『HELLO WOMAN』インタビュー
つじあやのが描く、ありのままの女性として生きること 妻、母、アーティスト……様々な経験がもたらした“出会い”
2019年にデビュー20周年を迎えたつじあやのが、オリジナルアルバムとしては前作『虹色の花咲きほこるとき』以来、約11年ぶり通算8枚目となるニューアルバム『HELLO WOMAN』をリリースする。
近年はシンガーソングライターとしてのキャリアを重ねる一方で、映画やドラマ、アニメやCMなどに楽曲を提供するサウンドクリエイターとして活躍し、私生活では結婚、出産、子育ても経験した。本作には、音楽家であり、妻であり、母でもある一人の女性としての自分自身と改めて向き合った記録が、実に正直に綴られている。そして、過去の傷心やコロナ禍の絶望、やりきれなさ、言いようのない寂しさまでが生々しく表現されている。これまでにない苦味を感じる歌詞に、リスナーは驚くかもしれない。しかし、映画『猫の恩返し』の主題歌「風になる」からもう20年が経とうとしているのだ。陽の当たる坂道を自転車で駆け登っていた“僕”の今、リアルな心情を探る。(永堀アツオ)
今までに見たことないつじあやのを目指して
ーー20周年のアニバーサリーイヤーを経て、フルアルバムとしては実に11年ぶりとなります。
つじあやの(以下、つじ):この10年は、CMの曲や映画音楽、他のアーティストさんへの提供曲を作ってきて。その活動が心地よくて続けていたんですけど、「アルバムを作って欲しい」という声がありまして。自分としても活動して20年経ったし、久しぶりにアルバムを作りたいと思ってやり始めたんですけど、自分自身のために純粋な曲を作るというのが本当に久しぶりだったので、割と難産だったなと思います。
ーー苦しんだのは自分のためだったからですよね。
つじ:そうですね。自分の気持ちって何かな? と思って。結婚、出産、子育てを経て、自分の気持ちも一筋縄ではいかないというか。割り切れないことや、やりきれないことがいっぱいあって。それを言葉にするのはなかなか難しかったんですね。自分自身が女性として生まれて、アーティスト・つじあやのとしては20年、人生は40数年経ったんですけど、その中でいろいろな変化があった。だから今回は、今の自分や過去の自分とも向き合って、嘘のない自分自身の気持ちを綴っていこうと思って作り始めました。
ーー最初に聴いたとき、想像と違っていて驚きました。聴き心地は朗らかで明るくて開けている部分もありますが、歌詞に生きていく上で感じる苦味やエグみがあって。
つじ:ふふふ。そう感じていただけるとすごく嬉しいですね。そもそも3年くらい前からアルバムを作り始めようと思い、2年前にようやく重い腰を上げて、いざ作り始めて。久しぶりのアルバムなので、最初は「風になる」や「クローバー」のように、ポップでキラキラした曲ばかりを集めた爽やかな作品を作りたいと思ったんですね。でも、スタッフ陣から「今までに見たことないつじあやのを見たい」「つじさんのちょっとドロドロした部分やダークな部分を見てみたい」と言われて。だから難産だったんですけど、改めて振り返ると、いろんな自分と出会うことができたなと思うんですね。かつ、コロナのこともありまして、ちょっと暗い気持ちになったり、頑張っても無理なんじゃないかっていう気持ちも重なって。それでも「生きるってこういうことだよな」と感じたことをリアルに曲にしました。
ーー例えば、失恋の傷心を長い時間かけて乗り越えていく「ただの人」でも、“5年”という数字にとても生々しいものを感じました。過去の自分と向き合ってみてどう感じましたか。
