『ハコヅメ』はなぜ常に「今」がいちばんおもしろい? すべての道筋が伏線となる化学反応
ドラマの主軸となった、とある警察官のひき逃げ事件。岡島県警史上最大の薬物摘発・奥岡島事件。コミカルに描かれる日常の隙間を縫って、ときおり、シリアスな事件シリーズが何話にもわたって描かれるけれど、それらはすべて、突発的に起きたものではない。予兆はすべて1巻から断続的に仕込まれており、読み逃してしまいそうなほどささいなセリフや登場人物の言動、すべてが伏線だったのだとわかるたび、ぞくぞくしてしまう。警察をやめるまで、マンガを描くことはおろか、読んだ経験も多くはなかったという泰が、いったいどうすればこれほどの作品を描くことができるのか。
本当にこの人は天才なんじゃないかと読めば読むほど震えてしまうが、きっと、泰のなかではすべてのキャラクターが生きているからなんだろうな、と思う。ほんの一瞬、登場したキャラクターでさえ、自分だけの人生を背負っている。交錯した数だけ、物語も増える。だからどんなときも『ハコヅメ』は「今」がいちばんおもしろいのである。たどってきたすべての道筋が伏線になって、思いもよらぬ化学反応が起きて、未来を形作っていくから。
20巻では、川合と藤が勤務する交番所長・伊ケ崎警部補の過去がどうやら明かされるらしい。自分がラクをするためなら全力を尽くすという伊ケ崎は、当初、平々凡々としたおっちゃんとして描かれていた。けれどふとした瞬間に見せる鋭いまなざし、あまりに手際のいい仕事ぶり、そして中盤で明かされた秘匿捜査員を経験していた過去など、たびたび描かれてきた思わせぶりな描写が、どんなふうに結実するのか。1巻から何度も読み返しつつ、刊行にそなえたい。