るまでに7年もの年月がかかったわけですがーーそれを参考にしながら書き進めました。弁護士の清瀬一郎(上告審から弁護団に加わり、無罪判決を勝ち取る中心となった人物)が検事、裁判官、被疑者、そして見物人とともに、夏の暑い日に二俣で実況見分を行ったことも事細かに報道されてましたし、「この場面では、こんな会話があったのでは」と想像しやすかったんですよね。

清水:取り調べの様子も細かく書かれてますね。取り調べは主に土蔵で行われ、「土蔵に電気を引いた」という記述もありますが、あれは創作なんですか?

安東:先ほど紹介した元刑事の手記に書かれていたんですよ。土蔵そのものは私も小さい頃から見ていましたし、描写はしやすかったですね。

清水:なるほど、だからリアルに感じられるんですね。冤罪を生み出す違法な取り調べの状況もよくわかりました。そういう部分は意外と見逃してしまいがちなんですが、きわめて丁寧に描かれていて、安東さんのこだわりを感じましたね。

安東:二俣事件の2年前に起きた「幸浦事件」も紅林が中心となって取り調べが行われたのですが、裁判で、被疑者の首に焼き火箸を当てる拷問が明らかになり、問題となった。なので二俣事件では、痕が残らないような拷問が行われていたようです。たとえば容疑者を正座させ、足の踵で太ももを殴る、布団で簀巻きにするといった方法ですね。

清水:そのやり方は「免田事件」(1948年)などともそっくりですね。とにかく自供さえ取ればいいという。

安東:そうですね。ただ、紅林麻雄という刑事に関しては、資料が非常に少なかったんです。週刊誌がスキャンダル的に扱った記事を手始めに取材を進めたところ、ようやく核心的な資料を発見しまして。それは大きな成果でしたし、「なるほど、これが冤罪事件の原因なのか」と腑に落ちました。その資料というのは、静岡県警が発行していた内部広報誌です。静岡の県立図書館で閲覧したのですが、二俣事件の2年後に起きた「御殿場事件」を総括した記事があって。そこに「新刑訴(新刑事訴訟法)の実施以来、我々の行う調査はややもすると推理操作をおろそかにし、現場鑑識によって得る証拠に頼る変異が生じているのではなかろうか」とあったんです。つまり、物理的な証拠に頼ってはダメだとはっきり書いてある。殺人のような重大な犯罪を犯すような人間は完全犯罪を狙っているのだから、証拠に頼っても検挙できない。では、どうするか。刑事が推理し、それに合わせた自供をさせる。それこそが推理証拠となる。そうしてでっち上げた自白調書をもとに紅林刑事が裁判所で滔々としゃべることが何度も繰り返されましたが、それこそが冤罪の根源だったのです。最初にこの資料を読んだときは、目を疑いましたけどね。こちらの想像以上に、確信犯的な操作が行われていたんだなと。

清水:当時は、その広報誌に書かれている考え方が当たり前だったのでしょうね。それを書いたのはおそらく警部補以上の立場の人間だったでしょうし、捜査員にもその考えが染みついていたんだと思います。

――紅林麻雄が「拷問王」と呼ばれ、数々の冤罪事件を引き起こしてしまった経緯、彼自身の変遷も『蚕の王』では生々しく綴られています。

安東:当初はそこまで詳しく書いていなかったのですが、担当編集者から「紅林の視点で書いてみてはどうですか?」と提案されて、なるほど、そうかと。紅林の心のなかで起きたことを書く方法もあったのですが、それをやると主観に満ちた表現になり過ぎると思い、第三者の視点で書くことにしました。紅林という刑事がなぜ、冤罪を数多く生み出すモンスターになってしまったか。もちろんすべてはわかりませんが、8割くらいは理解できた気がします。最大の転機は戦争中の「浜松事件」(1941年~42年)。この事件の捜査で手柄を上げ、検事総長から功労賞を受けたことで名刑事として脚光を浴び、調子に乗ってしまったんですね。周囲から“刑事の神様”ともてはやされる一方で、実際の捜査は困難を極める。しかし、解決しなければならない。そのプレッシャーから嘘八百の自白調書をでっち上げるようになり、どんどん冤罪を生み出してしまった。嘘でも何でもいいからとにかく起訴して、有罪に持ち込む。ただただ、その一心で突き進んだ人物だったんでしょう。当時の民衆の多くは、警察が逮捕した人間なのだから、犯人であるに決まっていると思い込んでいたというバックボーンも見逃せません。

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