辻村深月が初の長編ホラー作品『闇祓』で目指した表現「様式美を踏襲しながら新しいものを」

 「闇ハラ」(闇ハラスメント)。それは、精神・心が闇の状態にあることから生じる、自分の事情や思いなどを一方的に相手に押しつけ、不快にさせる言動・行為を意味する。初のホラー長編となる『闇祓(やみはら)』(KADOKAWA)で、辻村深月はその言葉を生み出した。セクハラ、マタハラ、アカハラ……既存の〇〇ハラにはあたらないけれど、何かしらのハラスメントだと感じるそのふるまいに、無縁な人間はいない。闇ハラを通じてコミュニティを崩壊させ、悪意によって死を誘うおそろしい人々を描いた同作について、話を聞いた。(立花もも)

人間関係をベースにしたホラー

『闇祓(やみはら)』

――はじめて出会ったはずの男の子が、転校してきて以来、暗い雰囲気でなぜだかじっと見つめてきて、恐る恐る話しかけてみたら唐突に「今日、家に行っていい?」と聞く。転校生・白石要から逃げる女子高生・原野澪を描いた第一章は、率直に、めちゃくちゃ気持ち悪いし怖いなと思いました。

辻村深月(以下、辻村):第一章の前半を担当編集者に渡したときも「もう本当に気持ち悪い、ありえない!」という反応が返ってきました(笑)。澪が「セクハラではないかもしれないけど、何かハラにはあたるんじゃないか」と怯える場面がありますが、この小説の構想を考えている当時、似たような話をよく聞いたんですよね。つまり、ものすごく理不尽な目にあわされたり、心がザラッとするようなことを言われたりしたんだけれど、相手が職場の人でもなければ恋人や友人、家族でもないために、自分の感情も状況もうまく言語化できない、というようなことを。

――たしかに、ハラスメントって、何かしらの関係性が築かれている場所で起きがちなことですもんね。セクハラは、通りすがりの他人に対しても通用する言葉かもしれないけど、マタハラやアカハラ、モラハラといったものは、たいてい閉ざされたコミュニティのなかで生まれる。

辻村:そうなんです。でも話を聞きながら、確実に何かハラにはあたるな、と思ったときに、このモヤモヤを上手に名づけることができたら小説のテーマとして扱うに足るものになるのではないかと感じました。


――それで、「闇ハラスメント」と。

辻村:名付けたあと、それでは「闇ハラ」はどんな場所で起きるのだろうと考えて、まずは高校というシチュエーションを選んでみることにしました。ふだん私が学校を舞台にするときは、どちらかというと現実の十代のリアルな感情に軸足を置いた青春小説を描くことが多いのですが、同じ学園モノでも逃げ場のないホラー作品としての恐怖を……それも理解しがたい存在が忍び寄ってくる恐怖を描いてみたら、読者の方も「いつもと違う!」って面白がってくれるんじゃないかな、と。実際、雑誌に連載していたときは、『映画ドラえもん のび太の月面探査記』の脚本を書いていた頃でもあって、「『ドラえもん』に登場する転校生はめちゃくちゃカッコいいのに、こちらの転校生は同じ作者が書いているのに全然ちがう」と言われ、うれしかったです。

――要の距離感のなさからくる気持ち悪さと恐怖は、味わったことのある人も多いでしょうから、よけいにぞっとしますよね。さらに、要から助けてもらったことで、憧れの先輩・神原一太と急接近できて喜んだのもつかのま、思いも寄らない恐怖がまた澪を襲うという……。

辻村:怪異の、有機的ではない怖さと異質感をしっかり立ちあがらせたかった一方で、言葉が通じるはずなのに何かがおかしい、コミュニケーションが歪んで何もかもうまくいかなくなっていく、という共同体のなかで発生する怖さも、今作ではしっかり描きたいと思いました。先ほども言ったとおり、ハラスメントって基本的には関係性のなかで起きるもの。つまり、相手の論理に密室のなかで巻き込まれていくことなんだろうなと思うんです。

――密室のなか。

辻村:恋人同士のモラハラは、一対一の閉ざされた関係性で悪化していきますよね。二章では団地を舞台にママ友関係を描いていますが、親しくしていたママ友が亡くなってしまって、遺族は身内だけでひっそり弔いたいと言っているのに「最後にお顔が見たいわよね」とLINEが送られてくる。それに同調するやりとりや、不謹慎にスタンプを送りあうことがよしとされる関係もまた、ひとつの密室じゃないかと思うんです。きのうまで和やかな関係を築いていて、大好きだったはずの相手であっても、たった一日で支配関係が生じてしまい、恐怖の対象になることもある。逆にその密室を抜けたとたん、敵だと思っていた相手に対する見方が変わって、安心感を覚えることもある……。そういう感情の動きに私はデビュー当時から興味をもってきて、これまでも書いてきたのかもしれない、と思うんです。

