OGRE YOU ASSHOLEが追い求める“完全な不完全状態” 閉塞的なクリエイションへの静かな問いかけ

構築的な創作物を目指す過程で生まれる“不完全状態”

――一方で、「これとあの手法をかけ合わせたら、なんとも言い難い『完全な不完全体』になってしまった」みたいな例も、ポップミュージックの歴史を紐解くとジャンルに関係なくたくさんあるわけですよね。初期のシカゴハウスとか、それこそエレクトロファンクとか、一部のジャーマンロックとか……。

出戸:そうなんですよね。既存の要素を持ち出してもし何かを作るのなら、おそらくそこしか狙うべき領域はないと思うんですよ、本来は。

――仮に設計図や言語化可能なコンセプト、いわゆる「完成度」みたいなものが創作や受容、批評の指針となるなら、行き着く先は定量的な基準――つまり売上数とかインプレッション数とか――に帰着せざるを得ないんじゃないか、という危機感も抱いてしまいます。

出戸:いわゆる「現代アート」界の一部なんて、まさにそういう状況になってしまって久しいわけですよね。音楽界でもそういうことはめちゃくちゃ頻繁に起こっていると思うんですよ。記号と文脈操作で語られることがほぼ全てになって、ある階層内外のステータス争いのシグナルとして作られ、消費されていく……。デーヴィッド・マークスさんの『STATUS AND CULTURE ――文化をかたちづくる〈ステイタス〉の力学 感性・慣習・流行はいかに生まれるか?』っていう本、読みました?

――読みました。現代の文化的現象を理解するための論としてすごく面白かったけど、あらゆる領域をそうやって見通せてしまう汎用性がある分、じゃあクリエイションの価値って一体何なんだろうかとも思わされるし、一抹の寂しさと不安を拭い切れないなあとも感じちゃって。

出戸:僕も全く同じです。一人のミュージシャンとして、そういう状態からなんとかして逃れるためにも、創作を行うんだとしたら「外部」の存在を呼び込むような、「完全な不完全状態」を目指す他ないだろうという気持ちがあるんです。

――ラスト曲の「たしかにそこに」は、そういう「外部」がたしかにあるんだ、ということを歌っているようにも聴こえます。

出戸:「これこそが『外部』だ」っていう風に、誰もが汎用できるような特定の何かとして明示できるものはないし、原理的にもそれは不可能だけど、少なくとも、その「外部」が存在することは等しく感じられる、というか。何も特別なことっていうわけじゃなくて、そういう「外部」のリアリティというのはおそらくはみんな感じているんじゃないかと思うんです。むしろ当たり前過ぎて、スルーしてしまっているものかもしれなくて。僕たちの社会にしても、どうしても文脈操作や記号を元に測ろうとするからカチッと型が定まっているように見えるだけであって、実際はもっとごちゃごちゃしたものだと思うし。

――ものの感じ方の「チューニング」を変えてみれば、そのごちゃごちゃの中にこそ何かが見えてくる、ということなんですかね。

出戸:そうですね。例えば、幼児の頃に木漏れ日を見たときには、「ああ、これは太陽光と木の影によって作られている現象だな」と理解していたわけではないですよね。ただ光と影が不規則に入り混じっているぼんやりとした模様として捉えているだけであって。要するに、「これは何だろう」という気持ちと共に見ていたと思うんです。けれど、むしろその捉え方の方にこそ創造性があるかもしれない。だからこそ、それはもともと誰しもが持っている感覚だと思うし、大人になった後であろうが、見方によっては常に顔を出してくる何かだと思うんです。

――そういう話を聞いていると、じゃあ、音楽で表現を行うのだとしたら、あらかじめ掲げられた設計図もなくて、当意即妙の反応によって繰り広げられるライブ形式の集団即興演奏の方がその「外部」へとたやすく繋がることができるんじゃないか……? とも思えてくるんですが、OYAはそれでも事前の構想と「完成」を前提としたポップミュージックの、しかも多重録音作品を作っているわけですよね。それはなぜなんでしょう?

出戸:うーん……。たしかに即興演奏でその「外部」との橋渡しがうまく行くことももちろんあるとは思うんだけど、一方で、全く面白くなくて、「何も起こってない」フリーインプロビゼーションみたいなものも本当にたくさんあるじゃないですか。だから、「外部」への気づきというのは、特定の手段に従属する感覚でもないと思うんですよ。むしろ、「完成」を前提とした構築的な創作物が、「外部」を垣間見せてくれる場合だって多々あると思うんです。

――音楽のスタイルとか外見的なフォルムの問題ではなくて、それがどのような形態をとるにせよ、あくまで創作という行為の中で「完全な不完全状態」を見つけるようとするその志向性こそが、「外部」を垣間見られるかどうかに関わっている、ということですかね?

出戸:そうだと思います。

――しかもそれは、手を動かして作るとか、機械を駆使するとか、手法や道具の種別に根ざした問題でもない?

