UNISON SQUARE GARDENの活動から感じる一貫したバンドの真理 結成15周年を機に考える

シンプルにそぎ落とすことこそユニゾンの真理

 UNISON SQUARE GARDENとは、枯山水である。

 多くの読者の方が何を突然言い出したのかと思っているはずだが、ここ1年ほど彼らのライブを見るたびに、そんな感想が思い浮かぶ。

 枯山水とは禅宗寺院の庭園などでよく見られる様式で(京都の龍安寺などが有名である)、白砂や小石を水に見立ててそこに大きめの石などを配置することにより一つの風景を形成する。余計なものを持ち込まないシンプルなデザインであるがゆえにそれを見る者には一定の想像力が要求されるが、虚飾を取り払った景色と向き合うことで自身の精神からも余計なものがそぎ落とされていく感覚になる。

 今のユニゾンのライブのあり方は、前述したような枯山水の精神と非常に近いように思える(もちろんそんなことを考えてバンドをやっているわけではないだろうが)。ステージ上には余計なセットや演出が存在せず、3人のミュージシャンが派手に音を鳴らすためだけに存在している。ボーカル、ギター、ベース、ドラム、それぞれのパートのクオリティが高く、本来必要な場所に的確に音が配置されるのでフォルムとしての無駄がとにかくない。ステージから発せられるのは少しのMCを除いては高度に構築されたバンドサウンドのみで、手拍子や合唱をあおるようないわゆる「お約束」もほぼ存在しない。だからこそ、オーディエンスは自分の意思でステージと向き合うことを要求される。誰からも指図されずに思い思いに音楽を楽しむオーディエンスはおそらく本当の意味での自由というものに肉薄しているはずであり、だからこそそんなオーディエンス個々の感情が偶発的にシンクロする瞬間(ライブの終盤でこの状況になることが多い)にはなかなか他のバンドのライブではお目にかかれないカタルシスが会場に現出する。

「……僕らって、とにかく身の丈に合わないことを全部排除してきて今があるんですよね。それはライヴスタイルとかに関してもそうで。(中略)いろいろやっていく中で「斎藤くんほどギターと歌を一緒にできる人なんている?あんだけできるんだったら喋る必要なくない?」ってなって、MCやめようってなった」(MUSICA2019年7月 田淵智也のインタビューより抜粋)

 「普通のロックバンドであること」を志向し続けて今年で結成15周年を迎えるユニゾン。彼らが目指す「普通」は決して「シーンの普通(もしくは売れるために求められる普通)」ではなく、「音楽を楽しむうえでの普通」である。言葉を補うと、「演奏する側も、聴く側も、何にも邪魔されずに音楽を楽しむためにはどういう状況があるべきか?」ということこそがユニゾンが最も大事にしているものである。

 このスタンスはバンド結成当時から基本的には変わっていないはずだが、ここ数年その傾向はますます強まってきている。具体的には、2015年の「シュガーソングとビターステップ」の大ヒットを経て、バンドとしてどこを目指すべきかがよりクリアになったように思える。「国民的存在になること」がゴールではなくあくまでも「音楽をやり続けること、バンドをやり続けること」に改めてフォーカスを定めたユニゾンの活動に、多くのオーディエンス、そして同業者のミュージシャンが魅了されている。

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