――デビュー作の『冷たい校舎の時は止まる』も、校舎から出られなくなってしまった高校生たちの物語でしたよね。密室のなかで、密接な関係が浮き彫りになって、感情が揺れ動いていくという。

辻村:以前は、一人ひとりの感情を丁寧に説明しなければ、その揺らぎを描けないと思っていたのですが、人の気持ちはいつだって真逆に変わってもいい、それは現金でも薄情なことでもないんだ、ということを潔く書けるようになった今だからこそ、今作のようにスピード感のある展開で、物語を進められたのかなと思います。三章の主人公・鈴木俊哉は、「あの人が課長だったらよかったのに」と思っていた人が課長になるたび、「あの人じゃダメだ」と文句を言いはじめますが、その変わり身のはやさに共感する人もひそかにたくさんいると思うんですよね。自分にはずっと責任がなくて、常にまわりが全部悪いと思っている感じも。すべてを書き込まなくてもきっと伝わるだろう、と読者を信頼する書きかたを覚えていったことが、今回のような人間関係をベースにしたホラーでは役に立ったのかもしれません。

――たしかに、「なんかわかる」の連続が、本作のぞわっとした感じを引き立てていました。そしてわかるからこそ……隙をつかれた人々が闇に呑み込まれていってしまう姿が、リアルに感じられて。〈あいつらが来ると、人が死ぬ。〉と帯には書かれていますが、読者である自分も、いつ呑まれてもおかしくないという怖さもありました。

辻村:この小説は、わりと誰もが身に覚えのあることが書いてあると思うんです。なにかしら、された覚えがあるし、した覚えもある。闇ハラの芽は誰もがもっているし、このおそろしい状況はどんなコミュニティにだって起こりうるんだ、という恐怖に迫ることができたのは新鮮でした。もともと、ある人々がやってくるとその共同体が壊れて人が死ぬ、という話を想定していたのですが、共同体が壊れるきっかけになることの一つが、他者との境界線が曖昧になっていくことだと思うんです。作中に登場するある人は、自分を同化させるやりくちを熟知しているから、気づかないうちに相手の判断力を鈍らせ、自我を失わせ、闇に呑み込ませてしまった。……怖いですよね。私も、書きながら人間不信になりそうに(笑)。編集者が原稿を褒めてくれるだけで「私も相手に何かを強要しているのかもしれない」と怯えたり、逆に「私を神輿にのせて担いで、ある日突然手を離すのかもしれない」と疑ったり。

――(笑)。でもよく考えたら、ハラスメントも最初は悪気のないコミュニケーションから起きていたりしますよね。二章に登場する沢渡夫妻……主人公の三木島梨津が越してきた団地のリノベーションをしたデザイナー夫婦ですが、絶対王者のように君臨してはいるものの、別に悪意があるわけじゃない。恩恵を授かっている限りは、ママ友たちも多少窮屈でも問題はないわけで……でも、ふとした拍子にその窮屈さが暴力に変わってしまうという。

辻村:そうなんですよね。いったんそのコミュニティに属してしまうと、はたから見たらどんなに滑稽なことでも、守るべき常識になってしまうので、疑うということもしなくなっていく。新参者の梨津は「こんなのおかしい」と思っているけれど、他者の承認欲求と支配を人より敏感に感じとってしまうということは、実は彼女にもその萌芽があるということなんです。元アナウンサーで「知性のリッツ」と呼ばれていた彼女もまた、他者から憧れられる存在である以上、その窮屈さを生み出す側にまわりかねない……。

――加害者と被害者は紙一重、という感じもまた、この小説のおそろしいところですよね……。ネタバレを避けるため詳しくは書けませんが、どんな共同体においても、かわりのきかない存在なんて実は一人もいないし、私たちが信じている人間関係の絆や正しさなんてものは、すべて意味のないものなんじゃないかと思わされるところは、社会派ホラーでもあるなと思いました。

辻村:わ、うれしい。ありがとうございます。目的ではなく手段が暴走すると個が失われていってしまうこと、そして誰もが自分だけは代替不可能な存在だと思っていることの都合のよさやグロテスクさのようなものを、無意識に感じとっていたからこそ、このテーマに踏み込んだのかもしれないと、書き終えたあとに思いました。

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