藤井風、King Gnu、YOASOBIらJ-POP史に息づくジャズのDNA 日本音楽とブルーノートの関係性を紐解く
「近年J-POPにジャズを下敷きにしたアーティストが台頭している」という言説には御用心。確かにジャズ的な要素を学生時代から取り込み、自分の音楽としてYouTubeで発信してきた藤井風、新井和輝(Ba)と勢喜遊(Dr)がジャズの要素を持ち込むKing Gnuの楽曲を聴けば、それが間違いだとはいえないものの、日本の芸能とジャズの蜜月は戦後から繰り返されている。
雑な列挙になるが、美空ひばりを擁した三人娘の江利チエミと雪村いづみは進駐軍を相手にジャズを歌って世に出たし、渡辺プロダクションの創設者・渡辺晋はジャズベーシストだった。彼がもともとジャズを演奏していたハナ肇とクレイジーキャッツを売り出し、その流れを引き継ぐザ・ドリフターズが国民的人気を誇ったことは言うまでもない。
また1952年にベニー・グッドマン楽団「Sing Sing Sing」でドラムを務めたジーン・クルーパ、1961年には同じくドラマーのアート・ブレイキーが来日し、大規模なジャズブームを巻き起こす。後者の代表曲「Moanin'」はザ・ピーナッツがカバーしただけでなく、蕎麦屋の出前持ちが口ずさんだという逸話も有名だ。
ロックと融合したフュージョンをはじめ、様々に細分化したジャズが花咲いた70年代以降は元トランぺッター・タモリが人気者に。YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)も1978年12月10日に開催された『アルファ・フュージョン・フェスティバル』に出演した際は、フュージョンの文脈のなかで紹介されていた。
また世界的なシティポップ・リバイバルの代表的なアーティストのひとりとして挙げられる吉田美奈子の作品で演奏しているのもジャズミュージシャンが多く、しばしば海外プレイヤーの参加が目立った。そしてJ-POP史において海外とのコネクションが最も深まったのが90年代のSMAPである。録音に関わったメンバーによるSmappiesが残した作品のクレジットに並ぶのは当時の最先端プレイヤーばかり。
近頃は椎名林檎「丸の内サディスティック」がスタンダード化し、多くのYouTuberによってカバーされている。YOASOBI「夜に駆ける」やNewJeans「OMG」などのヒット曲に隠れているのは、本楽曲が使っているコード進行やその亜流。ジャジーな印象を持つこの進行は「丸サ進行」と呼ばれることが多いが、それより以前に本進行を使って生まれたヒット曲がサックス奏者のグローヴァー・ワシントンJr.「Just the Two of Us」だ。フュージョンから派生した文脈で生まれた楽曲である。
このように今も昔もJ-POPとジャズは密接で、一朝一夕の関係ではないことがわかってもらえたと思う。続いてジャズ史を概論的に触れつつ、J-POPに当てはめて深堀りしたい。まずジャズを「モダン」にしたのは何だったのだろうか? それは日劇を賑わせたジーンクルーパが演奏した「スウィング」ではなく「ビーバップ」というスタイルである。
モダンジャズの礎となったビーバップは今でいうヒップホップのフリースタイル・ラップバトルに近い構造を持ち、楽曲上でマイクリレーしつつ、どれだけ饒舌に即興できるかが競われる。このビーバップにおけるフレーズのボキャブラリーのほとんどを作ったと言われるのがサキソフォン奏者のチャーリー・パーカー。彼の演奏で有名な「Donna Lee」を藤井風がYouTubeにアップしている動画はぜひチェックしてほしい。