RHYMESTER、キングギドラ、スチャダラパー……90年代から今なお第一線を走り続けるラップグループ
90年代の第一次日本語ラップ興隆期から、最前線で活動し続けるRHYMESTERが、前作から6年ぶりとなるアルバム『Open The Window』をリリースした。
このアルバムは、フィーチャリングの面々からも分かる通り、これまでRHYMESTERが手をつけていなかったジャンルや手法をふんだんに盛り込み、ヒップホップというジャンルを超え、色とりどりの新たな景色が見える作品に仕上がっている。
奇しくも今年は、ブロンクスでヒップホップが誕生して50周年という節目に当たり、この半世紀の間に、日本でもかなりヒップホップが浸透したことは言うまでもないが、日本のシーンを振り返るには絶好の機会だろう。
今回は、90年代を代表し、今もなお最前線を走り続けるグループを3組紹介するとともに、彼らが日本のヒップホップシーンに与えてきた功績を綴ってみたい。
RHYMESTER
RHYMESTERの功績を一言で表すなら、日本のヒップホップに多様性を与えたパイオニアだ。
1999年にリリースされた3rdアルバム『リスペクト』は、彼らの代表曲「B-BOYイズム」や「耳ヲ貸スベキ」を収録し、ハードコアの要素を残しつつも、斬新なリリックとエネルギッシュなビートで、ヒップホップを大衆化させた名盤として高く評価されている。
特に彼らは、ステージパフォーマンスに重きを置き、クラブミュージックであるヒップホップのステージで、観客との掛け合いや、一体感を重視したポップス顔負けのダンスを行うなど、観客とのコミュニケーションを最優先に考えてきた。
こうした彼らの演劇的で、ある意味ヒップホップらしからぬとも言えるステージは、いつしか「キング オブ ステージ」と呼ばれ、ヒップホップ以外のシーンからも高い評価を得ることになり、シーンの枠を飛び越え、様々な音楽フェスなどにも参加するようになった。
2007年に行われたツアー『KING OF STAGE VOL7』では、RHYMESTER初となる日本武道館での単独公演を成功させ、名実ともに日本の音楽シーンにその名を刻むこととなる。
彼らのライブパフォーマンスは、後にKREVAやCreepy Nutsなど、ライブに定評のあるアーティストたちに受け継がれていき、デビューしてから30数年経った今もなお、ヘッズのみならず、幾多のアーティストたちのお手本となっている。
キングギドラ
1999年にDragon Ashの楽曲「Grateful Days」にZeebraが参加し、注目を浴びたキングギドラ。その後、幾度かの解散や再結成を経て、2021年に20年ぶりの新曲「Raising Hell」をリリースしたことは記憶に新しい。
キングギドラの楽曲は、社会的な問題や政治的なメッセージなど、さまざまなテーマを取り上げているのだが、特筆すべきは、彼らの「韻(ライミング)」への意識の高さだろう。
90年代の日本語ラップシーンは、アメリカで誕生したヒップホップというカルチャーをそのまま日本で広めたいという意識が高い反面、韻に対しての意識はそれほど高くない時代でもあった。その頃、アメリカでは、ラップとはすなわちライミング(韻)であると、捉えられており、ライミングで競い合うことこそが、ラップの醍醐味であると認識されていた。
そこで彼らは、文節末や語尾で韻を踏むことが主流だった日本のシーンにおいて、単語や句でも韻を踏み、ラップ=韻を踏むこと、つまりはライミングこそが重要だと主張したのだ。
こういった高水準の意識が、のちに「韻を完成させたグループ」と呼ばれるほどになり、韻を踏まなければ、ヒップホップ(ラップ)じゃないと世間に認めさせるほど、彼らのライミングは他を圧倒していた。
20年ぶりの新曲「Raising Hell」でも、ライミングへの意識とスキルは健在であり、いま最も活動が注目されているグループだろう。