『PINOCCHIOP BEST ALBUM 2009-2020 寿』リリース記念対談
ピノキオピー特別対談②:クリプトン佐々木渉氏と考える“初音ミク”と“ボカロシーン”
ピノキオピー初のベストアルバム『PINOCCHIOP BEST ALBUM 2009-2020 寿』のリリースを記念した対談企画。初音ミクの開発者であるクリプトン・フューチャー・メディアの佐々木渉氏とのクロストークが実現した。
エレクトロニカや電子音楽のコアなリスナーでもあり、ピノキオピーの音楽についてはVOCALOID「初音ミク」の開発者としての立場を超え「ファンとして聴いてきた」という佐々木氏と共に、ピノキオピーの、そして初音ミクのこれまでとこれからについて語り合ってもらった。(柴 那典)
流行りに背を向けず、時代にとけ込もうとはしていた(ピノキオピー)
ーー今回はピノキオピーさんから佐々木渉さんと改めて対談の形で話してみたいということだったんですよね。
ピノキオピー:そうですね。お会いしたことは何度かあったんですけれど、ちゃんと対談形式で喋ったことはなかったので、今回の機会に改めてお話をしたいな、と。
ーー佐々木さんはそのお話を受けて、どういう第一印象でしたか。
佐々木渉(以下、佐々木):特に個性的というか……異端な作家さんとして、ピノキオピーさんの曲は2009年から聴いていましたね。シリアス系から楽しいポップなものまで色とりどりの楽曲に、ブレイクコアから影響を受けたような、エッジの効いたビートが組み合さっていることに驚きました。
クリプトン・フューチャー・メディアは、今となっては「初音ミクの会社」と言われることが多いんですけれど、そもそもヒップホップなどで使わるサンプリングの音素材を販売するところから始まった会社でして。90年代は、The Chemical Brothersのようなビッグビートと呼ばれていた音楽や、幻想的なトリップホップ、攻撃的なブレイクコアもしくは、Daft Punkや電気グルーヴなどのキャッチーなテクノ/エレクトロとか。そういうジャンルのテクニックに影響を受けたサンプリングCDを沢山売っていたんですね。そのようなサンプリングを使ったダンスミュージックの流れと、ネット時代のボカロを化学反応させている印象が常にピノキオピーさんにはあるんです。
ピノキオピー:そんなニュアンスを感じてくださってたんですね!意識したことなかったので面白いです。僕、活動初期の頃はDAW(音楽制作ソフト)のことがあんまりわかってない状態だったんですよ。それこそオーディオサンプルを貼り付けること自体も2009年に初めて知ったんです。ブレイクコアやエレクトロニカのようなジャンルも好きで聴いてたんですけど、僕が昔作っていた音楽はパンクやメロコアだったので。初音ミクを使ってニコニコ動画に曲を投稿するにあたって、なんとかして目立ってやろう、派手なことを盛り込んでやろうという気持ちがあってブレイクコア的なことを盛り込んだんです。それが佐々木さんの目に留まったんだと思います。
佐々木:今日の対談の前にもベストアルバムに収録される曲を聴いてきたんですけれど、「eight hundred」が、エモーショナル過ぎて、頭がくらくらしています。初音ミクがしっとりと嘘を唱えていく感じが、今、聴いても…いや10年以上経った、今だからこその発見もある(笑)。この曲に限りませんが、目線や切り口が独特ですよね。
ピノキオピー:嬉しいです。これは2009年の4月に投稿した曲なので、ベストアルバムに入ってる曲の中では一番古いですし、歴史を感じますね。
ーーブレイクコアというキーワードもありましたが、佐々木さんとピノキオピーさんの共有するルーツはどのあたりでしょうか?
ピノキオピー:Aphex TwinとかSquarepusherは当時すごく好きでしたね。今も好きなんですけど、当時はやたらと傾倒してました。あとはμ-Ziqも。
佐々木:そうなんですね。僕もこういうお仕事をしながら、昔から好きだったAphex TwinとかSquarepusherのライナーノーツを書かせていただいたりもしていて。μ-ZiqのPlanet Muや、Touched Musicなど向こうは捻くれた最先端音響で実験で万人受けはしない印象。VOCALOIDの音楽は、歌詞や歌の最先端で聴きやすい曲も多いという印象があります。今は90年代と違って、どちらもネット上にあって、多様な音楽を聞けるのが楽しい。ボカロらしいロックやポップスを極めようとしてる曲も勿論好きですが、特にピノキオピーさんのように、多様が混ざっていると「オッ!」っとなり興奮しますね。
ーーピノキオピーさんが2009年に初音ミクを使って投稿を始めたきっかけはどういう感じだったんでしょうか?
