村井邦彦が振り返る、コロナ禍のLAでの創作の日々「やりたいと思ったことは片っ端からやってやろうと思っている」
作曲家・音楽プロデューサーの村井邦彦による新刊『続・村井邦彦のLA日記』(blueprint)が、2025年11月17日に発売する。2020年4月から2022年11月まで同人誌『てりとりぃ』に寄稿した「続・LA日記」を加筆、修正してまとめたほか、細野晴臣や松任谷正隆との対談なども収録している。
米ロサンゼルス(LA)在住の著者は厳しい外出禁止令、ロックダウンの下で何を考え、何をしたのか。帰国した著者に東京・渋谷のblueprintでインタビューした。(吉田俊宏)
ますます地球が狭くなった
――本書には、村井さんが一市民としてLAで経験されたコロナ禍の日常が克明に記録されていますね。新型コロナという得体の知れない感染症の存在をどう受け止めていましたか。
村井:当初はかなり深刻でした。首都ワシントンに住む医師の友人が2020年3月ごろに感染したんですよ。胸郭に錐(きり)で刺されるような痛みがあって、2週間も苦しんだというのでビビりました。そんな感染症が自分や家族、仲間たちにまで迫ってくるのかと思うと、まあ誰だって緊張しますよね。実際、近所の巨大スーパーの商品棚から水や消毒液、トイレットペーパーといった日用品が消え、肉や魚などの生鮮食料品もパニック買いでなくなってしまって、これはただごとではないなと思っていました。
――日記には、オミクロン株、デルタ株、PCR検査、ディスタンス、ブースターといったコロナ期特有の言葉がたくさん出てきます。改めて振り返ってみると……。
村井:いったいなんだったんだろうね、あの騒ぎは。よく分からないことも多いんだけど、少なくともコロナの前と後は確実に変わりましたね。(第二次世界大戦の)戦前と戦後みたいに。
――最も変わった点は何だと思いますか。
村井:ますます地球が狭くなった。A地点で起きていることが、地球の裏側のB地点まで一瞬にしてつながる。身近な例ではオンライン会議なんて最たるものでしょう。
――コロナを機に、あっと言う間に世の常識になりましたからね。村井さんもコロナの初期から、LAのゴルフ仲間たちとZOOM昼食会やZOOM飲み会を開いていたのですね。
村井:エンタメ業界誌「ハリウッド・リポーター」の元編集長やアカデミー賞の選考をする映画芸術科学アカデミーの元会長といった人たちが、食事をしながら面白い情報を教えてくれるんですよ。ハリウッドの制作現場は完全にストップしているよとか、映画館が全館休業だから今後はストリーミングがますます重要になりそうだとか、アカデミー賞の対象となるのは映画館で上映された作品に限られているけど、規則を変える必要が出てきそうだとか。そういった話まで日記に書いておいてよかった。貴重な記録ですね。
――外出禁止令、ロックダウンといった厳しい規制がずっと続いたわけではありませんよね。
村井:行きつけのゴルフ場は当初閉鎖されていたのですが、ある時から「散歩ならOK」と開放してくれた。あれはうれしかったな。しばらくするとゴルフのプレイも解禁されました。一番ティーでドライバーを打ったあと、飛んでいった白いボールが何秒間か青空に浮かんでいるのが見えたんです。あの瞬間は忘れられませんね。
――コロナ前までは当たり前だったことが、いったん禁止されることによって、そのありがたみが身に染みて分かる。確かにいろんな場面でそういったことがありましたね。
村井:その意味では、人と会えないのはつらなかったな。「母の日、おめでとう」と言いにきてくれた息子(映画監督のヒロ・ムライ)とハグもできず、庭のテーブルで妻と息子と3人、お互いに3メートルのディスタンスをとって昼食をとったりしました。
妄想が妄想を呼び、鮫島三郎というキャラクターが生まれた
――日記の途中(2020年7月)から「鮫島三郎」という名の妖精が登場しますね。実際に起きた出来事をありのままに書いているリアリズムの日記に、村井さんが妖精と映画や音楽、食について語り合い、時には時空を超えて冒険の旅に出たりするファンタジーの世界が入り込み、混然一体となっていきます。そこが本書の特徴ともいえるでしょう。表紙には、英国の詩人・画家ウィリアム・ブレイクによる妖精の絵が使われているので、なおさら妖精の話が際立ってきます。
村井:三郎の登場は、経済再開が早すぎたといわれ、LAがロックダウンに逆戻りしたころですね。みんなが寝静まった時間帯、サンセット通りを走る車の爆音が家まで聞こえてきて、ふと映画『渚にて』(1959年)を思い出したんです。
