梨木香歩が語る、“チーム自分”を持つことの大切さ 「本当の身の丈を決められるのは自分しかいない」

「王様は裸だ」と言える力

ーー今回の本を読んでスイッチが入った人は、今度は『僕は、そして僕たちはどう生きるか』を読みたくなると思います。先ほど「コペル君にとってのおじさんに当たる人が自分にはいなかった」とおっしゃいましたが、梨木さんご自身の14歳の時はどんなふうでしたか?

梨木:遥か昔過ぎて記憶が(笑)……。今から考えると、自分の世界を確立するのに必死だったと思います。とりあえずは本を読もうと。本は好きでした。

ーー個人的なことでとても恐縮ですが、5歳の娘がいまして、絵本は好きなんですが、言葉が出るのが遅かったんですね。だいぶ話すようになりましたが、たぶんいまでも「普通」の子よりは流暢に話していないと思います。そんな中、いま「発達障害」の概念がすごい流通していて、書店でもタイトルに「発達障害」の入った本が多く、ちょっとした「発達障害バブル」になっています。そうした奔流というか洪水に少し手を伸ばしては同時に呆然としてしまう日々なんですが、「言葉」というものについて、幼いうちはこういうことが大事なんじゃないか、というお考えがありますか?

梨木:私が今まで生きてきた経験で言いますと、小さい頃、なかなか言葉が出なかったお子さんは、言葉に対して独自の感受性を持っていることが多いです。なまじ受け売りでスムーズに話せてしまう子よりも、もっと深い所で発してくる気がします。正岡子規も4歳までしゃべらなかったといいますしね。

 そして、「発達障害」や「高機能自閉症」という概念について最近すごく言われるようになってきたのは、もしかしたら社会が今、それを必要としているからなんじゃないか、とも思うんです。

ーー社会が必要としている?

梨木:発達障害とされる人たちは空気を読めない、あるいは読まないですよね? 空気を読めない子どもたちこそ、今の社会には必要なんじゃないか。これ、私はほぼ確信しています。例えばグレタ・トゥーンベリさんだって、社会がああいう方を必要としているんだと思います。よくぞ出てきてくださったと思います。

 それと、今までことさら取り沙汰されてこなかったことが今問題になっているという側面は大きくて、社会のほうが異様になってきているんだと思います。世界の寛容さが失われている。コロナのこともそうです。村社会ってほんとに良いようにも悪いようにも機能しますね。村八分のようなことも起きてしまう一方、ちょっと変わったおじさん、おばさんも許容されて生きていける村もあった。今は一様に「あそこでコロナが出た」と言ったらものすごい誹謗中傷ですよね。

 子どもに関しては「王様は裸だ」と言える力というか、言葉あしらいに幻惑されない、感じたままにまっすぐ見る能力がとても大事だと思います。ただしそこにあまりにも縛られて行使し過ぎてしまうと、「あなたはこうなんでしょう」と暴き立てて得意になってしまう方向に行き、周りとの関係を壊してしまいます。そこはなんとか周りがサポートしてあげて、相手を傷つけず、自分の考えも大切に持てるようにしたい。そこはサポートする親の側にもスキルやいろいろなレベルアップが要求されるように思います。

ーーそしていま、コロナ禍の中、子どもたちはなかなか外に出られず、友だちや他人もそうですが、人間ならざるもの、動物や植物、自然に触れる機会が圧倒的に少なくなってしまっています。

梨木:「自然」って、人間の中にもあるんですね。私たちは人間に生まれたからまず命として人間を考えますが、それを中心にして思いを周りに敷衍していけると思います。環境や他の動植物を人間のことを考えるのと同じように思う方向に。「ヒューマニズム」というと「人間中心主義」として諸悪の根源みたいに響いてしまうこともありますが、それはつきつめれば「大切に思うちから」ではないのか。人間を大切にできない人が自然だけ大切にできるわけがありません。人間を本当に大切にできれば、自然や動物、植物も大切に思うようになれると思います。

 愛情の総量を増やしていくことだと思うんです。大切に思うちからを強くしていく。だから自分自身もないがしろにしないし、他人も自然も大事にする。それはうすっぺらな博愛主義ではなく、もっと積極的で熱量のあるもの。今の時代、なにか決定的に足りない熱量がある気がします。

ーーおっしゃるように「ヒューマニズム」は浅薄な人間中心主義としてのみ理解され、最も忌避すべき言葉=概念になっていると思います。

梨木:自分の内側から「ほんとにそうなんだよな」と突き抜けてくるようなもので、ヒューマニズムそのものも私は進化できるものだと思います。それをバカにするのは、自分たちの生きる先行きを否定するようなものです。まあ、青臭すぎて、まるで水戸黄門の印籠を出すようなかっこわるさを感じるのはわかりますが、その先に進める議論のあり方もあるんじゃないか。その言葉が出てきたらすべて思考停止じゃなくて、もうちょっと深める努力が、これからの私たちにできればいいなと思っていますし、私自身はそうしたいと思っています。

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