稲垣吾郎&草彅剛&香取慎吾が伝える平和への願い 自分の言葉で語れない“戦争の記録”をつなぐ架け橋に

 今年も8月15日、戦没者を追悼し平和を祈念する日を迎えた。第二次世界大戦を中心とした先の戦争で失われた多くの命に思いを馳せ、世界の平和を願ってやまない。

 一方で、終戦から80年という長い年月の流れを感じる場面も多くなってきた。実体験として戦争を語ることができる人の数は、年々減っている。人は、悲しいけれど自分で経験しないとわからないことばかり。では、自分の言葉で語れない“戦争の記録”と、私たちはどう向き合えばいいのだろうか。

 そんななか、稲垣吾郎がナレーションを務める福祉番組『toi-toi』(NHK Eテレ)で、ある“問い”が投げかけられた。それは「戦争のこと、どう語ればいいんだろう?」。問いかけたのは、沖縄で障がい者の戦争体験を調査してきたという上間祥之介氏。

 脳性まひのために子どもの頃から車いすを利用した生活をしてきた上間氏にとって、障がいを持つ人の戦争体験がなかなか聞けないことに違和感が生まれたのだそう。当時だって、自分と同じように障がいとともに生きてきた人もいたはず。そうした思いから始まった活動だった。

 しかし、続けていくなかでぶつかったのが、自分の言葉で戦争を語ることの難しさ。いつしか自分の気持ちを伝えることよりも、「立ち回ったらまわりが楽になるかな」という考えが先行し、「自分の言葉がなくなった」というのだ。上間さんの問いに、スタジオでは多様なバックグラウンドを持つメンバーが意見を交わした。親から受けた暴力の原因を辿ると、あの戦争の傷跡に行き着いたという話もあれば、“戦争”というテーマそのものが怖くて苦手だと語る人もいた。

 戦争について考えることは、痛みを伴うことだ。見知らぬ者同士が恨みを募らせ、命を奪い合う。思わず耳を覆いたくなる話も聞こえてくる。生きるか死ぬかを迫られたとき、人は自分でも想像できなかったような行動を取るものだ。見たくなかった自分と向き合った記憶を消したいと思った人も多かったことだろう。そんな苦しい記録や記憶に触れることなく生きたいという気持ちにも共感できる。だが、この番組を通じて“知る”という経験を経てこそ、自分の言葉で語れるようになると再認識した。かつての時代を生きた人たちの痛みを、まったく同じように感じることはできない。けれど、想像することはできる。もし、あの時代、あの場所に自分がいたとしたら――。

 これまで車いすゆえに沖縄のガマ(自然洞窟)へ入れなかった上間氏は、今回「入ってみたい」という願いを叶えた。そこは、動けなくなった負傷兵が置き去りにされた場所でもあった。横たわり、冷たく険しい地面を這うように進む上間さんの眼差しと息遣い。「生きることを選ぶほうが難しい。なるべく死にたくはないけれど、受け入れるほうが簡単な場面もあるのかもしれない」という言葉は、強く心に残った。疑似体験を通じて想像の機会を得て、その経験から生まれた言葉は、確かに“自分の言葉”だった。

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