ブレイキン=ブレイクダンス、なぜパリ五輪で初競技種目に? 若杉実がたどる歴史と近年の変化

 開催まで一年を切ったパリ五輪(2024年7月26日〜8月11日)にてブレイキン(ブレイクダンス)が初めて競技種目として登場する。皮肉だが、この日を夢見てきたひとはまずいない。大技にもがく姿を枕越しに見ることはあっても、五輪の種目になることなど、Bボーイ(ダンサー)にとって考えられないことだった。

 そもそもブレイキンとはなにか。70年代中葉にはその原形となるものがNY・ハーレムのギャングたちにひろまっていた。基本は縄張り争いの前哨戦。ダンスバトルとは名ばかりで、現実は流血惨事にまで激化することも。やがて抗争とは切り離されるようにブロックパーティに場を移し、ヒップホップの四大要素(他ラップ、DJ、グラフィティ)のひとつとなる。

 80年代に入るころには都市部を中心に全米各地に普及。ところが、この発祥地ですら“ブレイキン禁止令”なる校則が一部の学校に敷かれた。ようするに不良たちの“ゲーム”だったダンスが五輪はもとより、スポーツ競技になることなど予知しようがなかったのである。

 パリ五輪では東京大会につづき、サーフィン、スケートボード、スポーツクライミング、BMXといったアーバンスポーツが出揃う。ここに伍するブレイキンは最初の船出とあって、これまでになく注目されるにちがいない。流れとしては2018年のユース五輪での初採用が前段となったが、日本では今年の2月NHKが共催・生中継した『全日本ブレイキン選手権』(ゲストに経験者のナインティナイン・岡村隆史)が一般的な認知度を高める機会となった。

なぜ“いま”なのか

 五輪競技になった理由は多方面からの説明を要するため、すべてに踏み込むわけにはいかない。ただし後述につながる話に触れるなら一点、競技人口の多さだろう。ブレイキンを含むストリートダンスの人口は国内だけでも600万人(『2015年版 スポーツ産業白書』)を超え、うちブレイキンの比率は最多。この結果が五輪との関係に違和感のない印象を与えている。

 いっぽうで、こんな見方はどうか。これらの数字、比率はそのままヒップホップの人口(率)に差し替えられる。冒頭にてブレイキンはヒップホップの一要素と述べた。歴史を前提にすれば、踊り手はおしなべてヒップホップの洗礼者でなければならない。

 以上はディベートよろしくヒップホップとの関係性を検証するための極端な引き出し方ではある。ただし現実には、よろずヒップホップと軌を一にすることなどできていない。黎明期にみられた文化的要素は薄まった、そのように映る。

 五輪競技を頂点にスポーツ化へと向かうなか、有用とされてきた属性が取捨選択される。スポーツ化とはすなわち健康化だが、その対極にあるヒップホップの不良性はもはやダンス界では御法度。ステレオタイプな指摘ではあるが、クラブ未体験のBボーイもいまやめずらしくない。

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