ピノキオピー:何も飾らずにいうと「流行ってるからやってみよう」というくらいのものだったんですよね。軽い気持ちで始めたんですが、初めて不特定多数に褒められるという経験が衝撃的でした。それまで趣味で個人的に音楽を作っていただけだったのが、そこから「どうやったら面白がってもらえるか」「こういうことをすると反応が良いな」とか、受け手の目線を想像しながら作るようになったんですよね。そのきっかけが、ボーカロイドであり、初音ミクだったんです。僕はもともと漫画を描いていたんですけど、友達に見せても反応も良くないし、何を作ってもうまく行かない状態だったので、描くのをやめてしまいました。でも、ボーカロイドで曲を作って投稿したら、ネットを通して好意的な反応をもらえた。その嬉しさでモチベーションが保てましたし、創作を続けられるきっかけになりましたね。
ーー佐々木さんがピノキオピーさんの存在を知ったのは?
佐々木: 2009年当時は出てくるボカロ曲を全部聴きたいってくらいの気持ちでいたので、その頃からですね。ピノキオピーさんの曲は8割以上聴いていて、かつ6割はリアルタイムで聴いています。たとえばウチで初音ミクの最初の企画開発期から携わっている目黒というスタッフが画面に食い入るように「アイマイナ」を聴いていたことがあって。他にも「好き好き好き好き好き好き好き好き好き」中毒になって口ずさむスタッフとか、曲のインパクトに焼かれた人達の光景が記憶に残ってます。
あとは「マッシュルームマザー」が出てきた時に「思いっきりサイケデリックな方向に行ったんだ」とか、その後、「m/es」の冷ややかな音で「これピノキオピーさんっぽいけど、ピノキオピーさんじゃないよな?」と思ったり。「ひとりぼっちのユーエフオー」で「やっぱりブレイクビーツ好きなんだな」と感じたり、いろんな思い出がありますね。ピノキオピーさんの音楽を聴いていたリスナーならではの体験をいくつもさせてもらってます。あとは、高速ロックが流行り始めた時に、それっぽい雰囲気が入ったブレイクコアをさも高速ロック風に聴こえるように組み立てていたのも傑作でした。
ピノキオピー:それは、流行りの高速ロックを、ぼくが技術不足でうまく模倣できなかったからなんですよね。ギターも軽くしか弾けないですし、バンド出身の人と比べるとその武器では勝負できない。けれどオーディオサンプルを組み合わせて作ると違ったニュアンスになるし、かつ、僕の好きな音になる。たまたま差別化が図れたようなものですね、意図的ではなく、自分の出来る範囲で挑戦したらこういうスタイルになった、というイメージです。
佐々木:それが結果としてすごいエモく感じたんでしょうね。「腐れ外道とチョコレゐト」を聴いた時も、グリッジ感のあるビートと、間奏のシンセリードの強さなども相まって、周りの人たちがざわざわしてる雰囲気もありましたし、こういう曲を何曲か出していくのかなと思ったら、全然違う方向に振ってきたりもして。その感じもあっけにとられましたね。
ピノキオピー:「腐れ外道とチョコレゐト」はありがたいことに沢山聴いてもらえたんですけど、「一度ウケたからもういいや」って。また同じことをやるのが嫌だったんですよね(笑)。
ーー「腐れ外道とチョコレゐト」を発表した2011年から2012年くらいはボーカロイドシーンがどんどんメジャーになっていく時期だと思います。ボカロPが商業的に成功してメジャーデビューしていく潮流については、ピノキオピーさんご自身としてはどんなふうに考えていらっしゃったんでしょうか?
ピノキオピー:ボーカロイドシーンの渦中にはいるんですけど、他人事みたいなイメージで見てましたね。盛り上がってはいたし、聴きながら参考にしていた曲もありましたけど、心の芯から震えるほど面白いと思うことはあまりなかったですね。淡々と現象として見ていた気がします。それでも、流行りに背を向けずに、時代にとけ込もうとはしていました。だけど、ずっとそれにどっぷり浸かるのも違うと思っていましたし、自分の好きなものと照らし合わせて、シーンの中でどうカードを出せば、聞いてくれる人のニーズとうまいこと調和できるかを考え続けていました。
ーーピノキオピーさんにとってターニングポイントになったと思える曲はどれでしょうか?