つじ:本当に不器用だなって思いましたけど、逃げずに向き合えたからこそ今の自分があるなと思いますし、そこは自分を褒めるべきところかな。もしも途中で逃げ出していたら、この幸せは掴めなかった。ただその反面、自分には絶対になれない女性像もあって。「朝が来るまで」では、「こんな女性、素敵だな」って思う女性を描いてみたりしているんですね。
ーー別れの場面に対して、対照的な女性が描かれていますよね。
つじ:そうですね。「ただの人」は、逃げたくても逃げられない自分自身の本当にリアルな姿を思い切り書いたんですけど、「こんな女性になりたかった」というのが「朝が来るまで」の女性なんです。こんな人がいるのかわからないから、妄想といえば妄想だけど、私にとっては憧れですね。
ーー好きな気持ちが残っていても、スパッと別れていますね。「ただの人」は5年かかったのに、「朝が来るまで」では5分で切り替えてる。
つじ:私って、出会ったが最後、ちょっとでも情があると、自分から「さよなら」とは言えないタイプなんですよ。だから、自分からさよならできる人はカッコいいなと思って。そうなりたいなと思っていたけど、結局はなれなかった。例えば恋愛で、男性がこっちを向いてくれない時も、すぐに「じゃあ、いいよ」とはなれない。どうやったら振り向いてくれるかなと考えたり、ちょっと待ってみたりする。そういうタイプだったので、自分から見切りをつけられる人に憧れがありますね。ないものねだりですけど。
ーー本当の「さよなら」までに、つじさんは5年かかるんですね。
つじ:そうですね。「もうおしまい」となった後、こちらから連絡したら負けだと思って、歯を食いしばって連絡しないようにして。そればかりだとしんどいから、友達とご飯を食べに行ったり、いい人いないかなと思って探してみたりしながら、ただただ、時が解決してくれるのを待つ。そこを上手くできる人がいるのもわかってるけど、横目で見ながら「自分にはできひんし」って耐え忍んで耐え忍んで……ようやく「出会えた!」みたいになります(笑)。そしたら、それまでが嘘のように、元彼を「ただの人」だって言える。5年かけてようやくという感じですけど、すぐに言えたら「ただの人」という曲はできてないですからね。
ーーウクレレの弾き語りによるQueenのカバー「Killer Queen」のような、小悪魔的な女性はつじさんの中にいますか?
つじ:いや、まったくないですね(笑)。ちょっとでもあったらよかったけど。
ーー今回、アルバムに入れたのはどういう理由で?
つじ:ワンマンライブで(「Killer Queen」を)やったことがあるんです。ずっと一緒にやっているライブスタッフの女性から、「つじさん、最近慣れてきてるんちゃう? もっとライブを面白くしようよ」って言われて。いつも弾き語りをしているコーナーがあるので、パンチがある曲って考えた時に、ちょうど当時、映画『ボヘミアン・ラプソディ』がやっていて。感動して家でもよくQueenを聴いてたんですね。そしたら、子供も「We Will Rock You」にハマって、家で大ブームになって。Queenのカバーをしようと思った時に、「Killer Queen」はパンチがあるし、なんとかウクレレで行けそうだなと思って演ったものがずっと残っていて。この曲にも、自分にないものを持っている女性が出てくるので、アルバムに入れたいなと。
「自分にはいろんな可能性があることを俯瞰で見られた」
ーーちなみに「シンデレラ」の主人公の女性は?
