DAOKO×米津玄師、神前暁、広瀬すず……映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』音楽面の魅力を考察
8月7日放送の『金曜ロードSHOW!』(日本テレビ系)にて、岩井俊二原作のアニメーション映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』(新房昭之監督/2017年)が地上波初オンエアされる。みずみずしく幻想的なストーリーや美麗な作画品質などはもちろん、DAOKO×米津玄師による主題歌「打上花火」を始めとした音楽面でも高い評価を得た作品だ。この放送を機に、音楽の側面から、改めて同作の魅力に迫ってみたい。
DAOKO×米津玄師「打上花火」
DAOKOが米津玄師と“DAOKO×米津玄師”名義で担当した「打上花火」は、日本の夏を彩る新たなアンセムとして広く認知された。仮に映画を観ていなくとも、この曲に強烈な印象を植えつけられている人は少なくないはずだ。そのひとつの大きな要因として、主題歌としてではなく単体で聴いた場合でも非常に優れたポップソングとして成立していることが挙げられる。
米津は当時すでに「LOSER」などのヒット曲で知られる存在ではあったが、まだ「Lemon」や「パプリカ」といった、より大きな規模の爆発を起こす前だった。とはいえ、“米津節”の真骨頂である「マイナースケールの“マイナーみ”を強調しながらもなぜか陰鬱な印象をあまり与えない独特のメロディセンス」はすでに成熟の域に、さらに「耳にこびりつく圧倒的なサビメロ」においてはひとつの到達点に達していたことがわかる。
米津がかねてより作曲のテーマに掲げていた「普遍性の高い、強度のあるポップミュージック」は、この曲で初めて一定の成果として達成されたと見ることもできよう。当時まだ米津の名前を認識していなかったであろう、あまり熱心に音楽を聴かないタイプの人たちも、「打上花火」のサビメロは知らず知らず口ずさんでいたりしたものだ。そういった現象こそが「楽曲が普遍性を持つ」ことのひとつの表象であり、それ以前の米津の楽曲にはあまり見られない広がり方であったと言える。その後、「Lemon」や「パプリカ」がそれどころではない、尋常ならざる普遍性を獲得していったことは、全国民がよく知るところだろう。
とはいえ、ポップソングたりえることだけを主眼にして作られたわけではないのが「打上花火」の最も異常なところだ。映画の世界観に寄り添う主題歌としても完璧に機能しており、エンドロールで流れてくる楽曲としてこれ以上ふさわしいものは考えられない。つまり、カスタムメイドであるにもかかわらずプレタポルテ的な属性も併せ持つ、アンビバレントな二面性を備えているということだ。このことは、ドラマ主題歌として作られた「Lemon」などにもまったく同じことが言える。
映画の公開から約3年が経過した今だからこそ、今回の地上波放送を機に“「Lemon」前夜の米津楽曲”という視点で、「打上花火」を改めて聴き直してみるのも悪くないだろう。
神前暁による劇伴
主題歌と同等、もしくはそれ以上に重要なのが劇伴だ。本作では、「中学生の夏休み」という限定的な世界だけが持つ独特のノスタルジーや寂寥、正体不明のワクワク感や不安感といったものが、全編にわたって通奏低音的に表現されている。それはもちろん作画や動画、脚本、声優キャストの芝居など、あらゆる手段をもって総合的に実現するものだが、その一翼としてBGMも決して欠かすことができない最重要項目のひとつだ。
本作の劇伴は、ピアノの繊細な音色を基調とした楽曲が中心となっており、そこに弦や管、ハープなどが優美に絡んでくる。電子音やエディット音も登場するが、あまり派手さはなく、柔らかくオーガニックな印象で使われる。また、ピアノの打鍵音やペダルのきしみなどのノイズがはっきり聴こえるよう仕上げられた生々しいサウンドメイクも特徴的だ。これらの音的要素がストーリーなど他要素と複雑に絡み合いながら、作品の世界観をていねいに作りあげている。
基本的に劇伴は、映像と声で表現される感情の起伏を陰でサポートするのが役目。そのため、一般的には観客にその存在を意識させないものほど優れた劇伴であるとされている。そういう意味では作家の意向には反してしまうかもしれないが、劇伴に注意を払っての鑑賞もぜひおすすめしたいところだ。
ちなみに、本作の劇伴を手がけたのは『涼宮ハルヒの憂鬱』や『〈物語〉シリーズ』などで知られる作曲家・神前暁。その活躍は劇伴のみにとどまらず、「God knows...」や「恋愛サーキュレーション」といった、今なおアニメ史に残る名曲として愛され続ける楽曲を多数手がけている。アニメファンの間では知らない者はいない、“神曲クリエイター”だ。