出戸:そうじゃないでしょうか。

――『自然とコンピューター』というアルバムタイトルにもつながってきそうな話ですね。つまり、生物たる人間の演奏であろうが、無機物である電子機器であろうが、創造性という視点からは、あくまで等しい可能性を持ちうる、という見方。

出戸:なるほど、面白い解釈だと思います。僕としては、自然というのは制御の難しいものの象徴で、それと相反するものとしてコンピューターという存在を考えているところがあって。冒頭の話に戻すと、その中間にある存在こそがアナログシンセサイザーなのかもしれないなと。

『自然とコンピューター』が暗に内包する“メッセージ”

――だからこそ『自然とコンピューター』というタイトルにも、二項対立的な構図を超えた何かを感じるんですよ。アルバムの音からも、「自然、さもなくばコンピューター」ではなくて、「自然およびコンピューター」、「自然かつコンピューター」という混じり合いの領域への意識を感じるんです。これって、サイバネティックスとかニューエイジみたいな話にも発展していきそうだけど……。

出戸:自分としてはあまりそっちの方向に寄せたつもりはないんですけどね。『新しい人』(2019年)を出したときに、石原さん(かつてOYA作品プロデュースを務めた石原洋)に聴いてもらったら、ずばり「ニューエイジだね」って言われて「えー!」って思ったのを思い出しました(笑)。その頃はニューエイジのリバイバルにもあんまりピンときてなかったこともあって、ちょっとショックだったんですけど(笑)。

――でも、その石原さんの読みは必ずしも突飛とは言い切れないような気がします。それこそ今回のアルバムでも、タイトル曲なんて過去一番ニューエイジミュージック的なんじゃないかなと感じました。とはいえ、ド真ん中のニューエイジというよりも、ここでも例えばTangerine Dreamとか、結果的にニューエイジャーたちに好まれていたようなドイツ産の電子音楽に近いものを感じるんですけど。

出戸:僕らの世代は、子供の頃にオウム真理教事件があったので、スピリチュアルとかニューエイジっていうものに対して強烈な反発意識が植えつけられていて、なおかつ自己啓発セミナーみたいな文化も基本的には嫌いなんですけど、そういうことを一旦脇に置いて考えてみると、勝浦さんが郡司さんとの鼎談で話していたリー・ペリーのライブで体験したという「波」だって、明らかにスピリチュアルな体験だと思うんです。だから……いわゆる一般に想像されるような、大文字の「スピリチュアル」と別の概念があるんじゃないかと思っていて。それがまさに郡司さんが本で書いている「やってくる」感覚とか、「天然知能」という概念に関係しているんだと思うんですけどね。僕たちの音楽も、ある部分はスピリチュアルな視点で聴いてもらってもいいけど、他の部分もそういう視点で聴いてもらいたいわけでもない……っていうアンビバレントな気持ちがあります(笑)。

――そういう両面性は、OYAの音楽全体を考えるにあたってもとても重要に思います。ダークな部分と爽やかさが両立しているというか。そもそも出戸さんは、自分たちの音楽をどういうものだと自認していますか?

出戸:なんだろう、不穏な感じがありつつも、同時にユーモラスというか。自認というよりは、そういうものをやりたいなという気持ちはありますね。むしろ、今回のアルバムを聴いてみなさんがどう思うのかということの方が興味があります。

――今のOYAを相手に、こういうことを聞く人はおそらくいないと思うのであえて定型文っぽい質問をさせてもらいますが、このアルバムにはどんな「メッセージ」が込められていますか?

出戸:メッセージか……(苦笑)。

――ディストピア感とかニヒリスティックな調子を感じさせる一方で、完全な虚無みたいなものとはやっぱり全く異なっていると思うんですよ。究極的に、ここには何が託されているんでしょうか。

出戸:(やや時間を置いて)……郡司さんの本『創造性はどこからやってくるか ――天然表現の世界』に、「“完全な不完全状態”には“穴”が必要である」ということが書いてあるんですが、僕としては、今回のアルバムではきっとその「穴」を開けることができたんじゃないかと思っているので、その存在――というか、穴なので「非存在」――を通じて「やってくる」何かのリアリティを感じて、そういう感覚に敏感になってくれたら嬉しいですね。そのための明確な視点をレシピのように指し示しているわけでもないし、それは原理的に不可能なことだとも思うので、メッセージというほどだとは思わないんですが……ぜひ各々で感じ取ってくれたらと思います。

※1:https://niewmedia.com/specials/052400/

OGRE YOU ASSHOLE『自然とコンピューター』

◾️作品情報
OGRE YOU ASSHOLE『自然とコンピューター』
発売日:9月18日(水)
・通常盤:2,727円(税別)
・初回限定盤:3,455円(税別)

※初回限定盤は全曲のinstrumental ver.が収録された2枚組。
OGRE YOU ASSHOLEオフィシャルWEB SHOP限定販売:
https://oyashop.shopselect.net/

1.偶然生まれた
2.影を追う
3.お前の場所
4.君よりも君らしい
5.快適な麻痺状態
6.ただの好奇心
7.熱中症
8.家の外(album ver.)
9.自然とコンピューター
10.たしかにそこに

OGRE YOU ASSHOLE 公式サイト

関連記事