幽体コミュニケーションズ、“季節”をめぐる葛藤 弱さと向き合った「Beat my Spring(春を斃して!!)」制作秘話
幽体コミュニケーションズの新曲「Beat my Spring(春を斃して!!)」について、コンポーザーであるpayaは「僕の弱さを固めたような曲」と言っている。しかしながら、そんな彼の「弱さ」によって生まれた曲が、彼らのディスコグラフィの中でも極めてポップな質感を持っているのは何故なのだろうか。「弱さ」という言葉のフラジャイルなイメージとは裏腹に、その傷口や己の愚かしさまで曝け出すような生々しさが、むしろ大胆さや衝動性や人懐っこさすら感じさせるのは何故なのだろうか。ジャケットに描かれたパウル・クレーの「天使」シリーズを思わせる絵は何を意味しているのだろうか。そういったことの秘密を探るべく、リアルサウンドでは昨年の夏のシングル「ミュヲラ」リリース時以来、幽体コミュニケーションズの3人にインタビューをさせてもらった。いつになく、混乱すら隠さない様子で言葉を語るpayaの姿が印象に残る取材となった。
このインタビュー後、同日に渋谷La.mamaで行われた幽体コミュニケーションズのライブも観に行ったのだが、payaの言葉を借りるのであれば、「目を合わせようとしている」ーーそういうライブだった。先にステージに立ったMomのあまりにダイレクトな弾き語りパフォーマンスが何かを誘発した、という面もあるかもしれない。動物が脱皮して新たな肉体を手に入れようとしているような、幽体コミュニケーションズのそんな瞬間を目撃しているような感覚になるライブだった。クレーの描いた天使たちのように、彼らは今まさに何かに「なりかけて」いるのかもしれない。今私の手元にある『パウル・クレー 絵画のたくらみ』(前田富士男/宮下誠/いしいしんじ ほか 新潮社、2007年)という本によれば、クレーの天使は巡礼の途中である、と見ることができるのだという。「巡礼」とは、「境目を歩くこと」なのだという。(天野史彬)
他人にちゃんと伝えることを意識し始めた(paya)
ーー新曲「Beat my Spring(春を斃して!!)」は、これまでの幽体コミュニケーションズの楽曲と比べても輪郭がはっきりしたポップな曲という印象を受けました。歌詞には〈Give me silence!〉という部分もありますが、沈黙を求めて騒々しく叫んでいるような、そんなアンビバレントさも感じます。どのようなイメージから生まれた曲なのでしょうか?
paya:「春を斃して」と言っているのは、まさに、春に対してそういう思いがあるからです。というのも、僕らの曲の中には春が登場する曲がたくさんあって。そのくらい春から表現の源泉を得て創作をしてきたんです。ただ、今まで春が登場してきた曲は、春に対しての敬虔な気持ちであったり、愛着であったり、ある意味では春の美しい部分ばかりを取り上げてき過ぎたな、という気持ちもあるんですよね。
ーーそれだけでない感情もあったということでしょうか。
paya:そうですね。実際はそればかりではなく、愛情と表裏一体に、憎らしさみたいな感情もあったりする。今回はそこに向き合いたかったというのがありました。あと、前に『巡礼する季語』という作品を出した時、本当はそこで季節に関することを歌うのは終わりにしようと思っていたんです。でも実際は、全然それで終わることがなくて。どうしても僕は季節の中から表現の源泉を見つけ出してしまうんですよね。それを乗り越えたいという気持ちもありました。それで、「斃して」という言葉を入れたかったんです。
ーー「倒して」ではなく「斃して」なのは何故なんですか?
paya:一般的に使われる「倒して」だと、ちょっと殺意が弱いなと思って(笑)。
ーーなるほど(笑)。そもそもpayaさんにとって、夏や秋や冬ではなく、春が大きな表現の源泉となるのは何故なのだと思いますか?
paya:僕の中ではきっと本質的な違いはないんですよね。何が違うかというと、単純に「春」という言葉の音が、音楽の中で取り上げやすいということだと思います。これは直感的な部分なんですけど、「春夏秋冬」と言った時に、「春」が一番メロディに馴染みやすい感覚がある。流れによく馴染む、というか。逆に音楽が伴わない詩の中だと、春夏秋冬それぞれ、ほぼ同じくらいの割合で出てくるんです。
ーー「Beat my Spring(春を斃して!!)」を作っていくうえで、いししさんと吉居さんとはどのようにpayaさんの中にあるイメージを共有していったんですか?
いしし:イメージの共有ということでいうと、詳しい説明があったというよりは、今回は挑戦的なことをしていて。真ん中に「Beat my Spring(春を斃して!!)」というテーマが書いてあって、その周りにどういう思考があるのか? ということが単語で書かれている図みたいなものを、payaさんからポンっと渡されたんです。そこには結果的に歌詞に入っている単語が書かれていたりして。最終的に完成した歌詞を見ても、「これまでと違うものを作ろうとしているんだろうな」と思いました。
ーーpayaさんが図を渡すというやり方を選んだのは何故だったんですか?
paya:それは、ここ1年くらいでの僕の表現の変化にも繋がっていると思います。最近、他人にちゃんと伝えることを意識し始めたと思うんです。これは、僕が春や季節のテーマを乗り越えたいと思っていることと密接にかかわっている部分でもあるんですけど、僕にとって季節というテーマは、ものすごく閉じられた世界の中のことなんですよね。本当に自分個人だけの世界観のものとして、季節を扱ってきた。その「季節」という閉じられた部屋から出ていこうとする動きや態度みたいなものがあって、その動きと一緒に、「この曲はこういう曲なんです」ということをみんなと共有したかったんだと思います。
ーー「他人にちゃんと伝える」という、この1年の表現の変化はどのようにしてpayaさんの中に芽生えたものなのだと思いますか?
paya:僕が幽体コミュニケーションズを通してこれからやっていくことって、結成して数カ月のうちに全部出揃っているんです。あとは、それをどこまで研究できるか? そいつの正体をどこまで明かすことができるか? ということだと思うんですけど、その、正体を明かしたいもののうちのひとつが、「文明の欠伸」という言葉なんです。僕はかなり早い段階から「文明の欠伸」という言葉を気に入って使っていたんですけど、「文明」という言葉を考えた時に、文明ってひとりではありえないじゃないですか。集合の話なので。「文明」というテーマを扱おうと思うと、個人の閉じられた世界だけでは表現し尽くすことはできないものなんですよね。なので、集合や社会というものを考えていく中で、段々と開かれていくのは自然なことなのかなと思います。