『あたしンち』は令和になってどう変化した? 『あたしンちSUPER』に見る、新しい家族のかたち

 2021年11月5日、漫画『あたしンち』の続編となる作品『あたしンちSUPER』の第1巻が発売された。20年以上の連載を経て21巻まで出版されたコミックスの巻数はリセットされ、タイトルに「SUPER」という単語が加えられた。

 タイトルが新しくなった本作は、これまでの『あたしンち』とはなにが異なる作品なのか。本稿では『あたしンちSUPER』の変化を考察したい。

時代を登場人物に投影し続けてきた『あたしンち』

 『あたしンち』は東京の集合住宅に住む「母」と「父」、その子どもにあたる女子高生「みかん」と男子中学生「ユズヒコ」の日常を描いた物語だ。1994年に読売新聞で連載を開始し、1995年にはこれまでのエピソードを収録したコミックスが発売された。2002年になるとアニメ『あたしンち』(テレビ朝日系)の放送が開始され、ふたつの映画作品も公開された漫画である。

 2012年に読売新聞での連載を終了し、2015年に最終巻となる『あたしンち』21巻が発売された。しかし2019年には週刊誌『AERA』での連載を開始。2021年にコミックス『あたしンちSUPER』の第1巻が発売されたのである。

 6年振りに発売された『あたしンちSUPER』では、スマートフォンを用いてネットで話題になった動画を見る母や、料理のオンライン注文サービスを利用しようとする父の姿が見られた。

 またクラスメイトと共にマスクをした女性がきれいに見える理由を考察するユズヒコや、友人の「しみちゃん」にあげるためにマスクを裁縫する「みかん」の様子も目にすることができる。令和を迎えてから身近になったものが登場するエピソードや、コロナ禍の影響が表れた日常は、これまでの『あたしンち』では見られなかった光景である。

 しかし『あたしンち』第16巻の「NO.30(第30話)」では、母がママ友の「水島さん」や「戸山さん」と共にパソコンでTwitterを楽しむ姿が描かれており、2012年に出版された18巻「NO.38」ではみかんの通う高校に勤める「宮嶋先生」が、震災の存在を感じさせる心の声を思い浮かべている。

 これまでの『あたしンち』も掲載された時代を登場人物の日常に投影してきた作品であり、作中で令和特有の光景やコロナ禍に関する事象が描かれたことは『あたしンちSUPER』特有の変化とはいいがたい。

『あたしンち』から変化したもの

 時代を映し続けてきた『あたしンち』であるが、『あたしンちSUPER』1巻の「#1(第1話)」を見たとき、筆者は少し違和感を覚えた。このエピソードではクリスマスイブの夕食に、おでんを食卓にあげる様子が描かれた。みかんやユズヒコ、そして父は、クリスマスイブの夕食がなぜおでんなのかと不思議に思う。しかし丸い大根や玉子、じゃがいもをクリスマスツリーの装飾品に例えたり、ちくわぶをお星さまみたいと笑顔で話す母の姿を見て、3人が笑顔を浮かべる様子が見られた。

 また「#41」では、雨の苦手な母が必死の形相で傘についた水滴を「ばばばばば!」と激しく落とす姿が描かれており、それを見たユズヒコが大声で笑う様子も目にすることができる。

 これまでの『あたしンち』では、少し変わった価値観をもつ母に対し、家族が疑問や不満を抱き、あきれた表情を浮かべたり、ときに口喧嘩をする様子が多く見られた。

 例えば、母が夕食として刺身とカレーライスを食卓にあげ、家族から料理の組み合わせが合わないと言われる10巻「NO.14」や、お弁当箱に敷き詰められたお好み焼きだけのお昼ご飯に対し、みかんが母に文句を言う様子が描かれた20巻「NO.13」。

 音楽プレーヤーがほしいと話すみかんが、母に「音楽がほしけりゃ自分で歌えばいいじゃない!」と一喝され、お母さんの頭の中には500曲以上入っている、好きな曲を一発で出せてシャッフルもできると話す母を「原始人」と称する17巻「NO.16」などーー。ユズヒコから母にまつわる話を聞き、友人の「藤野」が笑う構図もなじみ深いものであろう。

 しかし『あたしンちSUPER』1巻では家族が母に対する不満をこぼすシーンはほとんど見られず、口喧嘩をするシーンはまったく登場しない。それどころか、母の行動に家族が笑いを覚える様子が数多く見られたのである。

 少し可笑しな母に対する家族の振る舞いこそ、本作がこれまでの『あたしンち』から変化したもののひとつだと言えるだろう(もちろん、不満をこぼさず、口喧嘩をしないタチバナ家だから良いと言いたいわけではない)。読者が息をする時代を映し続けてきた『あたしンち』にとって、本作の1巻はタチバナ家のかたちも変化していることを象徴する1冊であったと感じる。

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