『鬼滅の刃』“かまぼこ隊”の魅力とは? 支え合う人間関係が教えてくれること

 さて、そんな三人だが、彼らの個性の強さは言うまでもない。炭治郎は正義感も責任感も強く、曲がったことは許せない、まさに頑固一徹。その“頭の硬さ”ゆえに、ときに思考が柔軟性に欠けることもある。善逸は臆病者で、敵前逃亡とまでは言わずとも、敵を前にして腰が抜けてしまうこともあった。伊之助はもっとも好戦的で、山育ちに由来する“動物的勘”が先んじて、状況を早合点してしまう性質がある。この三者三様のキャラクター性は表立ったもので、標準スタイルだが、その場に応じて関係性が瞬時に転換することもある。これは何を意味しているのだろうか?

 弱っているとき、怒っているとき、悲しみにくれているとき……あるいは楽しくて仕方がないとき、人はしばしば自分を見失う。この事実を前提としたうえで“かまぼこ隊”を見ると、彼らは自在に立場を転換し、自然と“支え合う関係性”を保っているように思える。その場その場でのそれぞれの足りないものを、互いに補い合っている印象だ。柔軟に立場を転換できる人間関係の大切さを、この三人はその身をもって示しているように思うのである。それがときとして、“ボケ”と“ツッコミ”の関係に見られることがあれば、まだ若い彼らの精神的な成長面においても見受けられるのだ。

 たとえばいま話題の映画「無限列車編」でいえば、強敵・猗窩座を前にして崩れた煉獄さんを囲んで、炭治郎が取り乱す場面がある。読者である私たちでさえそうだったのだから、彼の胸中は計り知れない。ここで炭治郎は自身の弱さに打ちのめされている。この弱さとは、肉体的な弱さだけでなく、無力さを知った己の自信の喪失からくる精神的な弱さでもあった。“かまぼこ隊”のリーダー的な存在といえば、やはり炭治郎。しかしここでは、炭治郎の強靭な心が折れかけてしまうのだ。

 そんな炭治郎を必死に鼓舞したのが伊之助。ふだんは「猪突猛進」が口グセの、自分勝手な彼が、である。それに善逸も続くかたちとなった。三人ともが洪水のように涙を流しているのは、感情を共有し合っている証でもあるはず。もちろんこのような互いに影響し合う関係は、その後の展開にも反映されていく。いざというときに善逸は、恐怖心を払拭する踏ん張りを見せるし、伊之助は、より人間らしい感情や情緒といったものを知るようになる。この二人がいるからこそ、炭治郎はまるで“長男”のような役割を果たすこともあるのだ。この関係性がもっとも顕著に描かれているのが、やはり「無限列車編」なのだろう。

 壮大な物語が紡がれる『鬼滅の刃』。その中心に立つ“かまぼこ隊”の関係性にフォーカスしてみても、なぜ本作がこんなにも支持されているのか、その理由が自ずと見えてくるような気がする。

■折田侑駿
1990年生まれ。文筆家。主な守備範囲は、映画、演劇、俳優、服飾、酒場など。最も好きな監督は増村保造。Twitter

■書籍情報
『鬼滅の刃』既刊22巻
著者:吾峠呼世晴
出版社:集英社
価格:各440円(税別)
公式ポータルサイト:https://kimetsu.com/

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