村井邦彦×松任谷由実「メイキング・オブ・モンパルナス1934」対談

ふたりの出会い

ユーミン:TBSの裏の倉庫みたいなところで『ヘアー』のオーディションをやったでしょ?

村井:うん。僕、そこにいましたよ。

ユーミン:でしょ? そこに私も行ったんですよ。年齢が足りなかったけど。

村井:えーっ、オーディションを受けたの?

ユーミン:受けられなかったんです。13歳だったから。

村井:じゅ、13歳?(笑)。

ユーミン:でも、のぞきには行きました。

村井:そうかあ。興味があったの?

ユーミン:グループサウンズの追っかけを少し前にしていたんです。でもグループサウンズって、結局は作られたバンドじゃないですか。ところがザ・フィンガーズとか、細野(晴臣)さんたちがやっていたザ・フローラルというバンドとかを聴くようになったら、全然違うなって思ったんです。

村井:僕はその2つのバンドはよく知っているし、両方に曲を書いているよ。フィンガーズはギタリストの成毛滋とか、ユーミンをかわいがっていたシー・ユー・チェンのいたバンドだよね。ユキヒロ(高橋幸宏)のお兄さんもいたね。フローラルは細野、小坂忠、柳田ヒロとか、とにかく異色の人材がそろっていたなあ。宇野亜喜良さん(挿絵画家、グラフィックデザイナー)がプロデューサーだったしね。

ユーミン:そうですね。グループサウンズとは全く違うと思ったんですよ。この2つのバンドの方が音楽だって思えて。それで興味があったんです。そうだ、アオイスタジオでオーディションを受けさせてもらったんですよ、村井さんに。

村井:ええーっ? 僕、それ覚えてない。やばい(笑)。

ユーミン:「君、曲を書くらしいじゃない。じゃあオーディションテープを作ろうか」ということになり。でも、インスト(器楽曲)しか書いたことがないから、キーボードの柳田ヒロさんとか、ベースの武部チー坊さん(千原秀明、後に武部秀明)とか、うまい人を呼んでもらって、短いインストのテープを作ったんですね。

村井:覚えていないなあ。

ユーミン:たぶん、これじゃ商売にならないって村井さんは感じたんだと思います。「もっと普通の曲は書けないの?」と言われた覚えがありますから。

村井:あははは。録音している時に、僕もいたんだっけ?

ユーミン:録音したテープを後で聴かれたんだと思いますね。

村井:ああ、だからスタジオの記憶がないんだな。

ユーミン:赤い鳥の潤ちゃん(新居潤子、後に山本潤子)とトシ(山本俊彦)は紹介されたんですよ。その時、アオイスタジオで。たぶん同じレーベルの先輩ということで紹介されたんじゃないかな。

村井:誰が紹介したんだろう? アルファの社員がいたのかな。

ユーミン:ポリドールの本城(和治)さんがいました。

村井:フィリップスの本城さんね。

ユーミン:あ、フィリップスだ。

村井:僕のユーミンに関する最初の記憶といえば、その本城さんが加橋かつみのソロアルバムの2枚目をレコーディングしていた時だな。1枚目はパリで録音したんだけどさ、2枚目にも僕は曲を書いているんだよ、確か。

ユーミン:そうですね。

村井:自分の作った曲のレコーディングに立ち会った時、本城さんがユーミンの作曲した曲をかけていたんだよ、調整室で。

ユーミン:フィリップスって、ビクターってことですか?

村井:そう。ビクターの一部門だった。だからスタジオはビクターのスタジオ。

ユーミン:千駄ヶ谷のビクタースタジオ。まだ新しかったですよね。

村井:できたてのホヤホヤだった。

ユーミン:村井さんに初めてお会いしたのはそこです。

村井:僕が曲を耳にした時にユーミンはスタジオのどこかにいたんだね?

ユーミン:そうです。

村井:そうかあ。僕は聴いてすぐに気に入って「うちの専属になりませんか?」って、その場で言ったってことだよね。

ユーミン:はい。その時、(川添)梶子さんもいらしたんですよ。

村井:ええーっ?

ユーミン:梶子さんが村井さんの隣に座って……。

村井:スタジオに梶子さんと僕が一緒にいたわけ?

ユーミン:そう。その時に村井さんとも、梶子さんとも初めてお会いしたんですよ。

村井: 梶子さんは広尾の一軒家に住んでいたんだけど、浩史さんが1970年1月に亡くなってから青山にアパートを借りて住むようになった。ビクタースタジオのすぐ近くだったんだよね。

ユーミン:はい。お部屋にお邪魔したこともあります。

村井:ユーミンの『MISSLIM』のジャケットはあそこで撮ったんだよね。

ユーミン:私、そのあたりの記憶が混濁しているんですよ。同じ青山でも、梶子さんは後にもっと絵画館の方面に移られますよね?

村井:いや、僕の記憶ではビクタースタジオの近くから動いていないと思うよ。

ユーミン:本当に?

村井:当時、絵画館の正面の青山通り沿いにイヴ・サン=ローランのリヴ・ゴーシュというプレタポルテの店ができたんだけど、梶子さんはサン=ローランの日本の代表でもあったから、よくその店にいたんだよ。ユーミンの記憶にあるのは、そこじゃないかな。

『MISSLIM』(1974年)。帯に参加ミュージシャン名が記載された2ndアルバム(ETP-72001)。提供:鈴木啓之

ユーミン:じゃあ『MISSLIM』のジャケットを撮ったのは、アパルトマンの方ですね。千駄ヶ谷駅とベルコモンズのあった交差点の間の。

村井:そう。ベルコモンズの交差点からビクタースタジオの方に下りてきて、少し右に入ったあたりだね。そのジャケットに古いピアノが写っているでしょ。あれは花田美奈子さんという梶子さんの大親友の持っていたピアノなんだよね。紙のロールが入っている。

ユーミン:自動ピアノでしたね。

村井:そう、自動ピアノ。花田さんが転居する時、引っ越し先にピアノを置くスペースがなかったらしくて、梶子さんが引き取ったんだ。

ユーミン:その撮影のスタイリングは梶子さんがしてくださったんです。それこそリヴ・ゴーシュでした。

村井:ああ、やっぱり衣装はサン=ローランなんだ。

ユーミン:ただ、モノクロの写真ですからね。黒のイブニングドレスみたいに見えるんですけど、実はカットソーなんです。スカートはサテンのマキシスカート。その姿でピアノを弾いていると、イブニングドレスみたいに見えるんですよ。

村井:いい衣装だよね。

ユーミン:そうですね。後に「おしゃれなんだ」って思いました。残しておけばよかったんだけど、もう入らない。細くて。

村井:あははは。

ユーミン:当時はすごく細かったから。でも、それでもアーカイブとして取っておけばよかったなって、本当に後悔しているんです。

村井:今、1970年代くらいのサン=ローランの骨董ものはあちこちでかなり高く取引されているから、探せばあるんじゃないの?

ユーミン:案外、パリよりロサンゼルスにあったりするかもしれませんね。ハリウッド映画のプロのスタイリストだけが行くようなヴィンテージショップがメルローズアベニューとかにありますから。

村井:ユーミンにそういう店に連れていってもらったことがあるよね。

ユーミン:そうでしたね。

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