なぜいま『赤ちゃんと僕』を読むべきか 「いろんな家庭」や「いろんな事情」を自分ごととして捉える契機に

 「いろんな家庭があるんです」

 これは、2020年3月、コロナ禍で小・中・高校の全国一斉臨時休校が実施された時に、学校の先生から何度も聞いたセリフだ。私立校はすぐにオンライン授業に切り替え、授業の遅れが発生しないように対応したが、公立校は「いろんな家庭」を考慮し、なかなか思い切った方向に舵を切れずにいた。

 公立と私立の間で学力の開きが出てしまう……。筆者は焦ったが、先生の言葉を聞いて、子どもの頃に読んだある漫画のことを思い出していた。1991年〜1997年に「花とゆめ」(白泉社)で連載されていた『赤ちゃんと僕』(羅川真里茂)だ。

 『赤ちゃんと僕』は、幸せな時間をぶち壊すかのように描かれる、乳幼児の鳴き声と共に幕を開ける。激しく泣く子どもをあやすのは、榎木拓也(小学5年生)だ。母親は1ヶ月前に交通事故で死んでしまった。まだまだ甘えたい盛りの拓也は、何の前触れもなく2歳の弟の面倒を見ながら、シングルファザーの父親をサポートする役回りとなった。今で言うところの、ヤングケアラーだ。

 物語は、拓也(小学5年)と実(2歳)、春美(33歳)の「榎木家」を中心としたファミリードラマで、榎木家以外にも個性的な家族が登場する。全体的に明るい雰囲気が漂う作品だが、筆者はいわゆる“中流家庭”を掘り下げた啓発漫画であると考えている。

いろんな家庭がある

 榎木家には母親がいない。拓也は弟の実を保育園に迎えに行き、父親が帰宅するまで面倒を見る。友人と一緒に遊ぶこともあるが、常に実と一緒だ。母親不在の不便さは随所で描かれている

 拓也の親友である後藤には、保育園に通う妹がいる。自営業の両親から妹の面倒をみるように命じられ、後藤も拓也同様に常に妹と行動を共にしている。後藤は拓也ほど妹のケアに熱心なわけではなく、兄弟として一定の距離をとっている。

 その他、6人兄弟の4番目である藤井昭広(ふじいあきひろ)や、婦人警官の母とスナック店長の両親をもつ森口仁志(もりぐちひとし)、二世帯住宅の木村一家などが脇を固める。

 そして、どの家庭も個性的でそれなりに事情を抱えているのが丁寧に描かれている。そのため、子どもたちが何らかの問題に直面したときに、捉え方や解決方法が異なっていても、あの家のああいった背景を持つ子どもだから、こういった考え方につながるのか、と理解しやすくなっている。誰1人として同じでない反応をし、時に共感できなかったとしても、彼らの背景を知れば受け入れざるをえない。本シリーズを読んでいると、知らず知らずのうちに、インクルーシブな考えが育つ。

前衛的な問題提起漫画

 『赤ちゃんと僕』は、各家庭の違いから来る認識だけでなく、それぞれが抱えている悩みも掘り下げる。死別、できちゃった婚、高齢出産、勘当、性、育児ノイローゼ、虐待、離婚、犯罪などなど……。言い出したらキリがないが、筆者の中で最も印象深かったのが、男児の第二次性徴である夢精をテーマにした話だ。

 ある少年が起床時に異変を感じるが、それが何からきているものなのかは分からない。彼は、自分が自分でなくなってしまうような恐怖と不安にかられ、思い悩む。紆余曲折を経て、少年は体の変化と成長を理解し、受け入れる内容だ。

 この作品で筆者が注目したのは、母親はちゃんと男児の体の成長を理解しており、「そういうものだ」と受け入れていることと、母親の「女の子みたいだからさ〜」という、作者によるセリフ以外の書き込みだ。

 親は子どもの成長を喜んでいる一方で、いつまでも子どもでいて欲しいという相反する願望を持っている。自分の手から離れていってしまう寂しさからきている感情だが、この気持ちを子どもが敏感に察知してしまうと、自分の体が成長していくことに罪悪感を覚えたり、親に報告しづらくなってしまう。

 筆者も親に第二次性徴を伝えられなかった子どもの1人だった。一人娘で極端に体が小さく、親からはもちろん同級生からも小さい子扱いされていた筆者は、みんなを悲しませたりがっかりさせてしまうと考え、自分の体に起こった変化を受け入れられなかった。親に伝えられず、先に友人に相談した。

 夢精の話を読んで、心の準備ができたり、親との関係が変わったりしたわけではない。元に私はこの話を読んでいたけれど、登場人物と同じように悩んでいた。しかし、登場人物が悩んでいる姿をみて、誰もが悩むことなのだ、と悩みを共感してもらえたような気がしていた。

 この話は頭から離れず、子どもができたら心と体の成長を妨げないような付き合いをしたいと思っていた。子どもの頃に読んだ内容が、約30年の時を経て子育ての指針になっている。

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