小説『モンパルナス1934~キャンティ前史~』エピソード12 アヅマカブキとキャパ 村井邦彦・吉田俊宏 作

アヅマカブキとキャパ#3

 1954年4月13日夜、羽田空港のロビーには多くの報道陣が駆けつけていた。お目当ては人気歌手ジョセフィン・ベイカーと世界的な報道写真家ロバート・キャパだった。
 折からの雨で、わずかに残っていた桜も完全に散ってしまった。雨はますます激しくなり、滑走路は白く煙っている。報道陣の一団から少し離れたベンチに腰かけた浩史は浮かない顔をしていた。
「どうしたんです。川添さん、キャパに会えるのを楽しみにしていたのに」
 通訳と案内役を兼ねて「カメラ毎日」から派遣された編集者、金沢秀憲が声をかけた。
「キャパとは戦争前にパリで別れたきりなんだ。あいつはアメリカ、こっちは日本。敵同士になってしまった。ノルマンディー上陸作戦を撮ったピンぼけの写真を見たことあるだろう?」
「ええ、もちろん。これでも毎日新聞の写真部にいたんですよ」
「写真部か。今や空前のカメラブームだもんなあ」
「あっ、出てきましたね」
 浩史はさっと立ち上がり、報道陣の群れを器用にかき分けて最前列に躍り出た。
「ハーイ、シロー!」
 キャパはすぐに彼を見つけ、満面に笑みを浮かべて帽子を振った。
 目の前にキャパがいる。左右の眉毛がつながった懐かしい顔…。浩史はキャパに駆け寄った。
 2人は固く抱き合い、しばらく動かなかった。報道陣も遠慮して、遠巻きに見守っている。互いに背中をポンポンとたたき合っているうちに、長い時間をかけて固まった氷が解けていくのが分かった。2人を引き裂いた戦争は終わった。もうアメリカも日本もない。ここにいるのはモンパルナスで夢を語り合ったアンドレとシローだった。

 翌日からキャパは精力的に都内を歩き回り、シャッターを切り続けた。公式に付き添っているのは「カメラ毎日」の金沢だが、浩史も常に同行し、朝と夜は必ず食事を共にした。
 キャパは銀座や浅草、新橋を丹念に見学した。映画の看板に見とれる学生、おみくじを引く老人、白衣の傷痍軍人、背負った赤ん坊の上に「ねんねこ半纏」を羽織った女性などを興味深く見つめ、無造作にシャッターを切った。構図や露出などはお構いなしのように見えた。
 新橋演舞場の撮影を終えて出てくると、どこで聞きつけたのか、世界的な報道写真家を一目見ようと大勢のカメラ愛好家が集まっていた。その一群に菊乃もいて、通りの向こうから盛んに手を振っている。
「シロー、きれいな女性だね。君の恋人かい?」
 キャパが浩史の顔をのぞき込むようにして言った。
「新橋の芸者だよ。今は洋装だけどね」
「オー、ゲイシャ・ガール。ワンダフル!」
 キャパとは英語で話した。公式の通訳として金沢が付き添っている以上、フランス語で話すわけにはいかなかった。
「あの大きな瞳はどこかで見たことがあるなあ。そうかフジコに似て…。あっ、ごめん。つらい出来事を思い出させてしまったね」
 キャパが暗い顔をして言った。
「いや、構わないよ。もう遠い昔の話だ。言われて気づいたけど、似ているかもしれないな。目と口元…。背丈は違うけどね。そういえば、君こそイングリッド・バーグマンとの仲はどうなったんだ?」
「もう遠い昔の話だ」
 キャパが浩史の口調をそっくりまねて答えると、横にいた金沢がプッと吹き出し、釣られて浩史もキャパも笑いだした。向こうで菊乃がきょとんとしていた。

ロバート・キャパ(左)と川添浩史(1954年、東京・高輪の光輪閣)

