iri、伊原六花、夏木マリなどプロデュース 今、大沢伸一が再注目されている理由

 また、ここ数年続いている「90年代ブーム」とも呼ぶべき状況も、彼への新たな評価を後押ししているだろう。Suchmosを筆頭に、SANABAGUN.やKANDYTOWN、Nulbarichといった次世代シーンを担うアーティストたちは、ロバート・グラスパーやクリス・デイヴら同世代のトレンドとリンクしつつ、アシッドジャズや90年代ヒップホップ〜R&Bあたりをルーツとしており、彼らをきっかけに「大沢伸一」を知った若い世代も少なくないはずだ。

 1991年にソウル、ジャズ、ファンク、ヒップホップやブラジリアンを融合したバンドMONDO GROSSOを結成し、沖野修也(Kyoto Jazz Massive)らと共に京都発のクラブシーンを支えた大沢は、1993年のメジャーデビューと同時に上京。バンドとしての活動と並行し、様々なアーティストやシンガーへの楽曲提供/プロデュースを積極的に行うようになる。彼の名を知らなくとも、例えばUAの「リズム」(1996年『11』収録)や、Charaの「Junior Sweet」(1997年同名アルバム収録)、birdの同名デビューアルバム(1999年)は知っているという人も多いはず。当時の最先端をいくクラブミュージックのエッセンスを取り入れつつも、幅広いオーディエンスにアピールするポップセンスはこの頃から確立されており、上述したアーティストたちに多大なる影響を与えたことは間違いない。

 また、大沢をはじめとする90年代サウンドの「洗礼」を浴びた世代が、現在レコード会社のディレクターやA&R、もしくはプロデューサーといった立場になり、メインストリームを支えていることが、「90年代ブーム」の一端を担っているともいわれている。例えばアイドルグループである私立恵比寿中学への楽曲提供(2016年「summer dejavu」)や、アイドルデュオFaint★Starのアレンジ〜リミックス(2015年「スライ」)などのワークスは、そうした流れで実現したのかもしれない。いずれにせよ(繰り返しになるが)どんなタイプのシンガーであろうとも、その個性を活かしながら“大沢ブランド”とも言うべきサウンドに仕上げてしまうのである。

 他にも浜崎あゆみやCrystal Kay、Monday満ちる、wyolica、中島美嘉……等々、様々なシンガーたちと数多くの名曲を生み出してきた大沢。25年以上にもわたり多くのディーヴァを見出し、その才能を羽ばたかせた能力は一体どこから来ているのだろうか。以前、彼に取材した時にそう質問したところ、こんな答えが返ってきた。

「ディーヴァを見出す能力ですか? そんなのないです(笑)。たまたまなんですよ。能力というか……やっぱり僕自身の強い思い入れじゃないかな。(特にbirdは)僕の「代わりの声」みたいな思いでプロデュースしていますからね」

「birdのときのように「自分自身の代弁者」という意識はないですけど、自分の引き出しのなかにあるものを使うという意味では、やっていることは何も変わらないんですよ。そこは安室奈美恵ちゃんも、birdも同じ。一方でコマーシャルなことをやったつもりもなければ、もう一方でアンダーグラウンドなことをやったつもりもないです。僕がやりたい音楽をやっているだけ」(参照

 また彼は、曲を作る上で「自分らしさ」といったものへのこだわりは一切ないとも話していた。

「結局、「個性」みたいなものって残そうとして残るものではなく、むしろ変えようとしても消えないもの、変わらないものなのだと思うんです」(参照

 自らの「快感原則」に従いながら、その時に作りたい音楽を、作りたいように作る。その結果、誰にも真似できない「大沢伸一ブランド」になっているということなのだろう。

■黒田隆憲
ライター、カメラマン、DJ。90年代後半にロックバンドCOKEBERRYでメジャー・デビュー。山下達郎の『サンデー・ソングブック』で紹介され話題に。ライターとしては、スタジオワークの経験を活かし、楽器や機材に精通した文章に定評がある。2013年には、世界で唯一の「マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン公認カメラマン」として世界各地で撮影をおこなった。主な共著に『シューゲイザー・ディスクガイド』『ビートルズの遺伝子ディスクガイド』、著著に『プライベート・スタジオ作曲術』『マイ・ブラッディ・ヴァレンタインこそはすべて』『メロディがひらめくとき』など。

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