村井邦彦×吉田俊宏『モンパルナス1934~キャンティ前史~』あとがき
吉田俊宏によるあとがき
村井邦彦さんとの共著で川添浩史(紫郎)さんの半生を書くことになった経緯は「連載スタートに寄せて」の「序文」に記した。その序文がアップされたのは2020年11月20日、小説の初回「エピソード1」は2021年の元日に掲載されている。最終回「エピソード14」は2022年のクリスマスだから連載は2年に及んだことになる。
当初は10カ月ぐらいで連載を終えるつもりだった。大幅に予定を超えてしまったのは、これを「小説」にしたからにほかならない。
川添さんに関する資料は思いのほか少ない。知られているのはノンフィクション作家の野地秩嘉さんによる「キャンティ物語」(幻冬舎文庫)、キャンティが創業30年を迎えた年に発行した「キャンティの30年」(春日商会)ぐらいで、ほかは原智恵子さんに関する評伝などで部分的に言及されているにすぎなかった。
新たな資料をいくつか見つけて(実際、かなり見つけたし、取材もした)人物伝としてまとめれば、それなりに価値のある読み物になったかもしれない。分量も3回連載ぐらいに収まっただろう。
しかし、村井さんと私は「小説」という形を選んだ。だから期間も分量も長くなったのである。
当然ながら、小説は新聞記事とは勝手が違う。簡単には書けなかった。それで時間がかかった面も確かにあるのだが、同時に小説を書くのはとても楽しく、だからこそ分量も期間もどんどん長くなっていったのだ。楽しくなければ、何としてでも早く終わらせてしまおうとしたはずだ。
なぜ小説の形にしたかといえば、川添浩史さんという人物を現代によみがえらせ、生きた人間として動かしたかったからだ。さらに川添さんの周りにいた人たちを全員よみがえらせ、往時のパリやカンヌの街並みを再現し、音楽や美術、建築、食事を味わい、私たちの思いまで詰め込みたい。そう考えたのである。
とはいえ、やはり小説を書くのは簡単ではなかった。例えば人物を動かすには、シーンが必要になる。場所と時代(できれば日時まで)を決め、主人公と何人かの共演者を登場させなくてはならない(当たり前の話だが)。
「エピソード14」の中盤、村井さんと川添さん、岡本太郎さん、坂倉準三さんらが大阪万博について議論するシーンをつくった。場所はキャンティ、時代は1968年9月下旬に設定した。なぜなら、もっと後にすると坂倉さんが亡くなってしまうし、シーンの後半に現れる福澤幸雄さんも事故死してしまう。もっと前にすると万博の準備はあまり進んでいないだろうし、仲小路さんの「未来学原論」(1968年10月刊行)に言及できなくなる。
本当は1968年12月後半に設定したかった。キャンティの常連だった川端康成さんがノーベル文学賞を受賞し、有名なスピーチ「美しい日本の私-その序説」を授賞式で披露するからだ。
実は最初の原稿では12月に設定して川添さんが「美しい日本の私」に言及する場面まで書いていたのだが、村井さんから「象ちゃんが店の前でギターを弾いていたのは夏だけだよ」と指摘されて削った経緯がある。確かに川添象郎さんがキャンティの前にイスを出してギターを弾くには12月は寒すぎる。それでギターのシーンを優先して時を9月に設定し直し、ノーベル賞の話を入れるのはあきらめたのである。
すべてのシーンの背後に、こういう下調べと試行錯誤や葛藤があると思っていただいていい。とはいえ、それらは全く苦ではなく、楽しくて仕方がなかった。新聞記者の仕事ではあまり味わったことのないワクワク感があったと白状しておこう。
読者の多くはお気づきだろう。登場人物は実在した人ばかりではない。
架空の人物の代表が富士子だ。日本からマルセイユに向かう船で、ずっとシローが単独行動を取っていたら動きがなくなると懸念し、話し相手として登場させたのが始まりだった。ところがシローが恋に落ちたのと同じように、村井さんも私も彼女に対する思い入れが強くなり、物語の中盤まで引っ張ることになった。
村上明もフィクションの人物だが、彼の渡欧目的を「イタリアで彫刻を勉強する」としたのは、後に川添さんと梶子さんとの出会いの場面で再登場させることを見込んでの伏線だった。
