連載『音楽とダンスの境界線を歩く』最終回:2つを結ぶ“共通語”の新解釈 ミセス、三浦大知、THE D SoraKiらが塗り替えた常識

Perfumeが体現する“シンクロ”の極意

 黒人ではないが、もっと身近でわかりやすい、そしてキュートなサンプルがある。三者三様の個性が引き出されるPerfumeとはそういう存在だった。2025年をもって活動休止(コールドスリープ)となったのが惜しまれるが、彼女たちの優れたダンスは平均的なアイドルのそれとは異なる面が多々ある。三人は同期しながらも、場面によって個々の振りが同じではない。「チョコレイト・ディスコ」(2007年)では、フラ(ハワイの舞踊文化)が原型のハンドモーションによって歌詞を化体した振りが当てられるも、寸劇でも始めるように各々のストーリーが同時に描かれ、それでいて違和感がない。

[Official Music Video] Perfume「チョコレイト・ディスコ」

 振り付けを担当するMIKIKOがPerfumeを、あるときは三人、あるときは一人、二人と場面ごとにセッティングし直しプロデュースしているからだろう。センターポジション制ではないグループの特長を利した振りだが、2011年の「スパイス」でも同じ。『第54回日本レコード大賞』の編曲賞に輝いたように、ポップスでは珍しく輪唱が取り入れられ、それを可視化するように三人が一小節ずつ遅らせる動きをしていた。

[Official Music Video] Perfume「スパイス」

 “Perfumeはシンクロに長けている”としばしば称美されるが、総じてシンクロしつつ個々の動きは異なるケースもある。

 その本家とも呼べるアーティスティックスイミング(AS)にも軽く触れておきたい。フィギュアスケートもそうだが、演技の構成点に芸術点がある限り、スポーツとはいえダンス並みの表現力が問われる。長年親しまれてきた呼び名 シンクロナイズドスイミングからASと改称(2017年)された理由もそのような観点があったから。音楽に合わせシンクロすることが芸術性の理念になじまない。名義への疑問が近年寄せられていた。

 時代の流れか、新体操も『東京2020オリンピック』後のシーズンから芸術点が加わった。勝負の世界に薄れかける美学を忘れない姿勢が潔いが、競技である以上、一糸乱れぬ同調性が求められ、それが定量化の対象になるのは避けられない。

 ダンスも競技になれば同じ。ただしダンスには、その質をムーヴやグルーヴといった言葉で形容する余地が残されている。ミュージシャンに置き換えて考えてみればいい。譜面にはないグルーヴをセッションの中でいかに感じ掴むか、常時彼らがそう考え演奏している姿勢にダンサーも近い。 

グルーヴの正体

 グルーヴとは何か? 感じるものであって読むものではない。何もないところに何があるのか、という発想はニュートン的だが、重力への抗いが嚆矢となったダンス、ダンサーはリンゴには喩えられない。最高の手本を見せてくれたSoraKiはここでも話題を独占する。ビートを継ぐようなステップは爪先にセンサーでもつけたように、グルーヴの肝となるポケットを巧みに見つけ出していた。

 “ポケット”ーーミュージシャンがよく使うこの魔法の言葉こそグルーヴの正体と言っていい。衣類のそれに見立てたように、音という音の狭間に隠されたあるスペースのこと。セッションであるなら、互いの心が快楽に満たされると感じ合う音のツボであり、それを共有することで初めてグルーヴが姿を現す。

 ただし完璧なシンクロはここでも問われない。簡単に言えば、聴覚が、人間の思考が完璧ではない、完璧の基準を知らないからだろう。感覚を説明するのは骨が折れるが、日本語には便利な言葉があった。

 SoraKiが、その阿吽の呼吸を大事にしていることはよくわかる。音ハメにせよムーヴにせよ個々の所作に同じものはなく、入るタイミングもまちまち。それでいながらミュージシャンとセッションをするように波長を合わせ、やがて歓声に包まれるまで動きを止めない。すべては意思を持った呼吸の営為と見ていい。

 呼吸が大切であることは、ダンサーではない私にも理解できる。同時に、一人の人間が呼吸の重みを推し量るにも限界がある。他者の心が完全には読めないように、自分の鼓動は自分以外に聞こえない。このあまりにも素朴な問題を解決するには自分が、自分以外の人間にもなることだろう。

 憑依という言葉がイージーに使われる昨今、そのような物言いには疑いを持つべきだが、それでもなお深遠な洞察力で音とダンスの境界を往来する者が時代の扉を開くのであるなら、ファンタジーの世界に足を止める価値はある。

Mrs. GREEN APPLEのタフなしなやかさ

 重力(常識)に抗うリンゴとでも言おうか。大森元貴はMrs. GREEN APPLEのフロントマンに俳優という肩書きにより、これら理論的概念を限りなく現実へと近づけた。ミュージシャン、シンガー、ダンサー、アクターと“自分以外の自分”になるパスポートを手にした彼は、其々の呼吸をアクチュアルに掴み、ロックとディスコという二項対立と信じられてきた関係を難なく崩してしまう。バンドに“ダンス”というベクトルを新たに加えた「ダンスホール」(2022年)では、メンバーの3人がシンクロするMVを公開。バンドマンらしからぬ溌剌とした踊りでファンを驚かせた。

Mrs. GREEN APPLE「ダンスホール」Official Music Video

 2021年には大森単独での活動がスタート。そこに楽器を手にする姿はもうない。1st EP表題曲「French」(2021年)では無機質なエレクトロニカを纏った歌に、コンテンポラリーダンスの血を注ぐような舞があてがわれ、役者としての表現力も湛える。

Motoki Ohmori - ‘French’ Official MV

 ただしそのような演出、千変万化に戸惑いを覚える人がいても不思議ではないだろう。しかし、既定路線を歩むことなく自分以外の自分を手繰り寄せてきた大森は、そのような反応をむしろ歓迎しているようにも映る。いくつもの肩書きを持つのも、底知れぬ好奇心があるからこそ。大森はきっとこう語りかけるに違いないーー「呼吸をしていることがすでに新しい自分へと近づいているんだ」。

 その呼吸は世界の共通語として音楽とダンスを結ぶ。人によっては万物とのつながりまで感じられるかもしれない。SoraKiが、楽曲の歴史探訪にまで精神を自由にさせたように。大森が、自分以外の自分を探し世界を広げたように。ダンスと音楽が相利共生であることも裏づけているが、そこで媒介となる不可欠な存在を忘れてはならない。

 ダンスと音楽の境界線をあらためて問うたとき、その存在こそ鍵を握る。心の中の消しゴムを使えば、私たちはいくらでも境界線を無くせるだろう。

※1、4:https://realsound.jp/2025/09/post-2141262.html
※2、3:『罪と音楽』幻冬舎

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