藤井 風、RADWIMPS…サポートでも活躍 TAIKING、Suchmos休止の先で掴んだ新しい可能性
Suchmosを構成していた特別なバランス感覚
――なるほど。今回TAIKINGさんに出演いただいたのは、2023年がSuchmosの結成からちょうど10年っていうのも大きくて。
TAIKING:10年なの? そっか……知らなかった(笑)。
――やっぱりSuchmosがその後のシーンに与えた影響はとても大きくて。今、ジャズやファンクやR&Bなどをバックボーンに持つ素晴らしいプレイヤーたちが恐れることなくポップな表現に向かっているのは、Suchmosがそれをオーバーグラウンドでもちゃんとかっこいいままできることを示したからこそだと思うんですよね。もちろん、Suchmosだけの力でシーンがガラリと変わったとは言わないまでも、間違いなく大きな影響があると思うし、その後のシーンを引っ張っている藤井 風さんやVaundyさんを今TAIKINGさんがサポートしているというのも、偶然じゃない気がするんです。
TAIKING:俺自身にはあまりそういう感覚がなくて……でもよく言われます。若い世代の子たちとも一緒にやるようになると、「ずっと聴いてました」とか「Suchmosは別格でした」とか言ってくれるんですよね。Suchmosをずっと聴いてたような子が、今デビューするようにもなって、そういう人たちと仕事をすることで、やっとバンドの存在価値を教えてもらえてるっていうか。俺たちは好きなことをやってたらたまたま売れただけだから、自分で自分のことがよくわかってなかったけど、若い子から「Suchmosに衝撃を受けて音楽始めました」みたいなことを言われると、「そうなんだ」って。なので、自分のバンドがどういう存在なのか、最近になってようやくわかってきた感じがしますね。
――近年はセッションのシーンで活動していた人がポップスの舞台に出てくることも増えていて、HSUさんあたりはそういうシーンとも接点があり、ミュージシャンの繋がりも結構あったと思うんですけど、TAIKINGさんはそういうハコに出入りしたりはしてましたか?TAIKING:たまにですね。アドリブとかはあまり得意じゃないから、即興で飛び込みでやろうみたいなことはほぼなかったんですけど、ちょくちょく観に行ったりはしてました。でもそれよりは、曲作りをしたり、編曲をしたり、プロデューサーみたいなタイプの人と一緒にいることが多かったかもしれない。
――もともとSuchmosに入る前は音楽の専門学校でアレンジの勉強をして、編曲家の道に進む可能性もあったそうですね。
TAIKING:そうそう。Suchmosに入る前はシンガーソングライターの子たちの曲をDTM上でアレンジして、手売りのCDを作るのを手伝ったりとかしてました。そのときに知り合ったのが、この前初めて一緒に仕事した吉澤嘉代子ちゃん。嘉代子ちゃんのアルバムを作るときのプレゼン用の仮アレンジをやったりとかしてました。
――そうだったんですね。それが今や「吉澤嘉代子とナインティーズ」(吉澤と同年代のミュージシャンとの共同名義)に(笑)。
TAIKING:面白いですよね。他には松室政哉くんのサポートをやったりして、『Augusta Camp』に出たこともあります。あとは自分が曲をアレンジしたミュージシャンがライブをやりたいっていうときに、隼太と健人(SuchmosのOK)を雇って、一緒にサポートをやったこともありました。そういう中で隼太から「バンドやってみない? Suchmosってバンドなんだけど」って誘われて。アレンジの仕事は面白いんですけど、俺は飽き性で、ひとつのことだけやるのができなくて。それで「いいよ」って返事をして『THE BAY』を1カ月で録って、そしたらどうやらそれがちょっと調子良かったらしく、そこからバンドが続いていったんですよね。
――Yaffleさんと話がめちゃくちゃ合ったという話もありましたけど、ギタリストであり、ソロアーティストでもあると同時に、アレンジャーであり、プロデューサー的な側面も持ってるわけですよね。将来は若手アーティストをプロデュースすることもありそうですが。
TAIKING:そういうことも考えてはいます。サポートも自分の活動もやりつつ、さらにその枠を越えたいと思っていて、プロデュースはまだやったことがないからやってみたいなとは思ってますね。
――実際、2024年以降の活動に関しては、どんな展望を持っていますか?