村上のように伏線がうまく回収できたケースもあるが、思いつきで登場させたまま、うやむやに消えていってしまったフィクションの人物も少なくない。黒人のシャルル・デュソトワール(ラグビーの元フランス代表、ティエリー・デュソトワール選手の名を借りた)、住友の万城目、ファシストのガマガエル、白タクシーの運転手モーリス・アロン(哲学者のレイモン・アロンをモデルにした)といった人たちだ。彼らのその後ももう少し描きたかった。
もう一人、フィクションの人物に満鉄の鮫島一郎がいる。村井さんが週刊「てりとりぃ」に連載している「続・村井邦彦のLA日記」に登場する不思議な力を持つ妖精「鮫島三郎」からの連想で名づけたのだった。
坂本龍馬の甥の長男、坂本直道という人も出てくるが、彼はパリの満鉄にいた実在の人物だ。川添さんと交流があったという記録は見つからなかったが、同じ時期に近くにいて、しかも坂本龍馬の甥の長男と後藤象二郎の孫だ。何の接点もなかったと考える方が不自然だろう。
シローがロバート・キャパやゲルダ・タローと親しかったことは歴史的な事実で、海外で出版されたキャパやゲルダの評伝にも「シロー・カワゾエ」の名が出てくる。キャパは作家のヘミングウェイとも親しかったから、川添さんとヘミングウェイにも接点があったと考えるのが自然だが、残念ながら小説に登場させる機会はなかった。接点があったとすれば、何年何月ごろで、場所はどこの可能性が高いのか…。なかなか調べがつかず、2人が交流するシーンを作れなかったというのが正直なところだ。こういう心残りもいくつかある。
この2年余り、かつてないほど本を読んだ。次のエピソードに向けて「この本を読んで参考にして」というメールが村井さんから矢継ぎ早に送られてきたからだ。本だけでなく、古い映画や音楽の場合もあった。その都度、村井さんの知識量に圧倒された。例えば「マグロの血」が出てくるポール・ヴァレリーの「地中海の感興」を引用しようと提案したのも村井さんだ。
一方、私が資料を調べていく中で発見したエピソードもストーリーに盛り込んでいる。例えばアヅマカブキのエディンバラ公演の最中に同地で映画祭が開かれ、溝口健二監督の「雨月物語」が上映されている。その事実を吾妻徳穂さんの自伝で知った。
川添さんと梶子さんが恋仲になるのは、まさにこの英国公演の時だ。女の魔性に翻弄される男を描いた「雨月物語」を見て、川添さんは何を思っただろうと興味が湧いた。「エピソード13」に映画の話を入れたのは、そんな経緯からだった。
最も印象深いのは「エピソード10」だ。その前の「9」をアップしたのは2022年1月16日。その後、急に筆が進まなくなってしまった。しかし、振り返ってみれば、あの停滞は「もう少し待ちなさい」という「天の声」によるものだったのかもしれない。
2022年2月24日、ロシア軍のウクライナ侵攻が始まった。私たちは仰天した。これから書こうとしていた1939年秋以降の状況と現実がダブったからだ。幸か不幸か、筆は一気に進んだ。何かに突き動かされているようだった。同年3月18日にアップした「エピソード10」は次の一文で始めることになった。
「ナチス・ドイツは1939年9月1日、ポーランドに侵攻した」
改めて「エピソード10」を読み直すと、現実と小説がシンクロする恐ろしさをひしひしと感じながら書いた当時の記憶がよみがえってくる。
村井さんも私も小説は初挑戦だった。個人的な話をすれば、私はかねて「いつか小説を書いてみたい」と思っていた。村井さんが「川添さんの話を2人で書くとしたら、いっそのこと小説にしちゃおうか」と話したときは、大げさに言うと運命を感じた。
本当は小説を書くなら、構成や展開を練りに練って、デビュー作から完璧な作品に仕上げてやろうと思っていた。ところが、そんなことを考える暇もなく、いきなり本番、実践となり、次のエピソードを書き上げるのが精いっぱい…という日々になった。
「モンパルナス1934」を小説と呼んでいいのか、作品と称していいのかも分からないが、曲がりなりにも連載を終え、こういう形の文章が残った。村井さんと私のコンビだからこうなったのだ。ほかのどんなコンビが書いても、こんな内容には絶対にならないだろう。少なくともオリジナリティーはたっぷりとある。そう自負している。小説として、読み物として、少しでもお楽しみいただけたら、望外の喜びです。ありがとうございました。