『三体』劉 慈欣×大森 望 対談 「空間や時間がどれだけ拡大しても、わたしたちはちっぽけな存在」

『死神永生』について

大森 望氏

大森:第三巻の『死神永生』についていくつかうかがいたいと思います。多くの日本の読者は、これから初めて第三部を読むことになりますが、いきなりコンスタンティノープル陥落のシーンからはじまるのでびっくりするのではないかと思います。この時代をオープニングに選んだ理由はあるのでしょうか。

劉:のちの四次元や多次元、地球の衝突という展開の伏線にあたるシーンですね。ローマ帝国、あるいは東ローマ帝国はすごく繁栄した帝国で、長期にわたって存在したにもかかわらず、最終的には滅亡した。そのことを最初に持ってきたかったんです。どんなに長い歴史があったとしても終わりがある。決して永遠なものはないということです。いまの人類の歴史に対するちょっとしたヒントでもありますね。

 補足ですが、すべての文学的な題材の中で、SFだけが歴史の終わりをきちんとはっきり書けるのではないかと思っています。SF小説の中で、歴史が終わるとか、ひとつの文明が終わることを書くことは可能ですが、これは悲劇として書いているわけではなく、かならず発生すること。すべての人には終わりがあるのだけども、それは悲劇ではないということです。

大森 『死神永生』では歴史の終わり、人類文明の滅亡、太陽系の滅亡がたいへん美しく詩的に描かれていると思います。三部作を通しても、もっとも印象的なシーンのひとつですね。《三体》三部作では、終末決戦のような破壊の場面や、太陽系の二次元化のようなシーンを、壮大なスペクタクルとして華麗かつリアルに描く点が特徴だと思うんですが、そこに関していちばん苦労したことはなんでしょうか。

劉:『死神永生』では、多くの滅亡の場面が出てきます。しかも、なにかの一部だけの滅亡ではなく、大々的な滅亡です。もっともこれは、SFではよく扱われるテーマだとは思いますが……。

 わたしが苦労したのは、滅亡していくなかでの詩的な感覚です。大々的な滅亡であり、大いなる悲劇であり、すべての命が消えていくのだけども、なぜか美しく詩的で、残酷なのだけどポエジーがあるというように描くことに苦労しました。

大森:作中では、ゴッホの『星月夜』がたいへん効果的に使われていますね。非常に美しいシーンで、日本の読者にも強い印象を与えるのではないかと思いました。

劉:この絵は、初めて見たときのことを印象深く覚えています。とても興味があったんです。ゴッホはなぜこのような絵を描いたのだろうと。SF小説のファンとして、もしかしたら画家はこれを未来の宇宙で見てきて描いたのではないかと思い、そこからインスピレーションを得たんです。あの絵を見て、宇宙の天体がなぜこれほどまでに大きいのだろうか、この絵の中でなぜこんなに大きく描かれているのだろうか、と不思議に思いました。天体の質量が変わるわけではないので、SF作家として解釈すると、「これは三次元が二次元に変わったからこんな状態になったのではないか」と思ったんです。だとしたら、ものすごい恐怖ですよね。ゴッホは宇宙の次元がひとつ減ったところを描いたのではないかと思って、あのシーンを書いたんです。

大森:なるほど、主人公の程心が作中で思うことは、劉さんの実感だったんですね。『死神永生』では、その二次元化攻撃が、大きな核のひとつになっています。これは、第一部の『三体』を最初に書いたときから、こういうふうにして太陽系を滅亡させようと考えていたんでしょうか。

劉:はい、考えていました。第一部の最初を書き始めたときに第三部も終わっていました。じつは、第一部を書き終えたときに、第三部の二次元化による滅亡の話をうっかりバラしてしまったことがあったんです(笑)。浙江省の杭州で友人と酒を飲んでいたとき、杭州を壊滅させるのにはどうしたらいいかという話になりました。杭州は絹がとても有名な場所なので、絹の中に落とし込んでしまえばいいのではないか、ひいては、織物ではなく、絹の糸一本に、町を落とし込めばいいんじゃないかという話をしたんです。そのあと、相手はどうやらそのことを忘れてしまったらしいんですが、『死神永生』を読んで思い出したそうです(笑)。