ピノキオピー:色々あるんですけど、最初のきっかけで言うと2009年の「eight hundred」ですね。あの曲で初めてニコニコ動画のマイリスト登録数が4桁に到達しました。それまで2桁だったので、「これは多くの人に受け入れられたんだ」という実感がありました。「eight hundred」がなかったらピノキオピーとしての活動は続いてなかったと思います。明らかに見てくれる人が増えたのは、2011年の「腐れ外道とチョコレゐト」ですね。そこから外側へ向けてどんなアプローチをするかをより考えるようになりました。
そのあとのターニングポイントは2014年の「すろぉもぉしょん」ですね。「腐れ外道〜」って、僕の中ではあまり本意ではないというか、半分くらい自分なんですけど、半分くらいは流行りを考えて作った曲だったんです。でも、「すろぉもぉしょん」は自分が100%入っている曲で、それが「腐れ外道〜」の再生数を抜いた。そこからピノキオピーの核となる部分を皆にやっと知ってもらえたというイメージでした。なので、その3曲ですね。「eight hundred」で知られて、「腐れ外道〜」でより一層マスに見られるようになった。でも自分のイメージとのギャップがあったところ、「すろぉもぉしょん」でそのギャップが埋まったっていう感じです。
ーー「すろぉもぉしょん」の自分らしさというのは、どういうポイントが大きかったんでしょうか?
ピノキオピー:フォークっぽい、人生のことを歌いながら軽く聴けるような歌詞も、牧歌的な、ちょっと懐かしさを感じるメロディラインも自分の好きなものの凝縮なんですよね。「すろぉもぉしょん」はその2つの好きがバランス良く詰まっています。2014年当時のボカロシーンって「こういう曲がウケる」みたいなセオリーが飽和してきた谷間の時期だったんですよ。そんな時、「すろぉもぉしょん」が出来て沢山聴いてもらえた。ということは、シーンの流れとかあまり関係なく、僕自身が受け入れられたという印象が強かったですね。
ーーその当時のシーンとピノキオピーさんの曲を振り返っていただいて、佐々木さんとしてはどうでしょう?
佐々木:その頃って、「千本桜」とか「カゲロウプロジェクト」のような山があった後で。わかりやすいひとつのスタイルでは注目度の持続も難しくなり、シーンの多様化が進んでいった頃だと思うんです。そういう中で僕としては、ピノキオピーさんの曲は毎回アイディアを変えてきていて、勇敢というか果敢と言うかゲリラ戦法と言うか(笑)、ピノキオピーさんの粘り強さを改めて感じてました。
ピノキオピー:そんな見方をしていただけてたんですね(笑)。
佐々木:「毎回いろんなアイディアを取り入れる」行為が、僕には励みだったところはありますね。あと今回のベストアルバムのラインナップには入っていなかったんですけど、「こどものしくみ」(2013年)も入れてほしかったなって……(笑)。
ピノキオピー:.……実は入れるかすごく迷ったんですよね。
佐々木:そうなんですね(笑)。プリミティブな感じだとか、エモーショナルな感じって、どの曲にも大小様々に入っていると思うんですけど、「こどものしくみ」はピノキオピーさんの描くイラストの目ヂカラも印象的で。子供の目線や夏の夜というストレートなテーマが、自分の中の子供っぽさや、記憶もフラッシュバックしました。自分は子供の頃からひねくれてたり、長いこと夢遊病/夜驚症(※主に幼少期に、無意識で歩きだしたり叫びだしたりする病気)だったので、修学旅行とか怖くて(苦笑)、ありがちな青春アニメとかでは全く追憶できなかった部分があるのですが、「こどものしくみ」は曲名通り、子供独特のロジカルな部分も残忍さもありって感じで、自分はありがたく聴けました。
ピノキオピー:「こどものしくみ」は2013年に書いたんですけど、あの頃は僕自身成熟してなかったと思ってます。子供の気持ちが残った状態だったんですよね。だから、当時は素で書いている感じでした。初期は「おもちゃ箱をひっくり返したような曲」と形容されることが多かったんですが、無意識に童心で作っていたことが影響している気がします。