澁澤龍彥の名著『高丘親王航海記』はコミカライズでどう生まれ変わった? 漫画家・近藤ようこの手腕
北鎌倉の小高い山の中腹にいまもある、白い瀟洒(しょうしゃ)な館の奥の部屋――古今東西の書物や珍奇なオブジェに囲まれた妖しげな書斎に、その人はいた。澁澤龍彥。マルキ・ド・サドやジャン・コクトーの翻訳者、黒魔術や秘密結社といった西洋の闇の歴史を日本に紹介した評論家、そして、おとぎ話とも随筆ともつかないなんとも夢のような物語の数々を紡いだ小説家として知られる、唯一無二の文学者である。
澁澤龍彥集大成的作品のコミカライズ
絶筆は『高丘親王航海記』(1987年)。安展、円覚、秋丸(のちに春丸)という3人の従者を連れて天竺を目指す高丘親王(平城帝の皇子)の冒険を描いた物語だが、珠、石、鏡、怪物、奇形、奇人、悪女、少年、少女、アナクロニズム、エクゾティシズム、南方志向、旅、博物学、入れ子構造、円環構造、性のとりかえ、夢――と、作者がそれまでさまざまな評論や随筆で繰り返し採り上げてきた、お気に入りのモチーフやテーマがふんだんに織り込まれている、まさに澁澤文学の集大成的な作品だ。
ちなみにこの天竺を目指す高丘親王一行だが、広州の港を出発したのち、船で海に出るたびに強い風に流されて、つまり、南の海をひたすらぐるぐるとまわるばかりで(その都度、海沿いの奇妙な国に立ち寄りもするので)、いつまで経っても目的の場所へ辿り着くことができない。さらには作中で描かれているエピソードの多くは、現実に起きたことではなく、旅の途中で親王が見た夢やその夢の中で見た夢の話だったりする。
これは円環構造や入れ子構造、そして夢というモチーフを生涯好んだ澁澤ならではの物語の作り方だといえるが、残念ながら旅の最後に高丘親王が自らの足で天竺の地を踏むことはない。それがどういうことなのかは実際に本を読んでいただくほかないが、かといって、主人公が志半ばで倒れたりする“悲劇”として終わるわけでもないので、ご安心を。
ある夢の場面で、高丘親王は、師である空海からこんなことをいわれる。「あなたは天竺に至ろうとして至りえず、しばらく南海諸国を歴訪なさらなければならないという、思いがけない幸運にさえめぐまれますぞ」と。何かの目的を持って遠くへ移動することを「旅」というのだろうが、目的地に「至ろうとして至りえ」ないことが、なぜ「思いがけない幸運」なのか、ぜひ本書を読んで考えてみてほしい。
さて、この『高丘親王航海記』をいま、近藤ようこが美しいタッチで漫画にしているのをご存じだろうか(現在、『月刊コミックビーム』にて連載中)。先ごろ第1巻と第2巻が同時発売されたばかりだが、これがなんというか、描き手の並々ならぬ意欲を感じさせてくれる熱のこもった力作だ。
もともと近藤ようこといえば、オリジナル作品だけでなく、夏目漱石の『夢十夜』や折口信夫の『死者の書』、坂口安吾の『夜長姫と耳男』、『桜の森の満開の下』といった幻想文学(とその周辺)のコミカライズでも知られている漫画家である。だから今回、我が国の幻想文学の最高峰といっていい『高丘親王航海記』の漫画化に彼女が挑戦したというのは、ある意味では自然な流れだったかもしれない。だが、ちょっと意地の悪い書き方をさせてもらえば、すべての澁澤ファンが、今回の漫画化を望んでいたわけではなかっただろう。むしろいまでも、「漫画なんかにしてくれるな」と思っている古くからの読者も少なくないのではないだろうか。
でも、そんな人たちにこそ、この漫画版を読んでほしいと私は切に願う。きっと漫画という表現ジャンルに対する偏見や先入観は、最初の4ページを読んだだけで吹き飛んでしまうはずだから。私もそれなりに澁澤の本を読み込んでいるほうだと思うが、初めて近藤版の『高丘親王航海記』を目にした際、あまりにもそれまで頭の中で思い描いていた原作のイメージ通りだったので、心底驚いた。それくらい、本作は澁澤の文章が持つあの蟲惑的な雰囲気を、漫画としてうまく再現しているといっていい。
さらにいえば、本来、澁澤文学を視覚化するならば、装飾過多なマニエリスムの絵画のようなビジュアルが合っているのではないかと思うのだが、意外にもその対極にあるといっていい、平面的で線が少なく「白い」近藤の絵柄のほうが、この「全体が夢みたいな物語」については相性がいいということもよくわかる。特に、謎めいた後宮の房室で、高丘親王が目にする「世にもめずらしい女」の姿にショックを受ける人も少なくないと思うが、これなどは、ヘタに描き込んだ劇画調のリアルな絵ではなく、近藤の行間を読ませる「白い」絵柄だったからこそ表現できた「怖い絵」だとはいえないだろうか。