メイクする自由、しなければならない不自由ーーTwitterで話題『だから私はメイクする』を読んで

おしゃれとは誰のためにするのか

 安野モヨコの『X-GIRLの血は騒ぐ』という短編漫画(『カメレオン・アーミー』所収、祥伝社刊)があるのだが、主人公のライバルは「愛されるためにおしゃれする」と言い、主人公はそれを「甘い。それは誰のためでもない、自分のため」と言い切り、ファッションコンテストで「オンリーミー!」と叫びながら凄まじい格好で登場する。

 かつてこれを読んだ筆者はこの言葉に大変勇気づけられたのだった。学生だった筆者は、当時せっせとバイトしたお金でアレクサンダー・マックイーンの14万のベージュ色のスーツを買ったことがある。コットン生地のソフトな素材で、上から下まで完全にベージュ。「どこで着るんだ、そんなもん」とさんざん周囲から突っ込まれたし、実際に数えるほどしか着る機会はなかった。

 でも、自分は楽しかったのだ。誰も持っていなさそうな服を所有していることが楽しかった。他の誰のためでもない、「オンリーミー」のために買ったのである。『X-GIRLの血は騒ぐ』はそんな自分を肯定してくれた漫画だった。

 劇団雌猫原案、シバタヒカリ漫画の『だから私はメイクする』を読んで、そのことを思い出した。おしゃれとは自分のためにする自由な権利なのだということを。同時に、服や髪型だけではなく、メイクという男性が持っていないおしゃれの手段があることを羨ましいと感じた。

すっぴんは白いキャンパス、思うままに自己表現していい

 漫画『だから私はメイクする』は、メイクを楽しむ様々な女性たちの喜びや悩みをオムニバス形式で綴った短編集だ。他者からキレイに思われるためにしていると(とりわけ男性から)勘違いされがちなメイクというものを、様々な確度から「自分のために楽しむもの」だということを物語形式で描いている。

 Chapter.1の主人公、笑子は高校時代にメイクに目覚め、大学生の頃には久しぶりに会った友人に「誰?」と突っ込まれるほどメイクにのめり込んでいる。すっぴんを見た彼氏から別れを切り出されても落ち込まない。メイクしている普段のあだ名が「マリー・アントワネット」である彼女のすっぴんは元彼曰く「千原ジュニア」らしい。しかし笑子は千原ジュニアからマリー・アントワネットに変身できる「私ってすごいな」と圧倒的にポジティブな解釈をするのだ。

 すっぴんは真っ白いキャンパスのようなもの。画家のように、なりたい自分、ワクワクできる自分を好きなように表現できるのがメイクなのだ。

メイクする自由、しなければならない不自由

 近年、職場などで女性がメイクをすることは「マナー」なのか、という議論がされるようになった。とりわけ接客業などではそういうところはまだまだ多いようだ。男性は通常すっぴんでも何も言われない、にもかかわらず女性がすっぴんだと注意されるのは確かに理不尽だ。そんな社会において、メイクは女性を縛る呪いになりがちかもしれない。

 しかし、この本にはメイクする自由を謳歌する女性たちの姿が生き生きと描かれている。メイクしなければならない不自由もあれば、メイクする自由もあり、それらが世の中には混在している。自由と不自由は表裏一体なのかもしれない。

 作中に登場するメイク販売員の熊谷さんは、かつては薄くて野暮ったいメイクしかできず、自分に自信が持てなかった。しかし、先輩販売員の「『私なんか』で思考停止して目曇らせんな」の一言で解放されてゆく。熊谷さんにとってメイクは、低い自己評価の呪いを解いてくれたものだ。

 そんな解放の手段であるメイクが「マナー」のような呪いになってしまうのはなぜだろうか。婚活に参加した笑子が男性陣にメイクしすぎて隙がなくて強そうと言われてしまう。「やっぱり自分がしたいメイクばっかじゃダメなんですかね」と弱音を吐露した笑子に、熊谷さんは「自分のことを好きになれるメイクが大事」と語る。もしこの時、他者を惹きつけるメイクを勧めていたら、笑子にとってもメイクは己を縛り付ける呪いになっていたかもしれない。

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