宝塚歌劇団はなぜ100年を超えて生き残っている? 元総支配人が語る、ウィズコロナのエンタメ産業のあり方

 阪急電鉄が1914年に設立した宝塚歌劇団は、創設から100年以上経つ今も人気が衰える気配をまったく見せない。阪急はほとんどプロモーションコストをかけていないのにチケットは常に入手困難になるほど、強固なファンダムが形成されている。そしてその宝塚のビジネスモデルは、ウィズコロナの時代にヒントになるものだという――かつて宝塚総支配人を務め、現在は阪南大学流通学部准教授である森下信雄氏に、新刊『宝塚歌劇団の経営学』の内容を踏まえつつ、ビジネス面から見た宝塚の特徴とその強みについて訊いた。

60年間単独事業としては赤字だったが、『ベルばら』で大転換

森下信雄氏

――宝塚歌劇団は1914年の設立以来、74年に『ベルサイユのばら』がヒットする以前はずっと赤字だったそうですね。やはりそこが最大の転換点ですか?

森下:宝塚大劇場は阪急宝塚線の終点駅に存在しますが、阪急の本業は鉄道事業です。ではなぜ設立したのか。阪急東宝グループの創業者である小林一三が芸術に造詣が深かったということももちろんありますが、阪神電鉄が阪神タイガースを抱えているのと同様に、宝塚歌劇ももともとは沿線への旅客誘致を目的に作られました。ですから宝塚をもともと単独事業として成立させることには会社としてはあまり関心がなかったのです。今では上場企業に何か赤字事業があると株主から突き上げられますが、かつてはおおらかでした。もっとも、赤字といっても宝塚大劇場は自社の土地・建物でやっているものでしたから、ある程度コントロールが効くものでもあった。

 宝塚は長い間そうした沿線ユーザーを対象とした限られたマーケットを相手に運営していたんですね。ところが突然変異的に現れた『ベルばら』によって、マンガのファンが一気に宝塚の世界に入ってきた。そして他の作品も観ることでたくさんの方が男役の魅力に取り憑かれていきました。

――『ベルばら』成功のあとに何か危機はありましたか?

森下:『ベルばら』以前はトップスターの方のファンといってもいわば身内みたいな距離感、節度を保って付き合ってくださっていましたが、そういう前提を共有しない新しいお客さんが一挙に入ってきたことで、改めてスターを守る体制が必要になりました。そこで元からのファンの方々が秩序を守るためにスターごとのファンクラブを自然発生的に立ち上げることで、劇場内のマネジメントは阪急、劇場外はファンクラブが担うという独特のかたちが成立したといわれています。阪急がチケットをファンクラブに対して優先配分し、ファンクラブは一定数を買い取る――阪急サイドからすれば広告宣伝費をかけずに安定的にチケットがはける状態になる――ことを条件に、阪急とファンクラブの共存関係が起こります。

――阪急が公式で用意したファンクラブではなく、ファンが自発的に作った組織がそこまで力を持っているのは日本の芸能、エンタメの世界では珍しいですよね。

森下:ファンクラブがスターのガード役を担うことになったプロセスはなかなか解明しきれていない部分もありますが、阪急としてはそれまで事業として単体で成立させるつもりはなく、劇場外のことまで含めたタレントビジネスなのだという認識が当時薄かったがゆえに、棲み分けしていくことになったのかもしれません。