人は笑い、泣いて、生きるーー『鋼の錬金術師』に込められたシンプルなメッセージ
全ての命は大切である、という当然のこと
「命をどうこうするという点ではタッカー氏の行為も我々の立場も大した差はないということだ」
エドを国家錬金術師に推した人物でもあるロイ・マスタングの言葉だ。国家錬金術師は人間兵器であり、手を汚すことも厭わない。結果的にはショウ・タッカーとやっていることは変わらない。そう話す彼も、自身の親友が殺されたときは「(エルリック兄弟が)母親を錬成しようとした気持ちが分かる」と涙をこぼした。
例えば、事故が起こったことを伝えるニュースで「○名が死亡」と数字で伝えられる。しかし、それは誰かにとってはかけがえのない人で「亡くなりました」の一言では済まされないはずだ。多くの人が突然大切な人を奪われたときに、生き返らせるかもしれない術を持っていたとしたら、どうにかして試そうとするのではないか。今すぐには無理だとしても、「いつか生き返らせることができるかもしれない」と期待を抱けば、それが自分の生きる支えにになる。
「命は大切に」「誰かの命を奪うようなことがあってはならない」。それは『鋼の錬金術師』において間違いなく重要なメッセージだ。また、新しい命が生まれる出産のシーンが描かれることで、生命の誕生の感動も描かれている。しかし同時に、理(ことわり)に逆らって生き返らせようとすることもまた、命に対する禁忌なのである。
人はみな生きて、食べて、笑う
『鋼の錬金術師』はジャンルとしてはダークファンタジーに分類されているが、ポップなシーンも多い。悲しいばかりではなく、大いに食べるし、笑うし、泣いて、親しい人とケンカもする。
人間は悲しいことがあったからと言って、ずっと泣いているわけではない。エルリック兄弟は母を亡くし、自分たちは罪を犯し、肉体を奪われた。彼らの幼なじみのウィンリィは医者だった両親を内乱で亡くしている。エルリック兄弟の師匠は我が子を流産で亡くし、人体錬成を試みてその代償として内臓のいくつかを奪われた。
彼らのやりとりはシリアスなときもあるけれど、基本は明るく、笑いも多い。これは荒川弘氏の作風によるところも大きいのだろうが、人は生きていればさまざまな感情に突き動かされ、行動する。肉体だけではなく、心があるから、「人間」なのだ。
命があるからこそ生活がある。大切な人を守りたいから生きる。壮大なダークファンタジーが伝えるのは、日常では忘れてしまいがちなそんなシンプルなことなのかもしれない。
(文=ふくだりょうこ(@pukuryo))
■書籍情報
『鋼の錬金術師』(ガンガンコミックス)27巻完結
著者:荒川弘
出版社:スクウェア・エニックス
ガンガンONLINE『鋼の錬金術師』サイト