『コロナと漫画』編者が語る、フィクションの重要性 漫画は“不要不急”なのか

 漫画編集者、ライターとして活動している島田一志による漫画家へのインタビュー集『コロナと漫画〜7人の漫画家が語るパンデミックと創作』(小学館クリエイティブ)が9月29日に発売された。同書内でインタビューに答えているのは、ちばてつや、浅野いにお、高橋留美子、あだち充、藤田和日郎、細野不二彦、さいとう・たかをの7名(インタビュー収録順)。長年にわたり、世代を超えて愛される作品を世に届けてきた人気漫画家たちだ。

 新型コロナウイルスが猛威を振るい始めたとき、娯楽に対するうしろめたさを感じる人は少なくなかった。漫画だけでなく、映画や音楽など、エンタメ業界全体が苦境に立たされていたのも事実だ。「コロナ禍のいま、漫画は不要不急なのか」。先の見えない時代のなか、創作活動を続ける7名のリアルな想いを聞き、島田一志は「コロナと漫画」の在り方をどう捉えたのだろうか。本書を上梓するに至った思いも含めて、話を聞いた。(とり)

漫画家たちが考える「コロナと漫画」

――本書で最初に目を引いたのは、取材日と取材方法が記載されていることでした。

島田:そこに気づいてもらえてうれしいです。もちろん、本書は“コロナ禍のいま”を生きる読者に向けて編んだものではありますが、10年後、20年後にはまた違う意味を持つような気もしていますので。ですから、日付はもちろん、リモートで取材したのか、対面で取材したのかについては、きちんと明記しておくべきだろうと考えたんです。いずれにしても、多忙ななか、取材を受けてくださった先生方には感謝の気持ちでいっぱいですね。

――いまも第一線で活躍し続けている先生方のコロナ禍における葛藤や、漫画への熱い想いを改めて聞くと、込み上げてくるものがありました。

島田:そうですね。なかでも印象的だったのは、高橋留美子先生が、「震災やパンデミックの被害にあった人たちは、笑ってはいけないのか」とおっしゃっていたことでしょうか。我々ができることは、被害にあった人たちの悲しみに寄り添いつつも、漫画を描いて娯楽を届けることではないだろうか、と。自分の漫画を読んでいるあいだだけでも、楽しいひとときを過ごしてほしい。それは、漫画家として当然の想いですよね。

 もちろん、漫画を描くうえで避けなければならない表現もあると思います。高橋先生も、3・11の震災のあとはしばらく津波の絵を描くことができなかったそうですし、藤田和日郎先生も似たようなことをおっしゃっていました。とはいえ、一切その悲しみに触れないのではなく、“こんな状況だからこそ描ける漫画を描く”ことが漫画家の役割であるというのは、高橋先生、藤田先生以外の先生方にも共通した意識のようです。私も長いあいだ漫画業界で仕事をしてきましたが、みなさんからお話を伺うなかで改めて、漫画や物語の在り方を再認識できた気がしました。

――あだち充先生の甲子園に対する想いを改めて知れたのもよかったです。昨年5月、月刊漫画雑誌「ゲッサン」で連載中だった『MIX』の休載(現在は連載再開)が発表されたときも、あだち先生にとって、毎年開催されていた夏の甲子園大会の存在がいかに創作と結びついていたのかを感じましたし。

島田:そういう意味でも、あだち先生へのインタビューからは、コロナに対する怒りややり切れなさみたいなものが、本書のなかで一番滲み出ているかもしれません。

 自然災害や戦争などと違って、コロナによる被害はなかなか目視しづらいもの。どういう状況が収束なのかもハッキリしていないからこそ、いま、何ができるのかを自分に問うことが重要で。そこで、あだち先生のようなベテラン作家があえて休載を決断し、自ら考える時間を設けたということは、長年高校野球を描いてきた漫画家として、とても真摯な態度だと思いました。これまで当たり前だったものが当たり前でなくなった時代に、どう物語と向き合うかということですね。

――それに対して、浅野いにお先生のインタビューは迷いがないというか、まっすぐでしたよね。

島田:ええ。何が起きても自分は漫画を描くしかないのだと。ちなみに浅野先生は本書に登場していただいた漫画家の中では一番若い方なのですが、それゆえ、かなりクールな答えが返ってくるかなと思いながら取材したんですけど、結果的には、他の6人と同じような熱い考えをお持ちでした。繰り返しになりますが、「どんな状況でも、漫画家なら漫画を描くしかない」ということです。それは彼がいま描いている『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』(以下、『デデデデ』)にもよく表れていると思います。

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