草なぎ剛、徳川慶喜として駆け抜けた日々の舞台裏 クライマックスを前に振り返る
なぜ、そのような演技ができるのだろうか。もともと“憑依型”と評価されることも多い草なぎの演技。いっそ緻密に練り上げた計算のもと、「狙ってあの演技をしているのだ」と言われたほうが、私たちは納得するのかもしれない。だが、草なぎは各メディアの取材に「何も考えずに演じている」(『ザテレビジョン』genic.Vol4)と飄々と答えるのだ。
むしろ「時代劇に慣れてなくて、リハーサルとかでも足袋履いて、浴衣みたいなのを着て、帯を締めないといけないんだけど、僕、分からないからさ。本当は覚えないといけないんだけど、面倒くさいから普通にちょうちょ結びとかして、グッと巻き込んでごまかしてリハーサルしてたのね。そしたら、そんなのちゃんと覚えなさいって」(『月刊ザテレビジョン』2022年1月号)と、決して“優等生”とはいえない舞台裏の様子も明かされている。
10月25日、クランクアップの感想を述べたツイートも「1年以上に渡って大河ドラマ、徳川慶喜を演じてきて……そうですね、心にポッカリ穴が……空いてはないんですけど」と微笑む。「じんわりとですね、深〜い寂しさが襲ってきます」と続けてはいるものの、あれだけの熱演に対して、なんとも力の抜けるコメントではないか。
もちろん、まったくなにも考えてないわけではないことはわかっている。YouTubeチャンネル『ユーチューバー草なぎ』に投稿した「大河ドラマ『青天を衝け』の撮影が終了しました!」と題したショート動画でも、「慶喜さんが将軍をね、やめてから(の姿が)描かれたのはあまりないみたい。晩年の慶喜さんの哀愁というかミステリアスな部分を意識して演じました。今までにない慶喜さんになったと思うので、ちょっと期待してもらいたい」と語っているように。
にも関わらず、いつも“狙っていない”と思わせられる理由は、そこに俳優・草なぎ剛としての“欲”のようなものを感じないからかもしれない。インタビューでも「徳川慶喜から学んだもの、この役と出会ったことで僕自身が変わったこと。よく聞かれる質問ですけど、それはないです(笑)」とサラリと答えているのが印象的だった。
そして、こうも続ける。「学べない人なんですよ、僕は。終わって思った、学ぶとかないなって。役ってそういうことじゃないと」「役って、はかないもので。そこに役が際立ってくるといいっていう、ふとしたことだと思うんだよね」「役のキャラクターは普通に生きているわけで、自然なわけだから」「たとえ慶喜のような偉人だったとしてもね。はかないものでいいんだよ。そんな感じ」(いずれも『月刊ザテレビジョン』2022年1月号より)
役の人生を、ただ媒介となって表現すること。演じる側の個人的な思い入れを排除することが、あの名演技のベースになっているのではないか。以前『ななにー』で即興演技をしたとき、俳優・草なぎ剛のスイッチが“入った”瞬間を見たことがある。彼が演技をするときに最も特徴的に感じるのは、その眼差しだ。まるで瞑想状態にも近いようなスッと静かに視線を落とす。草なぎ剛という人格を、そっと横に置くかのような表情。その切り替えが、役に体を明け渡すかのようにも見えた。
共演した吉沢亮についても「今の僕にはない若さという輝きがあって。それを目の当たりにすると、いい意味で自分を鼓舞できる。彼らと同じエネルギーや若さは僕にはないけど、それならば今の自分は慶喜をどのように演じればいいかというのを思わせてくれた」と語り、吉沢の演技とも呼応していたことを伺わせる。
人生の年輪を重ねるごとに、草なぎの演技に磨きがかかっているように感じるのは、その肩の力が抜け、役がすんなりと体に入っていくからなのかもしれない。そう考えれば、今後もさらなる名演技が期待できる。ますます俳優・草なぎ剛の活躍が楽しみになる。まずは、慶喜として生きた『青天を衝け』の草なぎを、ラストまでじっくりと味わいたい。