――核戦争後の放射能汚染で人類が滅亡する話ですね。自動車レースのシーンが出てきます。
村井:やがて死ぬと分かっている連中が自暴自棄の荒っぽい運転をして事故が続出して……と、その映画のことを「日記」に書いていたら気が滅入ってしまったのです。憂鬱な気分からなんとか逃げ出して、楽しいこと、好きなことだけを考えよう。そう頭を切り替えたら「ああ、うなぎのかば焼きが食べたい。そうだ、妖精に持ってきてもらえばいい。どんな妖精がいいかな」などと妄想が妄想を呼び、鮫島三郎というキャラクターが生まれたのです(笑)。
――アイルランドの樽生ギネスや生牡蠣をはじめ、三郎という名の妖精はおいしそうなお酒や食べ物を次々と持ってきてくれますね。まるでグルメ小説を読んでいる気分になります。
村井:吉田健一(吉田茂元首相の長男、英文学者、作家、翻訳家)の書く文章が好きで愛読していましたから、その影響もあるのでしょう。
――吉田健一の『酒肴酒』は名著ですね。
村井:そうですね。僕は食べ物の話に限らず、妖精三郎と自分の会話をたくさん日記に書いたのですが、三郎もいわば僕の分身だから書きやすいんですよ(笑)。
――三郎との会話は、自分との対話だったというわけですね。それでご自身の深層心理が浮き彫りになった面もあったのではないでしょうか。三郎と一緒に時空を超えてマット・デニス(ポピュラー・ソングの作曲家・歌手)のライヴを聴きにいくあたりは、村井さんの好みが如実に反映されていると思えます。1946年の軽井沢にタイムスリップする話も印象的です。
村井:軽井沢は僕自身1980年代に住んでいた経験もありますし、大好きな場所です。もともとは中山道の宿場町で、明治時代にカナダ生まれの宣教師がやってきて避暑地として有名になり、戦後は接収されて進駐軍の保養施設になったホテルもあり……と特殊な歴史を持つ土地です。そういう場所が好きなんですね。
――サガンの翻訳で有名な朝吹登水子さん(1917~2005)の軽井沢の別荘も「日記」に登場しますね。
村井:つい先日、面白い出来事がありました。軽井沢にある増田宗昭さん(TSUTAYAなどを手がけるカルチュア・コンビニエンス・クラブの会長兼CEO)の別荘で食事をすることになったのですが、事前にいただいた地図を見ると、朝吹さんの別荘と同じ位置に印がついている。おかしいなと思って増田さんに「ここは朝吹さんのお宅だったんじゃないの」と聞いたら、彼は「どうして知っているんですか」と腰を抜かすぐらい驚いちゃってね。本書で朝吹邸に言及したばかりだったから、僕もびっくりしましたよ。
――実際、朝吹邸のあった場所だったのですか。
村井:そうです。登水子さんが亡くなる少し前、増田さんが買い取ったそうです。朝吹邸の元の建物は建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計(1931年築)で、登水子さんの遺志に従ってレジャー施設「軽井沢タリアセン」内の塩沢湖畔に移築されています。
――2020年秋ごろから、リアルサウンドで小説「モンパルナス1934~キャンティ前史~」(聞き手の吉田俊宏との共著、連載時は副題を付けていた)の連載準備に取りかかり、2021年1月から2022年12月まで丸2年間連載を続けましたね。
村井:昼間は家庭菜園でトマトやナスなどを育てて汗を流し、日が暮れると「モンパルナス」関連の資料を読み込むという毎日になりました。連載をやってよかったですよ。普段ならボーッと眺めているだけの映画も、連載のヒントになる場面はないかと目を皿のようにして何度も見返したりしました。あんな経験はありませんでしたから。
――そうでした。レマルク原作の映画『凱旋門』(1948年)やバレエ映画『赤い靴』(1948年)を繰り返し見て、小説のシーンの参考にしましたね。リアルサウンドで「モンパルナス」を連載する一方で、同人誌の「続・LA日記」で「チームで小説を書く面白さ」(2021年9月)など小説の舞台裏まで並行して書いていったのですから、面白い試みでしたね。
村井:時間だけはたっぷりありましたからね(笑)。「モンパルナス」に満州浪人で剣道の達人という架空の登場人物を出すことになったとき、その男の名を吉田さんが「鮫島一郎にしましょうか」と提案してくれましたね。
――鮫島三郎の物語を面白く読んでいましたから。
村井:もちろん僕は快諾しました。それで「日記」では三郎、「モンパルナス」では「一郎」という2人の妖精と共に生きることになったわけです(笑)。
やりたいと思ったことは片っ端からやってやろう
