怪異蒐集家・中山市朗が語るコロナ禍と怪談 「平和な世の中だからこそ恐怖が楽しめる」

 怪異蒐集家・中山市朗の最新作『怪談狩り 黒いバス』(角川ホラー文庫)が8月に発売され、話題になった。本作は、2年ぶりに刊行された『怪談狩り』シリーズの第7弾。副題となっている「黒いバス」のほか、実話をもとに執筆された怪談噺が61編収録されている。

 本作の見どころは、さまざまな短編のなかに登場する「黒いバス」の存在。時期も違えば、場所も違う。果たして本当に、全く繋がりのない人間が、同様の不気味なバスに出くわす体験をしているものなのだろうか……。また、見えないウイルスとの戦いを強いられたコロナ禍において、同じく実体のない恐怖を語る怪談の立ち位置とは。改めて、怪談の本質的な面白さと未来について聞いた。(とり)

物語の原点にある怪談

『怪談狩り 黒いバス』

――本作では、複数話に登場する黒いバスの存在が印象的でした。違う人の話なのに、一本軸となって繋がっている感じが非常に不気味で。このように、いろんな人の話のなかで似たような実体験を聞くことは、よくあることなんでしょうか?

中山:長年怪談を集めていますけど、今回の黒いバスのような話には初めて出会いました。体験者の境遇はバラバラなのに話の骨格には共通点があるという。不思議ですよね。それに、ひとつひとつの話が何年にもわたる長さで、僕の手に余るくらいどれも複雑で。どう表現すれば、リアルな実話として伝わるか執筆には悩みましたが、最終的にはうまく一冊にまとめられたと思っています。

編集:その似たような怪談が中山さんのところに集まってくることにも不思議な力を感じました。似ているようで、1話ごとに微妙な違いがあるのも、妙にリアルですよね。あるひとつの場所で、複数の人が似たような体験をした話はよく聞きますが、黒いバスに関しては、時期も場所も違いますから。

――たくさん怪談を集められてきた中山さんでさえも、初めて聞くパターンの怪談があるんですね。

中山:怪談を集めていて面白いのはそこなんですよ。次から次へと「へぇ、そんな話あるんや」ってのがどんどん積み重なっていく。それを収集して、どう表現しようかって考えるのが、僕自身の楽しみでもありますし。

 言うても、馬鹿馬鹿しい話じゃないですか。僕だから普通に聞いていましたけど、例え家族であっても、こういった話をしても、たいてい「あり得へんわ」「頭おかしいんちゃう?」という反応が返ってくるでしょう。だからうずもれた話はいっぱいありそう。そう思うと、まだ誰の耳にも触れていないだけの怪談が日本各地にあるような気もしますよね。まだまだ聞いたことないパターンの方が多いかもしれない。

――本作には、61編もの怪談が収録されていますが、これらはいつ頃の時期に収集した怪談なんですか?

中山:全部バラバラです。聞いた話は全部ノートにまとめているんですよ。そこから怪談噺として作品にできそうな話を、なるべくバラエティに富んだ感じで選ぶんです。だから、随分前にお聞きした話を今になって収録することもあれば、最近聞いた話を用いることもありますね。

 本作の場合、黒いバスの話が集まった時点で、これがメインになるやろうなって思いましたけど(笑)。でも基本的には、一冊にするうえでのテーマ軸はあまり考えずに、典型的な幽霊話から妖怪話、神様にまつわる話など、目新しいのを選びますかね。やっぱり神様が出てくる話は面白いなぁ、なんて思いながら。

――やはり日本人の感覚としては、どうしても「神の祟り」というような現象に対する恐怖心があるのでしょうか。

中山:僕は、怪異というものに関しては懐疑主義です。ただ、言霊として呪いや祟りっていうのはあるんじゃないかと思っていて。特に日本人は、神社に行ってお参りをしたり、絵馬に願い事を書いたりするじゃないですか。みんな自覚していないだけで、どこかで神様の存在を信じているというか、共存感覚みたいなのはあるんでしょうね。古代史を振り返っても、日本人はずっと神様と共に生活してきていますから。

 そういう意味でも、何を信じて、何に恐怖を覚えてきたのか。これまで日本人は、どんな歴史を歩み、どんな生活を嗜んできたのか。日本人的な脳の仕組みや、日本人そのものを考えるのに怪談ってすごく適しているんですよね。最近、海外の怪談を耳にすることもありますが、日本の怪談がいちばん面白いですしね。

――僕も以前、アメリカの怪談を集めた本を買って読んでみたんです。日本の怪談とは違った大胆なオチに驚きましたね。地域ごとの恐怖感覚や語り継がれる怪談の違いはとても興味深かったです。

中山:聞くところによると、東欧ではいまだに吸血鬼の話が囁かれているそうです。吸血鬼なんて、なかなか日本では聞かないですよね。それと中国は、共産主義社会だから神の存在や怪談が語り継がれにくくなっているんです。文化大革命が起こらなければ、もっと面白い怪談がいっぱい残っていたんじゃないかとは、思ってしまいますよね。

――とはいえ、一部の地域でヒッソリと語り継がれている怪談があってもおかしくはないですよね。

中山:ホラー映画『リング』(1998年)の脚本家、高橋洋さんは大学でロシア文学を専攻されて、ロシアがソ連だった頃、共産主義の国じゃないですか? でも田舎の方に行くと、まるで映画『魔女伝説ヴィー』みたいな幽霊やお化けの話がいっぱい語り継がれていたらしいんですよ。それを聞いて、人間ってのは未知なるものに対する好奇心があるんだなと。見たことのないものを見ようとする癖は普遍的な感覚なんだと思いました。

