『ギミ・サム・トゥルース.』発売記念連載 "2020年に聴き解くジョン・レノン"
ジョン・レノンと現代のミュージシャンを結ぶものとは? 孤独、愛、怒り…新ベスト盤に収められた2020年にこそ必要なメッセージ
2018年10月2日、現在最も躍進を続けている若手シンガーの一人、イギリス在住のヤングブラッドは自身のTwitterでこんなことを呟いた。
「ジョン・レノンとハッパを吸いながら話すためなら、何だってするさ。(what i’d give to smoke a j and talk shit with john lennon.)」
彼は自身の制作するコミックブックにジョン・レノンの出身校の名前を引用して、『WEIRD TIMES AT QUARRY BANK UNIVERSITY』と名付けており、様々な形でその影響を明らかにしている。長年のThe Beatlesやジョン・レノン・ファンであれば、もしかしたら強い違和感を抱くかもしれない。だが、若い世代にとってリアルタイムなミュージシャンと、いわゆるレジェンドと呼ばれるミュージシャンが自分の中で等しく共存するというのは、ある意味で当然のこととも言えるだろう。
10月9日に発売される『ギミ・サム・トゥルース.』は、ジョン・レノンの生誕80周年を記念した新たなベストアルバムだ。発売と同時にデジタルでも配信されるため、これからSpotifyなどのストリーミングサービスにアクセスする人からすると、TikTokでブレイクしたUSシンガーや、あるいは日本のロックバンドの新譜と本作が並ぶことになる。
その上で、本作を通してジョンの音楽に触れてみると、驚くほど現代のポップカルチャーと呼応していることに気付かされる。冒頭で述べた通り、ヤングブラッドなどジョンから直接的な影響を公言している若いミュージシャンの存在や間接的な影響、そして今もなお様々な場所で普遍的に流れる「ハッピー・クリスマス(戦争は終った)」といった楽曲の存在を考えれば、当然の話でもある。
とはいえ、ジョンが作り上げた音楽に込められたメッセージや感情が、今もリアルに感じられるというのは、本当に刺激的な体験である。本稿では、普段は主に現代のポップミュージックに触れる身として、ジョンの音楽と現代のミュージシャンを“敢えて”並列に捉えつつ、いかにそれがリアルな音楽であるように感じたのか、書いていきたい。
孤独とドラッグとメンタルヘルス
最初のトピックとしては重いテーマかもしれないが、実は個人的に『ギミ・サム・トゥルース.』を聴いて、最もその存在を意外に思い、かつリアルに感じたのはメンタルヘルスと向き合った楽曲の数々である。
現代のポップカルチャーと向き合う上で、メンタルヘルスの問題から目を背けるのは難しい。スマートフォンやSNSといったテクノロジーの進化に伴い、常に誰かと比べられているように感じ、他の人との違いが欠点であるように思えてくる。たとえ最初は気にならなかったとしても、日々を過ごすにつれ、それは大きくなっていく。また、繋がりを重視する現代において、他者と上手く馴染めないのはそれだけで異常であるかのように扱われる場合もある。
その馴染めなさ、あるいはそこから生まれる自己嫌悪や孤独感は、現代において非常に重要なトピックである。鏡に映る自分の姿に暴言を吐き続けるビリー・アイリッシュ「idontwannabeyouanymore」や、苦しむ自分自身と周囲の無理解に悩みながら、どうにか自己肯定へと向かおうとするホールジー「Still Learning」など、メインストリームを牽引する多くの若いミュージシャンはこのトピックと正面から向き合い、若いリスナーの共感を得ている。
冒頭で引用したジョン・レノンの影響を公言しているヤングブラッドも、その馴染めなさを歌うミュージシャンの一人だ。彼の楽曲「Weird!」では、自らが抱える不安と他者との接し方に悩みながら、そもそもこの世の中自体がおかしいんだと指摘する。
ジョン・レノンの「孤独」は、タイトル通り“孤独”を歌った楽曲である。ジョンは成功したミュージシャンだが、だからといって全てに満足しているとは限らないし、元々感じている不安や恐怖といった感情がなくなるわけではない。ジョンはこの楽曲で、前述のミュージシャンらと同様に、生きることへの恐怖と、周りとの違いから生まれる抑圧や孤独を嘆いている。また、ヤングブラッドのように、あくまでその批判の矛先は特定の他者ではなく、奇妙で狂気的な世界全体へと向かっていくのだ。
