VJが創出する音楽ライブ/エンターテインメントの一体感 年々注目を集める映像演出の現在

 音楽イベントに欠かせない存在となったVJであるが、その歴史は意外と深い。恐らく世界で最初のVJ的な演出が行われたのは、1960年のリキッドライトショーであろう。

 OHP(オーバーヘッドプロジェクタ)の上に油でリアルタイムにサイケデリックな模様を描いていく演出は、その独特の色のグラデーションと粒子感、手作業ならではのインタラクティブ感によって、現代まで受け継がれている空間演出の手法の一つである。その後、映像機器の普及に伴いVHSを使った手法やDVDを使った映像コンテンツを経て、ラップトップを活用した映像演出が増えていった。

 映像を使った空間演出がまだ浸透しきっていなかった頃は、ステージ演出家やミュージシャン側も映像をどう活用すれば良いかわからず、MVをそのまま流すようなイベントもしばしあった。しかし、それでは映像の時間軸とライブの雰囲気がどうしても合わないのでイベントの一体感に欠けることが次第に理解されるようになった。

 やはり、TVやYouTubeで座って鑑賞する用の映像コンテンツと、ライブ演出の一貫としての映像演出は似て非なるものだったのである。そこで注目されるようになったのがVJというスタイルだ。VJがもう一人のバンドメンバーとして表現されることが多いことからも、VJがライブとの一体感にどれだけ重要さをおいているかを物語っている。逆に、あくまで自分自身の作品の時間軸を追いかける人は、メディアアーティストやプロジェクションマッピングアーティストとして、人々が立ち止まって鑑賞する場所に転向していった。

 ライブ演出としてのVJは様々な方向性があるが、主に二通りに分かれていったと思う。

 それは、歌詞先行型と、世界観先行型である。実のところ、ライブ演出用のVJは実はそれほどインタラクティブでない場合が多い。なぜなら、最近の音楽ライブは、DAWからオケを流しながら演奏することがほとんどなので、DAWの尺に合わせて映像コンテンツを作りこんでおけば良いからである。

 歌詞先行型の例としてはアイドル系の事例が多く、ももいろクローバーZなどのライブビデオを見るとイメージが湧きやすい。これらの場合、歌詞の世界観に合わせた作りこまれたCGを多用し、歌詞や曲名自体をモチーフにして大画面に映すことも多い。映像演出で世界観を作るというよりも、あくまでも主役はステージ上のパフォーマーであり、映像は補完的に使われ、ライブカメラの映像と交互に切り替えられながら使われることもある。このようなスタイルの場合、その演出をするのはVJではなく、舞台演出家が集めるCG制作業者と映像演出業者のチームの場合が多い。

 特に事務所の規定が厳しいグループの場合は、演出の都合に合わせていかに素早く効率良く対応できるかといったチームとしての対応力が求められることが往々にしてあり、組織としての調整力が重要になる。

 一方で、世界観先行型というのは、音楽と映像、照明全部を含めて総合演出的にライブを考えているチームに多くみられる。トム・ヨークやPerfume等のライブ映像のように、映像自体に存在感をもたせたり、映像とライブがシンクロするのを前提にショーを組んでいる場合が多い。この場合VJに求められるのは音楽の持つ世界観やグルーヴ感をいかに表現するかであり、映像表現自体と対等な存在感が求められる。なお、やはり大規模な案件になるとVJというよりは演出家やディレクター的な立場で動き、実際の制作はチームでの作業になることがほとんどであるので、VJはアーティストであると同時に優れたディレクターであることが求められる。

 冒頭で例として挙げたリキッドライティングはこの世界観先行型VJの先駆者といえる。当然世界観先行型の場合は映像表現と照明演出の垣根は無く、VJと照明が密に連携をとるのが常である(なお、ここの連携がとれてなくてイマイチ盛り上がらないイベントも多い)。

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