――見たことのないものに対して恐怖心を抱くのは、人間らしい反応ですよね。

中山:そうそう。そもそも人間が他の動物と違うのは、言語と知性を持っているところで。恐らく言語を得た大昔の人間は、その言語を使って、目には見えない神や霊について語ったんじゃなかろうかと思うわけです。それを物語軸にして語り継ぐことで、後世の人々が不可思議なことを想像して、さまざまな神話や叙事詩へと繋がっていったんだと。

 落語もそうだと思います。生前、よく怪談噺をされていた露の五郎兵衛さんという上方落語の方がおられましたけど、「落語はもともと、おかしな笑い話よりも怪談からはじまったと思いまっせ」とおっしゃっていましたし。

――それは興味深いですね。

中山:もっと昔に遡れば、日本最古の正史といわれる『日本書紀』でも、黄泉の国に行ったり、ヤマタノオロチが出てきたり、結構怪談っぽい話が多いですよね。平安末期に編纂されたとされる『今昔物語』も鬼が出たり、狐に化かされたり、死んだ人間が出てきたり、半分くらいは不可思議話。神話も落語も含め、物語の原点は目に見えないものへの関心、つまり怪談やと思うんです。でも、あんまり怖い話ばかりしていても間が持たないので、クスクス笑える話なんかも挟むようになって、今あるようなさまざまなジャンルの物語が生まれたのではないかなと。これは、僕が勝手に思っているだけですけどね。

コロナ禍での怪談語り

――今回、コロナ禍での執筆作業となりましたが、普段と違う感覚はありましたか?

中山:原稿を書くのはひとりなので、そこは変わらないです。まぁ、気軽に「ほな、飲みに行こか〜」って発散できないのは辛いですよね。自分でも信じられないですよ。ここ2年ほど、誰とも居酒屋に行っていない事実が(笑)。あと怪談界でいうと、ネットで怪談を配信する人が増えましたね。

――YouTubeでは急に怪談師が増えましたね。

中山:怪談語りは伝統芸ではないですから。落語と違って師匠のもとに弟子入りする必要もないですし、どんどんいろんな方が出てくるのは、いいことでもあるのかなぁと。ただ最近、みなさんが語られている怪談スタイルの走りは、北野誠さんや僕だと思うんですけどね。

 確か最初は、北野さんと竹内義和さんがパーソナリティをされていた朝日放送の『誠のサイキック青年団』というラジオ番組の怪談特集で、ゲストに呼んでもらったとき。ふたりがトークしている間に入って、「そういえば、こんな話があってね……」と怪談語りをしていて。その延長で、北野さんとはよく怪談ライブをやっていたんです。怖い話だけじゃ2〜3時間も持たないので、ラジオと同じく雑談ベースに怪談を交えていくスタイルで、最後はちゃんと怖い話で締めていました。例えば、稲川淳二さんは独特なスタイルで怪談語りをされていますけど、この僕らのスタイルは、今の人たちにも真似しやすいんじゃないですかね。

――以前、中山さんの怪談会に参加させてもらったとき、語り慣れている人よりも、素人の拙い語りの方がリアルに感じられて怖かったのを思い出しました。

中山:怪談を語る難しさってそこなんですよね。話がうまいから怖いんじゃなく、若干詰まったり、記憶が曖昧だったりして、話が整理されていないことが真実味を生むということは確実にあるので。目の前で怪奇現象が起こっているのを、しげしげと観察する人なんていないですしね。僕はお金をもらって語っている人間なので、うまく喋りすぎんように、かと言って下手になりすぎんようにしていますけど、その塩梅は難しいですね。

――今はその怪談会もライブもなかなかできない状況です。

中山:昨年は僕の怪談(作家)生活30周年の節目だったので、ホテルを貸し切って大きめのイベントをやろうって話が出ていたんですけど、全部取りやめました。仕方のないこととはいえ、寂しいですよねぇ。怪談を語るだけなら配信でやりゃいいじゃんって声もあって、何度かやりましたけど、なかなか手応えがないです(笑)。

――中山さんの怪談ライブは、会場にいるお客さんとのコミュニケーションがあってこそ成立するものだと思いますし、配信だと感覚が違いますよね。ライブだと、お客さんの表情を伺って、次に話す怪談を変更されることもあるでしょうし。

中山:そんなの、しょっちゅうですよ(笑)。事前にある程度の流れを想定して、いくつかの怪談を用意しますけど、毎回3分の2くらいは準備していたのと違う話をしています。お笑いライブみたいに笑い声が漏れるわけじゃないので、空気を察知するんです。「なんちゅう話をしてんねん」とお客さんが引いたなと思ったら、笑いを交えたり、その反応を見て「じゃあ次はこの話をしようか」と構成を変えたりして。それがライブの楽しさですよね。

 あと、11年前から不定期で開催し続けている「Dark night」という怪談ライブは、終電がなくなる時間にスタートして、始発が出る頃に終わるというパターンでやることが多くて。ライブが終わったあとは、お客さん同士で朝までやっている居酒屋に寄って、怪談の情報交換をやっていたそうなんですよね。怪談ライブ自体も楽しいけど、最後にお客さん同士で語りあうのも毎回楽しみなんだって方もいらっしゃって。それも、今は居酒屋が閉まっているからできないじゃないですか。オンラインでの怪談ライブが終わったあとに、そのまま軽く「カンパーイ」なんてやるんだけど、それはちょっと違うじゃない(笑)。

――そうですね(笑)。この機会にYouTubeから怪談語りにハマって、中山さんの著書や怪談ライブに興味を持つ方が増えるといいですね。

中山:うん、そうなると嬉しいですね。

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