「どうだい、アンドレ。温泉は」
「オンセン、サイコー」
 キャパに1日だけオフが与えられるというので、浩史は彼を熱海に連れてきた。相模湾を望む源泉かけ流しの露天風呂で2人はゆっくり語り合った。
「日本滞在中のスケジュールはがっちり決められているんだよな?」
「ナラ、キョート、ヒョーゴ、オーサカ。それからトキオに戻ってメーデーを撮ってくれと言われているよ」
「奈良や京都はもちろん見る価値があるけど、本当は広島と長崎を撮るべきなんだよ」
「オー、ヒロシマ、ナガサキ。僕は心配で仕方がなかった。シローがきのこ雲の下にいるんじゃないかと思ってね」
 キャパは夕日に赤く染まった海を見ながら言った。
「そうだ、ビキニの灰を撮るといい」
「ビキニの?」
「今年の春、太平洋のマーシャル諸島にあるビキニ環礁でアメリカが水爆実験をやったのは知っているだろう?」
「もちろん。日本の船が巻き込まれたんだったね」
 キャパの目の色が急に変わった。
「第五福竜丸という木造のマグロ漁船だ。多量の死の灰を浴びた」
「死の灰?」
「英語ではフォールアウト(放射性降下物)だったかな」
「オー、フォールアウト。アイ・シー」
「乗組員23人は全員、フォールアウトを浴びながら長時間作業したそうだよ。第五福竜丸は自力で母港の焼津まで戻ってきたんだ」
「ヤイヅ? ヒロシマやナガサキより近いの?」
「熱海からだったら、あっと言う間さ」

 キャパはスケジュールの変更を要請し、焼津に向かった。翌朝一番の列車で「カメラ毎日」の金沢もやってきた。
「いやあ、急に予定を変更したいって言いだすから驚きましたよ。川添さん、あなたの入れ知恵ですね」
 東京から持参したこうもり傘を浩史に渡しながら、金沢が言った。
「さあ、どうかな」
 雨が激しくなってきた。
「第五福竜丸か。いいアイデアだったと思いますよ。結果論ですけど」
 金沢が言った。キャパは傘も差さず、黙然とマグロ船を見つめている。
「こんな小さな木造船が太平洋の彼方までマグロを獲りに行っていたんですねえ」
 金沢がため息をついた。キャパは呆然と立ち尽くしたままだ。
 またマグロか…。浩史の脳内を様々なイメージが駆けめぐる。ポール・ヴァレリー、マグロ、血、地中海、山中湖、太平洋、マルセル、アンドレ、血。浩史は妙な胸騒ぎを覚え、気づいたときにはその場にしゃがみ込んでいた。
「シロー、シロー。アー・ユー・OK?」
 キャパが飛んできて浩史の肩に手をかけた。
「あ、ああ、大丈夫だ。少しめまいがしてね。疲れているのかな」
「川添さん、雨も強くなってきたし、どこか食堂にでも入って休みましょう」
 金沢に促され、浩史とキャパは焼津港を後にした。

 東京に戻ったキャパは天皇誕生日の一般参賀を取材した。
「おい、アンドレ。いったい、どうしたんだ。朝からずっと浮かない顔をして」
 浩史がキャパの肩をポンとたたいた。
「うん、あのね…。い、いや、何でもないんだ」
 横にいた金沢がキャパをにらんだ。
「あれ? ミスター・キャパ、まだ川添さんに話していなかったのですか?」
「えっ、何の話だ?」
 浩史がキャパと金沢を交互に見て言った。
「キャパさんは東京でメーデーの取材を終えたらインドシナに飛ぶそうです」
 金沢が肩をすくめてぼやいた。
「な、なんだって? ベトナムとフランスがドンパチやっている真っただ中じゃないか」
 浩史がキャパに詰め寄った。
「ごめん、隠すつもりはなかったんだ。昨夜、急に連絡があってね。『ライフ』との契約は1カ月だから、すぐ日本に戻ってくるよ」
 キャパは頭をかきながら、しきりに弁解した。
「マグナム・フォトの連中に行けと言われたのか?」
「いや、彼らは無理して行く必要はないと言ってくれたよ。僕が行くと言ったんだ」
「なぜだ?」
「うーん、何となく行ってもいいかなと思ってね」
 キャパはしどろもどろになった。
「日本は写真の天国だって言ってくれたじゃないか。日本にいるのが嫌になったのか」
「いや、そうじゃない。その反対だよ。日本は本当に写真の天国で、とても楽しかった。日本に来たおかげで、これまでよりもっと写真が好きになったんだ」
「行くな、アンドレ。行っちゃいけない。今のインドシナ戦争は、ベトナムの独立をかけた戦いだろう?」
 浩史の剣幕に押され、キャパはたじたじになった。
「アンドレ、君の行くべき戦争じゃない」
 浩史は重ねて言った。なぜこれほど強く、激しく反対するのか、自分でも分からなくなっていた。