つじ:これも妄想です。子育てがひと段落して、知らない男性との恋に走る人の気持ちが、なんとなくわかるような気がして(笑)。
ーーあはははは。「わかる気がする」と言っちゃっていいんですね。
つじ:はい。わかるっていうだけで、実際に不倫に走ったわけじゃないので。本当に不倫していたら、それは書けなかったですね(笑)。旦那に初めて聴かせるときは「これ、なんなん?」って言われたらどうしようと思って、ちょっとドキドキしましたけど、なんとか大丈夫でした。
ーー(笑)。「アンティーク」ではミュージシャンとしての原点や初心に立ち返ってますよね。
つじ:このアルバムのために作ったわけではなく、妊娠がわかる直前に作った曲だったんですね。ふと、「これからどうやって音楽を続けていこうかな?」と思ったことがあって。それでも上を向いていきたいなって思った時に、音楽を作り始めたときの自分と今の自分を重ねて、前を向いて歩いていこうという思いで作った曲ですね。
ーーデビュー前の心境ですよね。
つじ:当時はあんまり何も考えてなくて。こんな自分になりたいって想像するよりも、とにかく音楽をやりたい、ライブをやりたいという気持ちだけしかなかった。でもそれって、今思うとキラキラしてて、すごく素敵だなって。そういう気持ちは忘れてるなと思ってできた曲です。
ーー『HELLO WOMAN』を掲げたアルバム全体に、〈さようなら〉や〈バイバイ〉というフレーズが数多く入ってますね。
つじ:そうですね。楽曲それぞれで違うんですけど、「お別れの時間」はさよならを最も象徴する曲ですね。子育てもちょっとひと段落して……と言ってもまだ4歳なんですけど。
ーー全然ひと段落してないじゃないですか。
つじ:あはは。してないんですけど、0~1歳は手がかかりまくるし、気持ち的にも24時間ずっと心配。2歳になって歩き出して言葉も覚え始めて、3歳くらいになると保育園にも慣れてくるし、いつまでもつきっきりじゃなく、一人で遊んでくれるような時間もできてきたんです。お母さんとしての自分も一息つけるようになったときに、気がつくと、当時42歳でアーティストとしても20年を迎えていて。結婚して、妻にもなっている。そこでふと、言いようのない寂しさのようなものが……ひゅっと風が吹いてきたんですよね。
ーー傍目からはとても幸せに見えますよね。「アンティーク」で夢を見ていた女の子が夢を叶えて、「ただの人」で大切な人に出会って、結婚して、子供ができて、幸せな家庭を築いているという。
つじ:そうなんですよね。今までにない寂しさとか、やりきれなさを感じた時があったんですよ。ライブをやるときは化粧もしっかりして、衣装も着るんですけど、普段はそこまでやらないし、口紅も塗らなくなっている。周りの人から見ればつじあやのっていうアーティストだし、奥さんでもお母さんでもあるので幸せそうに見えるけど、街中をぼーっと歩いていたりすると、きっと誰だかわからないんですよね。そう思った時に、自分はどういうふうに見えるのかなって。バシッと決まってるわけでもないから、すごく地味に見えるかもしれない。それは周りの価値判断なわけだけど、自分にはどれくらいの価値があるのかを考えて、ちょっとやけっぱちな気持ちになっちゃったんです。「頑張ろう」ということでもないし、「よく頑張ったね」ということでもない。ただただ、もういいかな……って思った時にできた曲です。
ーーだから、この曲では自分の命と〈さようなら〉してしまっていますよね。
つじ:もう別にどうでもいいかなと感じてしまった。それは今までにない感情だったので、自分でもびっくりして。でも、みんなの人生の中でも一瞬、こんな気持ちが訪れることがあるんじゃないかなって。
ーー人生に深く絶望したわけではなく、本当にふとしたことで、あっち側にいってしまう方はいると思います。
つじ:うん、きっといるんだろうなと思ったんです。もういいやと思って、いってしまう気持ちもなんとなくわかって。
ーーつじさんはそこで、踏みとどまったわけですよね。
つじ:その時々でいろんな自分がいるんですよね。「にじ」みたいに、子供のことがすごく可愛くて、いろんなことを教えられて愛おしいなって思う時間もあるけど、一方で、不倫に走ってバッシングされたり、妄想の恋愛をしてみたり、子育てを放棄したり、亡くなってしまう人もいる。どんな可能性もあるし、責められないって思ったんです。どれも自分で、どれも人間なんだなって。自分はいろんな可能性があるなっていうことを俯瞰で見られたので、自分と〈さようなら〉しなくてよかったのかなと思いますね。