町田康が語る、酒を断って見出した“文学的酩酊” 「日常として忘れていく酩酊感が読者に伝わったら面白い」

酒を断つと細かいところに気づく


――『しらふを生きる』のなかで、禁酒をすることでファンヒーターから定期的に「ラヴ・ミー・テンダー」から流れるということが気になる場面があります。これも、日常の生活のなかではつい素通りしがちですが、よくよく考えるとおかしな光景ですよね。

町田:そういう細かいくすぐりやギャグは、酒の本以外でもやるんですけどね。ただ、酒を呑んでいると、文章を書いていても人生を生きていても直線的で単純なんですよ。「はよ呑みたい」って目的が明確なんですよ。簡単に言っていますけど、僕の場合は中毒で依存症ですから、どうしても人生の目的が酒を呑むことになってくるんですね。そうすると、例えば「ラヴ・ミー・テンダー」の話とか、ちょっとした面白いことも通り過ぎて行っちゃうんですよ。生き急いでいますから。でも、そんなに急いでもなかったら、ちょっとしたことに気がついたりはします。別にしょうもないことで、それが人生にとって良いものであることはないですけどね。「目が合ったら犬がにこって笑った! すごい!」って言ったら、これはスピリチュアルですけどね(笑)。そうではなくて、たいしたことないけどちょっとしたことで笑うことがたくさんあるよね、という幸福論なんです。

――それは小説作品にも影響しましたか。

町田:細かいことに色々気づくという意味では影響しているかもしれません。あとは、ひとつのものとひとつものを別々に考えていたものが、そのつながりや関係で物を考えられるようになった、というのはありますね。

――町田さんは、これまでのインタビューで「1行書いたらそれを忘れて次の1行を書く」ということを、しばしばおっしゃっています。そのようなスタンスとお酒は関係があったのでしょうか。

町田 まあ、1行云々というのはインタビューで答えたものですよね。ただ、人生というものを大きな原因と結果で捉えるとわかりやすいじゃないですか。小説でも、なにか原因があってそれを結果として書いたら、それがひとつの主題となりますよね。でも、小説を書いたり物語を書いたり、あるいは物事を考えるときも、もう少し細かく考えたいんですよ。大きい原因に大きい結果というよりは、小さい原因があって小さな結果がある。その結果も、そこで死んだらそれは結果だけど、まだ生きている以上、それがまたなにかの原因になるかもしれませんよね。そういうフックが引っかかっていくような原因と結果の連鎖が、人間の考える物語のなかにある気がするんですね。その場やその1行のことに集中していると、小さい原因と小さい結果がちょっとずつつながっていく。そのつながっていったさきのことを考えるということは、大きい原因と大きい結果を考えることですよね。それは大事なことで、それをやるべきではないとかやる必要がないとも言いません。ひとつの小説を書く場合、そういうものは必要なのですけど、僕はそうではない細かい原因と結果を考えていきたいと思う。だから、1行に集中する。それは、酒を呑むことによって脳が破壊されて1行しか考えられない、ということではない(笑)。

――ありがとうございます(笑)。今回はたまたまお酒の話ですが、そうでなくても、例えば『記憶の盆をどり』でも記憶が細切れになっていくことがあります。

町田:ブツ切れ感があるかもしれませんね。『きれぎれ』とかまさにそういう作品ですよね。

――町田さんの小説は、そのような大きな原因と結果に回収されないところで、物語が逸脱していきます。そういう物語の切断に音楽や身体の営みが関係するような印象も受けますが。

町田:音楽というのは常に現在しかないですから。その瞬間のものですからね。瞬間を作って瞬間を共有するので、原因と結果が同時にその場で起きて、同時に終わっている。原因と結果がすごく圧縮されている。だから、事後的に振り返って確認はできないですよね。それが生きているということなんですよ。人間が有限の肉体を持って死ぬということの凝縮したものが1曲である。そんな感じがあるんです。一方、大きい文学的な主題とかテーマ、大きい原因と結果があるじゃないですか。でも、それって結局後づけなんですよね。その瞬間瞬間が終わっていって「これなんやろ」って考えていって、「こう考えれば合理的な説明つくよね」っていう後づけの理屈なんですよね。そこに理屈をつけたいという気持ちはわかりますよ。でも、その理屈をつけるのはつまらないよね。ただ、それをつまらないと言い切ってしまっていいのかという気持ちもあります。だから、直接なにかを書いたり音楽的な営みをしているときも、瞬間的で身体的な感覚を言葉でどうやって取り入れるか、ということはデビュー作からやってきたことです。まあ、それももしかしたら後づけの説明に過ぎないかもしれない。批評的なことは面白ければそれでいいんだけど、作者自らがあまり語ることではないかなと思いますけどね(笑)。
(後編へ続く)


■町田康(まちだ こう)
1962年大阪府生まれ。町田町蔵の名で歌手活動を始め、1981年パンクバンド「INU」の『メシ喰うな!』でレコードデビュー。俳優としても活躍する。1996年、初の小説『くっすん大黒』を発表、同作は翌1997年Bunkamuraドゥマゴ文学賞・野間新人文芸賞を受賞した。以降、2000年『きれぎれ』で芥川賞、2001年詩集『土間の四十八滝』で萩原朔太郎賞、2002年『権現の踊り子』で川端康成文学賞、2005年『告白』で谷崎潤一郎賞、2008年『宿屋めぐり』で野間文芸賞を受賞。他に『夫婦茶碗』『浄土』『ギケイキ』『湖畔の愛』『ホサナ』『スピンク日記』『餓鬼道巡行』『リフォームの爆発』など著書多数。

■書籍情報
『しらふで生きる』
町田康 著
価格:1,350円+税
出版社:幻冬舎
公式サイト

関連記事