カネヨリマサルが綴る“等身大”に惹かれる理由 恋の始まりと終わりを描いた夏恋ソング2連作を紐解く

 カネヨリマサルが2024年にリリースした「嫌いになっちゃうよ」と「ゆびきりげんまん」が興味深い。歌う世界に透明感があって、短編アニメ映画を観たような心地。というのも、両作とも“夏の恋”ソングになっており、その物語が美しくも切ない響きを持ち合わせているのだ。その上で、歌詞の世界観、メロディの聴き心地、バンドアレンジの色合いがともに異なるものになっているのが面白い。

 「嫌いになっちゃうよ」は“嫌い”というワードをタイトルに忍ばせているが、夏の始まりを予感させながら、片想いの喜びや甘酸っぱさを堪能できる楽曲だ。一方、「ゆびきりげんまん」は夏の終わりを予感させながら、失恋からの悲しみや恋の苦味を味わうことになる。この二作は対になるような描かれ方をしており、同じ主人公の恋愛模様としても聴くことができるし、境遇の異なる二人のそれぞれの恋愛模様としても聴くことができるのが特徴。ここでポイントになるのは、様々な視点で楽曲の物語に浸れるところだ。なぜそういう風に音楽世界が入ってくるかといえば、ちとせみな(Vo/Gt)が紡ぐ歌詞がどこまでも等身大的だから。

カネヨリマサル【ゆびきりげんまん】Music Video

 「嫌いになっちゃうよ」では〜ですます調と口語的な語尾を使い分けており、外側に視線を向けるときは丁寧語、内面に視線を向けるときは口語的な語尾を使うことで、主人公の像を解像度高く表現しているし、主人公の性格や趣向も想像できるような作りになっている。文末の使い分けひとつで、言葉にしている以上の情報量が生まれるようになっており、それがちとせの等身大的な世界観に集約されていく。

 「ゆびきりげんまん」でも、そういう末尾の一人称の使い方が冴え渡っているが、そこからさらに内面以外の描写も秀逸。たとえば、〈夏の川辺 夜の公園 電話越し 君と歌った〉〈知らない人みたいな横顔は〉といったフレーズを差し込むことで、映像への起こしやすさを生み出している。結果、この歌の軸となる〈2人の小指〉が、歌詞を通してクローズアップしたときのインパクトが鮮烈だ。

 冒頭で描かれた〈ラストシーン〉は、この指が離れていくサマを切り取っていると想像できるが、もしドラマにするなら、2人の指がスローモーションで離れていくような、そんな映像もなんとなく頭に浮かぶような作りになっている。

 いずれにしても、核心的なシーンほどクローズアップな視点になるように歌詞が構成されているため、感情と歌詞がシンクロしながら、歌が進んでいく印象を受けるのだ。

カネヨリマサル【嫌いになっちゃうよ】Music Video

 ちとせの歌詞が素晴らしいのは前提の上で、その歌詞がより刺さりやすくなっている背景に、ふたつの要素があると思う。ひとつは、いしわたり淳治がプロデュースに入っているということ。彼の歌詞に対する嗅覚や繊細さは、『EIGHT-JAM』(旧・関ジャム 完全燃SHOW /テレビ朝日系)のような音楽番組でも明らかにされているが、カネヨリマサルの楽曲においてもその手腕が発揮されている。どこをどうアドバイスしたのかは想像の域を出ないが、作品として見たときに、歌詞の中から不要なものが除かれている印象を受ける。結果、歌が持つ感情にぐっと入り込みやすく、おそらくは俯瞰的・分析的に歌詞を構造していきながら作品にしていったと想定されるため、いしわたり淳治が果たしている役割は大きいように感じる。

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