――小説の連載が佳境に入ってきたころ、村井さんと「モンパルナスはいずれ映画化したいね」と雑談している最中に話が弾んで「先にサウンドトラックを作っちゃおうか」と盛り上がりました。その翌日だったか、翌々日だったか、正確には覚えていませんが、村井さんから「テーマ曲ができました」とデモ音源が送られてきたのには驚きました。
村井:根がせっかちだから(笑)。スピード感がある方が好きなんだね。昔、桜井順さんという皆に尊敬されていた作曲家から「何かやりたいことがあったら75歳までに全部やっておいた方がいいよ。その後は何が起きるか分からないから」と言われたことがあったんですよ。もう僕も80歳になりましたけど、その言葉がいつも頭の片隅にあって、やりたいと思ったことは片っ端からやってやろうと思っているんです。本もレコードも同じ。いろいろと考えているより、思い切ってやってしまった方が結果もいいんですよ。
――その行動力と実行力が村井さんの特徴でもありますが、一方でご自身の美学に合わないものは絶対にやらない、特に質の面では決して妥協しないという姿勢も徹底されていますよね。
村井:もちろんです。
――いつもそう簡単におっしゃいますが、村井さんのように電光石火の実行力と妥協なき美学を両立させられる人はめったにいませんよ(笑)。実行力という点では「モンパルナスのテーマ」のオーケストラ・ヴァージョンをリモートでレコーディングされたのも驚きでした。
村井:友人のクリスチャン・ジャコブに書いてもらったオーケストラのスコアをブダペストの交響楽団に送って、録音当日は僕とクリスチャンがLAからZOOM越しにあれこれと指示を出し、ハンガリーでは現地のオーケストラの面々がスタジオで演奏したんです。あれはコロナ禍だからこそ出たアイデアでしたね。
――2022年7月には東京芸術劇場で「作曲生活55周年記念コンサート」を開きました。「日記」の中でもクライマックスの一つになっています。
村井:コロナ騒ぎで2度キャンセルになり、ようやく実現したコンサートでした。今も忘れられないのはステージ上で「翼をください」を演奏しても、客席の皆さんは一緒に歌ってはいけないという規制があったことです。友達が楽屋に訪ねてくるのもダメで、劇場の裏口の外に僕が出てそこであいさつしたのを覚えています。摩訶不思議な規制でしたが、考えてみると、コロナ期にはいろんなことがありました。
――連載がまとまって、一冊の本になりました。ご感想はいかがですか。
村井:きれいな本に仕上がったのがうれしいですね。手触りもすごくいい。レコードや本を作る喜びは何にも代えがたいですよ。しかも僕一人で作っているんじゃなくて、優秀な装丁(本書の装丁は川名潤氏)のアーティストをはじめ、グループの力を合わせて物を作り上げていくのがいいんです。そこが面白い。僕がアルファレコードを設立してレコードを作ってきたのもそういう思いが強かったからかな。つまり本とかレコードといった物を作るのが好きなんですよ。
――今後のご予定は?
村井:来年(2026年)3月に満81歳になります。時期は未定ですが、まずは80歳記念のアルバムを出す予定です。もう新曲を含めて9曲仕上がっています。これからも命ある限り音楽を書き続けていきますよ。
■イベント情報
【大阪『続・村井邦彦のLA日記』トーク&サイン会】
日時:2025年11月17日(月)19:00〜20:30
開場:18:50
場所:ジュンク堂書店大阪本店 3Fイベントスペース
参加費:無料
出演:村井邦彦、野村雅夫(FM COCOLO)
イベント参加方法:11月10日からジュンク堂書店大阪本店にて先行販売される対象書籍『続・村井邦彦のLA日記』(blueprint、税込2,970円)をお買い上げの方に、先着で入場券をお渡しいたします。
問合せ:ジュンク堂書店大阪本店(営業時間10:00〜21:00)
村井邦彦さんトークイベント係 宛
電話 06-4799-1090
予約詳細はこちら:https://honto.jp/store/news/detail_041000122864.html?shgcd=HB300
■書籍詳細
タイトル:『続・村井邦彦のLA日記』
著者:村井邦彦
発売日:2025年11月17日
※発売日は地域によって異なる場合がございます。
価格:本体2700円+税
出版社:株式会社blueprint
判型/頁数:四六判ソフトカバー/本文320ページ+口絵18ページ
ISBN:978-4-909852-65-6
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