TAIKING:まずソロに関して言うと、去年出した1stアルバム(『TOWNCRAFT』)はコロナ禍に書き溜めてたものが形になった感じなんですね。バンド活動が長かったけど、しょっぱいものばっかり食ってると甘いものも食いたくなるのと一緒で、「バンドだとできないことを形にしよう」というのができたアルバムなんです。でも1回それをやったことで、「じゃあ、自分が本当にやりたいことって何だろう?」みたいに今はなっていて。しょっぱいものも甘いものもちゃんと食べた、その健康的な状態で自分は何を作れるのか。それを模索して、形にして、数は多くなくてもいいから、しっかり届けることが大事だなと。2024年はそんなふうに思ってますね。1回深呼吸して、「自分とは?」っていうのを探り直すタイミングなのかな。
ーーサポートに関してはいかがですか?
TAIKING:サポートもいくつか決まってるんですけど……それはもう楽しむだけというか(笑)。あと俺はツアーが好きなんですよね。クルーみんなであちこち行って、「昨日のライブは良かったね。じゃあ2日目はどうしようか」みたいな、そうやって作り上げていくことが好きなんです。音を鳴らすメンバーだけがバンドだとも思ってなくて、PAさんがいないと音を聴けないわけだし、照明がかっこよくないと盛り上がれないし、そういうクルーも含めてバンドだなと。そこをよりアップデートしていきたいですね。ミュージシャンはミュージシャン、照明さんは照明さん、PAさんはPAさん、テックさんはテックさんで飲みに行くみたいな、何となく打ち上げにもカテゴライズがある気がするんですけど、Suchmosは結構みんなごちゃまぜだったんですよ。あの感じが好きだったので、もっとクルーっぽくさせたいっていうか。
――『CONNECTION FES』も様々なカルチャーを混ぜ合わせたイベントだったし、そうやって繋げたり繋がったりするのが楽しいっていうのも、TAIKINGさんの活動の背景としてきっと大きいんでしょうね。
TAIKING:お祭り野郎ですね(笑)。だから来年もそれをよりよくやりたいなと思ってます。そういうことはバンドだけやってたらわからなかったことで。「修行の時期を迎えるため」みたいなことを言ってバンドを休止してるわけですけど、「修行の甲斐あり」みたいな、今のところはそう思ってますね。
――ちなみについ先日、YONCEさんの新しいバンド(Hedigan’s)の新曲「LOVE (XL)」と、TAIHEIさんのバンド(賽)のアルバム『YELLOW』が同じ日に出ていて、TAIKINGさんのソロも含めて聴き比べると、それぞれ全然違うから、この人たちが一緒のバンドをやってたのはすごいなと思って(笑)。
TAIKING:めっちゃ変ですよね(笑)。でもTAIHEIの感じもYONCEの感じも、俺のソロもそうだけど、上手く混ざってたんだなっていうか。
――まさに、裏を返せばそういうことですよね。
TAIKING:結構、混ぜるな危険でもあるとは思うんだけど(笑)。
――「もともとバンドでやろうと思って作ったけど、合わないなと思ってソロでやった曲もあった」という話でしたけど、Suchmos的なDNAを一番受け継いでいるのはTAIKINGさんのソロ作かなというイメージもあって。そこは意識的だったりしますか?
TAIKING:それは曲によるかもしれないですね。意図的に「この曲はSuchmosっぽくしたろ」みたいなのもありましたし、それとは別に、本当にパーソナルなものとして作った曲もあるし。でも1stアルバムは、Suchmosのお客さんが聴いても「うんうん」って思ってくれるんじゃないかなっていうものではあったと思います。自分のソロのツアーだと物販に立ってみたりしてるんですよ。それでお客さん一人ひとりと話すんですけど、「Suchmosの頃から好きです」とか「またSuchmosやってほしいです」とか、そういう声をダイレクトに聞くことも増えて。Suchmosをいつやるかはわからないけど、「待っていてくれる人たちがいるんだな」っていうのは、2023年の自分のツアーですごく思ったことなので、またみんなが集まるタイミングがあれば何かやりたいですね。
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