カツセマサヒコが語る、初の長編小説への想い 「この小説では誰も成長していない。でも、それでもいいんじゃないかと思えた」

 Twitterでの”妄想ツイート”が話題となり現在フォロワーは14万人を突破。これまで140字で人々を魅了し続けたカツセマサヒコが自身初となる長編小説『明け方の若者たち』(幻冬舎)をリリースする。安達祐実、尾崎世界観、村山由佳、紗倉まなという著名人からの推薦コメントや、発売前重版など話題となっている本作。今回、カツセマサヒコに作品の内容から、執筆のきっかけや小説への憧れ、Twitterと小説の執筆方法の違いなどを語ってもらった。さらに、小説内に出てくる楽曲、インスパイアされた楽曲について、カツセマサヒコ本人による解説を掲載。(編集部)

ちゃんと小説を書きたかった

――カツセさんの初小説『明け方の若者たち』には、安達祐実さん、尾崎世界観さん、村山由佳さん、紗倉まなさんといったさまざまな分野の著名人から推薦コメントが寄せられ、発売前重版が決まり、Amazon日本文学ランキングで一時的に1位を獲得するなど注目を集めています。

カツセマサヒコ(以下、カツセ):ありがとうございます。ランキングなどはあんまり見ないほうがいいと言われているので、チェックしていないんですが……(笑)。僕としては「長かった!」って印象です。最初に幻冬舎さんからお声がけいただいたのは、2年半も前なので。

――もともと小説を書いてみたい、という想いはあったんですか。

カツセ:憧れてはいたんですけど、人生で一冊くらい書けたらいいなあ、くらいでした。ありがたいことに、Twitterを見て「本を出しませんか」とお声がけくださる出版社は何社もあったんですが、僕のツイートをまとめようという企画ばかりで。今まで無料で公開していたものを1000円以上の値段をつけて売り出す、というのはなんとなく居心地が悪かったし、中学生の頃から、兄が小説家になりたいと言ってなにかしらを書いている姿を見ていたので、「本を出す」というのはとても高尚なことなのだというイメージがインプットされていたんですよね。本棚にも、田中芳樹さんをはじめとするSF小説や、村山由佳さんの「おいしいコーヒーのいれ方」シリーズ、宗田理さんの「ぼくら」シリーズといった、何十年も読み継がれている作品が並んでいましたし。兄だけでなく、世の中には作家になりたい人たちがごまんといるのだから、出版するからには「ちゃんと書かなきゃ」って想いが強かった。そんななか、「小説を」と言ってくださった幻冬舎さんのもとで、腰をすえてとりかかることにしたんです。

――お兄さんは、刊行を聞いてなんと?

カツセ:それが、LINEで知らせはしたんですけど、まだ直接会ってなくて……。よかったな、とは言ってくれていますが、内心どうなんでしょうね。手放しで喜んではいないよなあと思うんですが、昔から「兄弟といえど他人同士」と言ってお互いにいい距離感で切磋琢磨してきた感覚があるので、読んでくれたらいいなあと思いますね。少なくとも、兄に恥じないように、という想いがあったから書きあげられた作品だと思うので。

独立起業は“アガリ”じゃない

――主人公は「何かをつくりたい」と思って印刷会社に就職したものの、総務課に配属されて夢を見失っている青年です。その経歴は、カツセさんご自身を髣髴とさせるものですが……。

カツセ:私小説のつもりはないけれど、新人にできることは限られているので、過去の経験や記憶を膨らませることで、物語にしていきました。最初は“自分”と離れた作品を書きたいって思ったんですよ。Twitterのフォロワー数がどれだけ多くても、小説家としてはド新人なわけだし、書店に並んだら「誰?」って思う人のほうが明らかに多い。だからこそ、Twitterのカツセマサヒコっぽくない作品で勝負してもいいかも、って。でも、あるとき作家の先輩に言われたんです。「お前が好きなミスチルだって、最初に『深海』を出していたら売れてなかったかもしれない。『イノセントワールド』や『Atomic Heart』を経ての『深海』だからより広い層に受け入れられたんじゃないのか」って。確かにな、と思いました。だから、一作目はちゃんとホームランを打ちにいこう、インターネットの人としてのカツセマサヒコを知っている人たちにもまっすぐ届く物語にしよう、と決めて、20代の青春譚を書くことにしたんです。

――読んでいて、私小説という感じがしなかったのは、主人公の“僕”と対比的に、同期の尚人が描かれているからだと思います。やがてクリエイティブを求めて会社を辞める彼のほうが、どちらかというと今のカツセさんに近い。でも、本作の主人公はあくまで、会社に残ってくすぶりながらも働き続ける“僕”のほうです。

カツセ:あのとき会社を辞めなかったらどうなっていたんだろう?というタラレバの人生を書いてみたかったんですよね。僕は今、フリーランスの編集・ライターとして働いていて、はたからみると自由でやりがいのある仕事を謳歌しているように見えるかもしれない。実際、転職・独立に憧れている人は多いし、「フリーランスって一つのアガリでしょ」みたいな言い方をされることも少なくない。でも、全然そんなことないんですよ。「こんなはずじゃなかった」って今でもどこかで思っているし、僕から見て眩しく輝いている人でも、思いどおりの人生を歩んでいるなんてことはめったにない。そういう現実も、ちゃんと描きたかったんです。

――「打席に立たないと、始まらないじゃん」と尚人は転職していったけれど、それに倣おうとした主人公が肩透かしをくらうところが好きでした。〈草野球よりも不整備なバッターボックスに立った僕には、デッドボールみたいな球しか飛んでこなかった〉という一文も。よく、チャンスには乗れとか、冒険しろとか言いますけど、いきなりくる“いい話”はたいてい胡散臭いですからね。

カツセ:そうそう(笑)。もちろん主人公がやる気になって一歩踏み出す物語もいいんですけど、簡単に成功しちゃったら、読者が裏切られた気持ちにもなるんじゃないかなと思って。小説のセオリーは主人公が成長することだ、といろんな本に書いてあったんですが、この小説ではわりと誰も成長していない。でも、それでもいいんじゃないかなあ、と書いていくうちに思いました。何者にもなれない、成長もしない、そのままでも肯定される人生がエンタメとしての物語になってもいいかなあ、って。

――それは、ライターとしてさまざまな人と出会った経験から得た実感ですか?

カツセ:というよりも、総務部で働いた経験が生きていますね。クリエイティブな部署ではなかったけれど、かわりに、いろんな人の人生を見ることができたんです。尚人のように転職したい社員が退職願いを持ってくるのは総務部ですし、早期退職希望者の面談先も、総務部です。「農業をやりたい」と辞めていった人が、半年後に、農業なんてかすりもしない職業で働いていた、なんてケースもよくあって。その時は並々ならぬ覚悟で道を決めたはずなのに、その先で正解を見つけられずに方向転換するなんてことはよくある話で、独立も転職も、一見輝かしい門出のようで案外そうでもないし、わかりやすい勝ち組に“アガ”れる人なんてほとんどいないんだってことを描きたかったんだと思います。

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