堂本剛がファンクを鳴らす理由 人生への苦悩、突発性難聴の発症……自身を支えてきた音楽と理解者の存在
シンガーソングライターデビュー20周年を迎えたことを記念して.ENDRECHERI.名義で配信アルバム『Super funk market』をリリースした堂本剛。FUNK sideと、バラードsideの2枚組で構成された本作は、堂本の現在とこれまでの歩みを一度に楽しめるアルバムだ。人生への苦悩、さらに突発性難聴の発症など苦しい時期もあったが、音楽と自分自身を愛してくれる人の存在がいつもそばにあったと堂本は振り返る。『LOVE SUPREME JAZZ FESTIVAL JAPAN 2023』でのPファンクの帝王 ジョージ・クリントンとの共演も記憶に新しいが、堂本はなぜファンクミュージックに惹かれたのか、ファンクに乗せて何を伝えようとしているのか、じっくり話を聞いた。(編集部)
ファンクミュージック、Sly & the Family Stoneとの出会い
ーーまずは堂本さんとファンクミュージックの出会いをお伺いできればと思います。昨年シンガーソングライターデビュー20周年を迎えましたが、デビューした頃からファンクミュージックを好んで聴いていたのですか?
堂本剛(以下、堂本):全く聴いていなかったことはないのですが、人生をかけて虜になるような聴き方はしていなかったです。20年前は演奏するより8ビートが軸になっているダンスを踊る時間も多かったのですが、僕は16ビートを感じるような踊りの方が好きで、ファンクの虜になる傾向はその時からすでにあったと思います。そこからファンクミュージックを聴くようになって「自分はこの16ビートを強烈に感じるファンクミュージックがやりたい」と思って。そういう曲って演奏していてめちゃくちゃ楽しいんですよね。イメージとしては8ビートが大地で16ビートが空。宙に浮くためには地面が必要で、地面を蹴ることによって高く跳んで、重力に逆らえず落ちてくる。でもまた高く跳べる、っていう8ビートと16ビートを行ったり来たりする無重力感を生み出すために、自分がやりたい音楽って何かなと考えたらファンクミュージックだったんだと思います。
ーーそういう感覚を感じるきっかけになったアーティストはいますか?
堂本:最初にSly & the Family Stoneを聴いた時に光を感じるファンクだなと思いました。太陽ってギラギラした太陽もあれば温かい太陽、夕暮れみたいな太陽もある。Sly & the Family Stoneは夜の手前みたいな印象があって。メンバーとの距離感、関係性みたいなものも音楽に滲み出ているように感じます。音楽という道を選択し、それを自由に開放的に奏でているみたいな物語が体に染み渡る印象があります。僕自身も.ENDRECHERI.で音楽をアウトプットする中で、彼らの「自分を生きろ」というメッセージを感じ取っていたし、今の.ENDRECHERI.の思想の一つになっているので、大きな影響を与えてくれているのは間違いないです。
ーー今までのいわゆる一般的に“カッコいいもの”だけではなく、自由であることによって生まれる普通ではないもの、変なものがイケてるというように時代が変わりつつあると思います。今の時代だからこそファンクが大切になってきているというか。
堂本:そう思います。.ENDRECHERI.のテーマカラーを紫にしているのもそうなんですけど、紫は分解すると赤と青になるんですよね。情熱的なものと静寂的なものの2つが合わさっているということが大切だと思います。地面があるから空があって、空があるから地面がある。この相反するものの真ん中で生きることにすごく重要な意味があると思います。世の中の人は考えることが多すぎて、イエスかノーの間ではなく、どちらかに寄ったほうが楽だから、そちら側を歩いていることが多いように見えて。でも、そういう生き方が生きづらいなと感じる人もいると思うんですよ。そう感じる人が増えたから、イエスでもノーでもない真ん中の音楽が大切になってくるのかもしれないですね。結局は僕がその日を精一杯生きる、それを愛してくれる人がいれば幸せだなって思って生きているだけなんで。だから誰もが自分自身のままに生きる、自分を愛せるような人生を作っていければと思います。
ーー今回リリースされた『Super funk market』はFUNK sideとバラードsideの2枚組になっています。そういう部分にも「相反するものの真ん中を生きたい」という気持ちがあるのでしょうか。
堂本:そうですね。ただ作品を作ってアウトプットするってなると、自分がどれだけ真ん中にいたいと思っても偏りが出てしまうことはあって。そうなるとメッセージがちょっと変わってしまうので、アッパーな曲だけを出すことも考えたのですが、『THE FIRST TAKE』に出演した時に最初にシンガーソングライターとして書いた「街」という曲をパフォーマンスさせていただいて。海外の視聴者さんが日本語が分からなくても感動してくれているお姿を見て、こういう感情って言葉が違っていても届くんだな、自分の歌がいろいろな人の心を動かすことができるんだな、と改めて思ってバラードsideも制作することになりました。突発性難聴を患ってから歌いにくいような曲も、あえてトライすることに大きな意味があったように感じます。この挑戦がいろんな人に勇気を与えるものになったらいいですね。