ヤングブラッド自身が「孤独」にインスピレーションを受けたかどうかは定かではないが、この2曲を聴いて感じる感情にはとても近いものがある。孤独や不安といった生きづらさを感じているが、別に特定の誰かを嫌いになったわけではない。もっと、世の中全体の疎外感を作り上げた狂気に対して、怒りを感じているのだ。そういった生きづらさを抱える人にとって、リアルで、複雑かつ普遍的な感情が描かれている。状況こそ違えど、結局のところ結果は変わっていない。だからこそ、半世紀も前の楽曲であるにも関わらず、「孤独」はリアルな楽曲として今の自分にも刺さるのだ。
また、現代ではザナックスを筆頭とした抗不安薬などのドラッグの乱用が海外の若者を中心に社会問題となっており、時にはクールであることの証明としてその使用をアピールすることもあれば、その副作用による苦しみを嘆くこともある。リル・ピープのように若くしてドラッグの乱用で亡くなっていく仲間の姿を嘆いたジュース・ワールド「Legends」や、ザナックスを乱用しなければまともに生きていけない辛さを歌うフューチャー「XanaX Damage」といった楽曲を筆頭に、ドラッグの存在についても現代のミュージシャンが向き合うトピックとなっている。
ジョン・レノン「コールド・ターキー(冷たい七面鳥)」は、耳をつんざくようなギターリフの中で、ドラッグの副作用にもがき苦しむ姿を描いており、あまりにも生々しい描写の数々、そしてラスト1分を埋め尽くすジョンの悲鳴とうめき声は、結果として反ドラッグを訴えるものとしてこれ以上ない楽曲だ。ソリッドなトラックの格好良さに痺れると同時に、「何も変わってない」と叫びたくなる楽曲で、今もなおこの曲が有効であるという、悪い意味での普遍性に複雑な感情を抱いてしまうし、だからこそ本楽曲が今作に収録されているではないだろうか。そして、それ自体が現代への痛烈なメッセージであるように感じてしまう。
究極の愛情の発露
一方で『ギミ・サム・トゥルース.』において最も強く扱われているテーマは、やはり“LOVE=愛”についてである。もはや愛そのものを定義するような「ラヴ(愛)」、タイトルに相手の名を冠した、さながらラブレターをそのまま歌にしてしまったかのような「愛するヨーコ」や「オー・ヨーコ」など、様々な形でオノ・ヨーコへの恋愛感情を爆発させる楽曲が収められている。学生時代にはやや気恥ずかしいものでもあった、このジョンの圧倒的な愛へのアプローチだが、2020年の今聴いてみると、意外なほどその表現を受け入れることが出来て、ともすれば共感してしまう自分がいることに気付かされる。それは、もしかしたら普段の生活で聴くラブソング自体に変化が生まれているからなのかもしれない。
「アウト・オブ・ザ・ブルー」は、突然目の前に表れた存在に強烈な愛情を抱き、それまでの人生の悲しみが吹き飛ばされ、「自分の人生はこのためにあったのだ」と気付く瞬間を描いた楽曲だ。シンプルなギターの弾き語りから、力強いバンドサウンドへと転換する場面が、その“目の前の景色が変わる瞬間”をよりドラマチックに演出する。また、「オー・マイ・ラヴ」では、愛する相手を見つけたことで、これまで見ていた物の見え方や感情の捉え方までもが一変し、まるで自分が生まれ変わったかのような感覚を覚えるという感動と、相手への感謝を歌い上げた楽曲だ。
相手に対するリスペクトを惜しまないからこそ、相手がこちらを向いてくれなかったり、もしかしたら上手くいかなくなるかもしれないと感じる。そして、必要以上に臆病になってしまい、失った時にはどこまでも深く落ち込んでしまう。まさに今、愛を失おうとしている現状を描いた「アイム・ルージング・ユー」では、チープ・トリックを交えたヘヴィでソリッドなロックサウンドの中で、絶望の底にて苦しみ続ける。
失おうとしていることを嘆きながら、それでも自分は何も出来ないことが分かっている。それは、あくまで相手こそが絶対的な存在で、罪は自分にあると信じているからだ。ジョンが表現する、その半ば諦めに近い失恋への捉え方は、現代においてKing Gnu「白日」やback number「エンディング」を筆頭とした、「あくまで相手を尊重した」別れを描く楽曲の数々と通じるものがあるように感じられる。
もちろん、現代のラブソング全てが絶対的なものを称えているというわけではないが、あくまで筆者の中では、普段の生活の中で聴くラブソングにおいて、対等な関係性を重視するものから、「男性から女性へ」向いた関係性へとシフトするような傾向を感じ取っており、少なくとも自分にとってはその方がしっくりくる。その中で、ジョン・レノンがオノ・ヨーコに送った信仰にも近い愛情を歌う楽曲の数々は、2020年の今、より共感しやすいもの、よりリアルなものとして感じ取ることが出来るのである。