マスク生産で注目、アイリスオーヤマはなぜ危機に強いのか? オイルショックで見出した経営哲学
仙台市に本社を置く生活用品大手アイリスオーヤマは3月30日、マスクが手に入りにくい状況を受けて一般財団法人「東京都人材支援事業団」に50万枚のマスクを供給することを決め、さらには10億円を投じて6月から宮城県角田市の工場でマスク生産を始め、毎月6千万枚の供給をめざしている。
アイリスオーヤマは2011年3月の東日本大震災のときにも素速く動いていた。傘下のホームセンター「ダイシン」を休まず開店させ、復旧に必要な物資は場合によっては全国のホームセンターから買い付けてまで(つまり、当然赤字になるがそれでも)取り揃え、現金のない客に対しては掛け払い(後払い)でもOKだとして対応。併行して被災した自治体に3億円を寄付した。ちなみに今度マスクを生産するという角田工場は、このときの地震で天井が崩れ落ちるほど大きな被害を被った場所でもある。
同社のこうした振る舞いには、オイルショックで直面した経営難の危機から学んだ教訓が活きている。
アイリスオーヤマは、危機の時期にこそ学ぶべきところが多い会社だ。
ポイントは3つある。
1)10年に一度やってくる大きな出来事に備える/そこから学ぶ
2)急な変化に耐えられるしくみづくり、収益の複線化をする
3)危機のときこそ助け合い
だ。以下、大山健太郎著『アイリスオーヤマの経営理念』での記述を参考にしながら、コロナショックを乗り越えるヒントを探してみたい。
1)10年に一度やってくる大きな出来事に備える/そこから学ぶ
アイリスオーヤマを長年率いてきた大山健太郎氏(現アイリスグループ会長。アイリスオーヤマ株式会社代表取締役会長)は、1964年、父の急逝に伴い、19歳でプラスチック製品の下請けを手がける大山ブロー工業所の社長に就任。社会人人生・経営者人生自体が、突然のショッキングな出来事によって始まっている。
社長就任後は60年代の高度経済成長に合わせて業績を伸ばしたが、70年代に入るとオイルショックが勃発。原油価格が上がればプラスチック製品も値段が上がるだろうと小売業者から買い占め需要が発生し、大山は原料高騰にもかかわらずフル稼働で増産。しかしオイルショックは去り、原油価格は下落。注文は次々キャンセルとなり、残ったのは高い原価で作ってしまった在庫の山。
結果、古い設備の残る大阪の本社工場は閉鎖して長年の付き合いのある従業員を泣く泣くリストラし、新しい設備を備えた宮城の工場を唯一残して故郷をあとにする(以降、宮城が本社となる)。
この手ひどい失敗から、大山は
「好況の時に儲けることより、不況の時でも利益を出し続けることを大事にする会社」
「いかなる時代環境に於いても利益の出せる仕組みを確立すること」
を目指すと心に誓う。
オイルショックでプラスチック業界は8割が赤字になるなか、2割の会社は黒字だった。何が違ったのかを大山は分析。
ひとつは顧客ニーズに合わせてサービスやものづくりをしていた点だ。
もうひとつは、BtoBよりBtoCのほうが好不況に左右されにくい点だった。
この学びから経営スタイルや売り先を変え、再び業績を伸ばしていく。
大山はオイルショックのような危機は10年に1度は来る、と言う。不動産バブル崩壊、ITバブル崩壊、リーマンショック、コロナショック、等々……。
『日経スペシャル カンブリア宮殿』(テレビ東京)に出演した際には、こうした出来事が新陳代謝を促すとして、「過去にとらわれると被害者になるが、明日を見た場合はチャンスにつながる。そういう目線で経営している」と語っていた。
大事なのは、そういうことがいつ起きてもおかしくないと考えて備えておくことと、急激な変化から学んで次の一手を考え出すことだ。
バッファを持っておくこと、顧客の需要の変化に対応して変わり続けることが生き残るためには重要だ。