伊東竜二が語る、傷だらけのデスマッチ人生 「不恰好でもチャンピオンになれば、お客さんはそういう目で見てくれる」
デスマッチ参戦のきっかけ
――伊東さんがデスマッチを始めたのは、大日本プロレス存続のためではないと、この書籍ではっきり書かれていますね。
伊東:いつの間にか「伊東は大日本存続のためにデスマッチに転向した」という美談になっているんですよ。いろんなところで否定してきたんですけど、それがまったく広まらない(笑)。本にも書きましたが、(デスマッチが)いきなり決まっていたんですよ。
――それでも急にデスマッチとしてカードが組まれているなかで、「できる?」の一言で挑戦したというのは驚きです。
伊東:自分も断ることはできたのですが、以前からできるとは思っていたので、断りませんでした。そこからデスマッチに本格的に参戦していくことになりました。
――そこで断らないで、やってみるというのがまた伊東選手らしいです。
伊東:デスマッチのアイテム製作や準備は新人が中心でやるので、それを間近で見ていて「これは出来るかも」と思っていました。そう考えているときにカードが組まれたというのが、真実ですね。だからカードが組まれなかったら、今もデスマッチはやっていなかった可能性があります。
――ストロング(通常ルールのプロレス)で活躍する伊東さんも見てみたかったですが。
伊東:もしそうなっていたら、辞めていたかもしれないですけどね。
――伊東さんの何でも否定しないでやってみるという部分は見習うべきところですよね。なかなか出来ないと思います。
伊東:いや、いろんなものに身を任せているだけなので。その方が楽なんですよ。言ってしまえば「挑戦しない」ということなのですが(笑)。
――今回の著書で一番伝えたかったことはなんでしょうか?
伊東:「何事も成るように成るさ」ということですかね。あとは、ひとりの男の20年間の話だと思って興味を持っていただけたら嬉しいです。
(取材・文=佐々木康晴/写真=高橋慶佑)
■伊東竜二(いとう りゅうじ)
1976年4月8日生まれ。岩手県岩手郡滝沢村(現・滝沢市)出身。高校時代はボクシング部に所属。茨城大学工業部に進学するも、幼少期からの憧れであったプロレスラーを目指して大日本プロレスに入団。1999年4月29日の葛西純戦でデビューを果たす。2003年5月に初デスマッチを闘い、3ヵ月後にはBLW認定デスマッチヘビーを初戴冠。アブドーラ・小林、”黒天使”沼澤邪鬼、佐々木貴らと激闘を重ねる。2009年の葛西純とのデスマッチでは高い評価を得て、プロレス大賞『年間最高試合』を受賞。日本プロレス界の”デスマッチ・キング”へと飛躍を遂げた。その後もストロング路線を引っ張った関本大介とともに大日本プロレスの危機を幾度となく救い、活況を呈する近年へと歴史を繋げた。
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■書籍情報
伊東竜二 自伝『デスマッチ・ドラゴンは死なない』
価格:1,700 円+税
出版社:ワニブックス
公式サイト