大森:まさかそれが、三部作を締めくくるネタになろうとは。相手のかたは、さぞかし読んでびっくりしたでしょうね。一方、日本の読者の中には、『黒暗森林』のラストが非常に美しく鮮やかに決まっているので、もうこれで終わりでいいんじゃないかとか、このあといったいどうやって続けるのかという声が多かったんです。それに対して、中国の読者は、『死神永生』の滅亡シーンがトラウマになっている人が多いのか、日本の読者に向かって、SNS上で、「これから覚悟して第三部を読め」とか、「震えて待て」とかコメントしていました(笑)。中国ではこのラストはショッキングにとらえられたということでしょうか。

劉:たぶん、その中国の読者たちは、異星人との接触というのがいままで自分たちが経験してきた災難とは異なる、いままでの常識で考えられないものだったから衝撃を受けたのだと思います。異星人の持っている力が、わたしたちの想像をはるかに超えてくるということで、大きな衝撃を受けたのではないでしょうか。ただ、滅亡ということ自体は、中国のSF作品でも数多くありますし、中国のSF読者の人たちも知らないわけではないと思います。

 別の角度からいうと、中国の読者に、「世界最後の日」を受け入れさせるのはとても難しいんです。中国の文化に「最後の日」という概念がないんです。仏教は最後が存在せず死んでも輪廻するので、本当の最後ではない。しいていえば滅亡というのは、キリスト教から中国に入ってきた考え方ではないかと。滅亡という概念をSFという空想の中で考えるしかないので、中国の読者が最後の日を受け入れるのは難しいのではないでしょうか。第三部でことごとく滅亡してしまうのは、大きな驚きだったのではないかと思います。

大森:日本の読者が実際に『死神永生』をどう受けとめるかが楽しみですね。そういう破壊の要素とは対照的に、『死神永生』では、ラブストーリーの要素も強いですね。全体を通して、程心と雲天明の恋愛が軸になっているともいえます。こうした恋愛要素は、劉さんにとってはテーマのひとつなのか、それともSF的な物語を描くための道具なのか、どちらなのでしょうか。

劉:恋愛は、伝統的な文学、あるいは現実を描いた小説の中では、永遠のテーマとして数千年にわたって描かれてきました。しかし、SF小説の中では、恋愛の要素は薄いと思っています。SF小説のスパンは時間軸でみても空間軸でみてもあまりに大きすぎるので、その中でたったふたりの恋愛というのは、必然的に小さくなります。ただ、『死神永生』では、現実の伝統的な恋愛を、ものすごく長い時間軸と巨大な空間の中に努力して落とし込んでいます。これだけ長い時間軸からみると、わたしたちはとてもちっぽけな存在だなと思います。時間軸がこれだけ長大になったからといって愛情も大きくなるかというと、そうではないからです。ほかの小説では、愛は偉大だというようなことが出てきますが、それとはちょっと違うかなと思います。空間や時間がどれだけ拡大しても、わたしたちはちっぽけな存在なのだということが書きたかったのです。

大森:日本の読者にとって『死神永生』の中でとくに印象的なキャラクターは、ソフォン=智子だと思います。着物姿でお茶を点てたり、ニンジャ装束で日本刀をふるったり、その日本的なファッションが目を惹きますが、日本の読者に読まれることは想定されていましたか。

劉:特に複雑な理由はなく、智子はもともと中国語からきている言葉なんです。それがたまたま日本人の女の子の名前みたいだったというだけですね。

大森:たまたま日本人みたいな名前だったから日本風のファッションにされたということですか。

劉:もともと中国語で「知恵のある粒子」みたいな意味の言葉があって、それが省略されて智子になったんです。それが日本人の女の子の名前のように響くということですね。

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