 1954年5月1日、キャパは毎日新聞の依頼でメーデーの取材をした。2年前の同じ日、皇居外苑でデモ隊と警察が衝突して「血のメーデー」と呼ばれる事件になった。その後の状況を世界的な報道写真家に撮らせたかったのだろう。キャパはトラックに乗せられ、半ば義務的にシャッターを切り続けた。
「シロー、1936年のメーデーを覚えているかい」
 キャパが叫ぶように言った。デモ隊と警察が巻き起こす地鳴りのような音にかき消され、すぐ近くにいるのに声が聞き取りにくい。
「ああ、君が毎日新聞から借りたライカを壊してしまった日だろう?」
「そうか、そうだった。ライカを壊したのがメーデーの日だった。だとすると、その2日後だ」
 またキャパが叫んだ。
「5月3日のレピュブリック広場か。忘れるもんか。大勢のパリジャンが『ファシストを追い詰めろ』と叫んでいた。君はゲルダと一緒にカメラを構えていた」
「そこでシローはフジコと再会した」
「そうだ、その通りだ」
「もう遠い昔の話だ」
 キャパがまた浩史の口調をまねて言った。
「遠い昔だが、忘れられない1日だ」
 浩史が叫んだ。
「ああ、それにしても日本にメーデーは似合わないな。日本の新聞は、僕がこんな被写体を好むと思っているらしい。困ったもんだ。僕の好きな日本はここにはないよ」
 キャパはそうぼやいてトラックから降りた。そろそろ羽田に向かう時間だった。
 バンコク行きの便は2時間後に出発する。仏領インドシナに入るには、まずバンコクでビザの発給を受ける必要があった。
 キャパは「まだ少し時間があるから」と浩史や金沢たちを空港のレストランに誘い、ウイスキーを振る舞った。
「ミスター・キャパ、そろそろ出発です」
 金沢がそう告げると、キャパはしぶしぶ腰を上げた。
「シロー、きっとすぐに帰ってくる」
 キャパはひどく深刻な顔で浩史に言った。
「うん、分かっている。君の荷物は全部うちで預かっておくからさ。僕のおかげで君はほとんど手ぶら同然でインドシナに行けるわけだ」
「カメラとフィルムは持ったよ」
「当たり前だ」
 キャパは搭乗口の前で急に立ち止まり、見送りの人々に背を向けたまま、自分の頭をたたき始めた。
「ああ、僕はバカだ、バカだ。なぜインドシナに行くなんて言ってしまったんだろう」
「おいおい、そんなにたたいたら本当に頭がおかしくなっちまうぞ」
 浩史の声に反応して、キャパが振り向いた。うっすらと涙を浮かべている。ウイスキーを飲みすぎたのだろうか。彼が日本に来て以来、ほとんど毎晩酒を酌み交わしてきたが、いつも愉快な酒だった。少なくとも泣き上戸ではなかった。
「アンドレ、ボン・ボヤージュ!」
 浩史が握手を求めて手を差しだすと、キャパは抱き着いてきた。浩史が戸惑うほどに固く、長い、長い抱擁だった。

 ロバート・キャパこと、アンドレ・フリードマンは1954年5月25日、仏領インドシナで死去した。享年40。稲田を進むフランス兵の一団を撮影するため、土手を駆け上がり、窪地に降りてカメラを構えようとしたとき、彼の足は地雷を踏んでいたのだった。(つづく)

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